小宮良之のブラジル蹴球紀行(15)

 サルバドールのホテルに数日間宿泊していたとき、ルームカードキーがしばしばエラーを起こし、そのたびにフロントに戻り、直してもらった。フロントのお姉さんは、当然のことのようにこれを処理した。

「あら、また来たの?」

 そう言わんばかり。システムを改善しようという意志も、"悪いわね"と申し訳なさそうな感じもさらさらない。"直してあげたわよ、坊や"的に余裕の笑顔すら浮かべる。翌日にはまたエラーを起こすのだが、だからといってイライラしては完全な負けである。いや、勝ち負けではないかもしれないが、きっと損をするだろう。こっちも余裕の笑顔で対応するしかない。

 道徳文化の差。そう書くと大げさだが、やはり横たわる違いを理解しなければならない。自分の生きてきた道徳や習慣だけで、相手や物事を判断しようとすると、そこにはまさにエラーが生じてしまう。

 準々決勝のブラジル対コロンビア戦。ネイマールに後ろから派手な膝蹴りを食らわせたスニガは謝罪の言葉を述べていない。

「俺はネイマールを傷つけようとしたわけではないんだ。自分は代表のユニフォームと国を背負い、守るために戦っているだけ。ネイマールが神のご加護のおかげで、早く回復することを願っている」

 スニガのコメントは正直、日本人には理解しにくいだろう。理屈としては正しいのだろうが、自己正当化がどうしても醜く見える。なにしろ、相手の見えない後ろから腰のあたりに膝蹴りをし、それによって腰椎を骨折させ、選手に涙を流させ、自国開催のW杯を奪ってしまったのだ。

"まずは詫びるべきだろう"というのが筆者の率直な感覚で、多くの日本人の考え方ではないだろうか。

 しかしコロンビア人にとっては、それどころではない。国内メディアはスニガの反則行為についてはそっちのけ。暴力的場面を誘発し、いくつかの不利な判定を下したスペイン人主審を猛烈に攻撃している。

 ある新聞は、「偉大なる売春婦が生んだ息子」と、スペイン語圏で放送禁止用語になっている表現まで用いた。「1試合で60回近くもファウルがあった試合が異常だった」というのが、彼らコロンビア人たちの主張なのだろう。事実、選手の行動は試合のテンションによっても変化する。だからスニガだけが悪いわけではないのだろうが、どうも釈然としない。

 ブラジルW杯では、思った以上に重い処分が下された反則もあった。いわゆる"かみつき事件"を起こしたウルグアイのルイス・スアレスは、代表戦9試合とクラブ等の試合4ヵ月出場停止、ブラジルからの即刻退去など、フットボールに関わる活動を禁じられている。

 確かに信じられない行為ではあった。しかし身体的ダメージだけを考えれば、かみつきは"軽度のファウル"だ。かみつかれたイタリアのキエッリーニは特別な治療を受けたわけではないし、被害者本人が「過剰な厳罰」と苦言を呈している。ルイス・スアレスは相手を再起不能にしたわけではなく、愚かしくはあっても、攻撃本能が行き過ぎてしまっただけのことだ。

 それに対して、スニガはプレイ中の接触とは言え、ひとりのブラジル人選手のW杯を台無しにし、謝罪もしていない。

「一流のアスリートというのは、接触する瞬間に少しでも回避するような行動が起こせるものだ。残念ながら、スニガはそれをしなかった。極めて野蛮な行為で、とても許されるものではない」

 ブラジルのコメンテーターはそう批判していた。反則の応酬で、熱くなりすぎた選手が"敵エースを潰さなければならない"という衝動を抑えきれなかった、というのが実情だろう。

 ピッチでいかに振る舞うべきか。

 そこに正解はないのかもしれないが、自分はこうあるべきだ、というのだけではなく、敵の選手へのリスペクトも欠いてはならない。それが万国に共通する一流フットボーラーの条件ではないだろうか。

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki