『フライングガールズ 高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦』(松原孝臣/文藝春秋)
先駆者の山田から、17歳の世界王者、高梨沙羅まで、日本女子の成長の物語。

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「女の子なんか飛んでいいのか」
「ジャンプはサーカスじゃないんだよ」
「女の子がジャンプなんかしていたら、将来、子どもができなくなる」
これらは全て、わずか20年前、15年前まで、スキージャンプの世界で当たり前のように使われていた言葉だという。

そして2014年、ソチ五輪で初めて採用された女子スキージャンプ。
初代女王を期待されながら、まさかの4位に終わった高梨沙羅選手が、試合前のコメントで何度も口にした言葉があった。
「先輩たちが何もないところから作り上げてきて、やっとできた舞台に立てる」
「女子ジャンプの先輩方のためにも最高のジャンプをしたい」

その「先輩たち」こそ、冒頭の失礼な言葉を浴びながらも女子ジャンプという競技を立ち上げ、切り開いてきた女性ジャンパーたち。
そんな彼女たちの20年戦記、ともいうべき奮闘の轍を追ったのが、『フライングガールズ〜高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦』【Kindle版】(松原孝臣/文藝春秋)だ。

本書を読んで驚かされるのが、わずか15年前まで、女子ジャンプという競技自体が存在していなかったという事実だ。
20年前までは、女子が飛ぶ、という行為すら許されていなかった。

そこに風穴を開けたのが、日本女子ジャンプのパイオニア、山田 いずみ。
現在の日本女子代表コーチであり、高梨選手のプライベートコーチも務める人物だ。
彼女が中学1年だった1992年1月5日、宮の森ジャンプ競技場で開催された雪印杯で、女子選手としてはじめて、ノーマルヒルの公式大会に出場を果たした。

だが、実際に会場でジャンプするまでには、紆余曲折があった。
当時、女子が試合に出場できる規定がなく、あくまでも特例としての出場。しかも、一度は出場を認めておきながら、スターティングバーに腰掛け、まさにスタートしようとなってからも運営本部から「待った」がかかり、再協議をした上でようやく飛ぶことができたというドタバタぶり。

「大会の前日の公式練習で、ふつうに宮の森のジャンプ台で飛んでいたんですけどね」という山田のコメントも読むと、責任を取りたくない大人の身勝手ぶりも垣間見えてくる。だが、これは日本だけの事情ではなかった。当時は国際スキー連盟においても、競技規則でジャンプの女子種目については設定されていなかったのだ。

しかし、山田の挑戦が狼煙となったかのように、その後、日本各地で孤独にスキージャンプに挑んでいた女子選手が集まり、ひとつの集合体を作り上げていく。
そして、スポンサードしてくれる会社、私財を費やしてまで親身になってくれるコーチなど、彼女たちを支えよう、応援しようという輪も徐々に拡がりを見せていく。
さらには、1999年に女子ジャンプの初めての国際大会が開催され、その「外圧」によって、ようやく日本国内でも女子選手への見方、環境整備が変化していく。
果たして、試合数が増え、競技人口も増えれば、競技レベルも高まるという好循環。
その一歩一歩踏み固めてきた道に現れた天才少女が、高梨沙羅選手だったのだ。

本書を読んでから今回の五輪結果を見ると、まるでデジャブのような歴史があったことを知ることができる。
2009年に開催された、女子ジャンプにおける初めての世界選手権。
その大会で、メダル最有力といわれていたのが、先駆者・山田選手だった。
ところが、結果は全36選手中25位。日本人選手の中でも一番低い成績に終わってしまったのだ。

「大会への思い入れが強すぎたのかもしれなかった」と悔恨する山田。
その一方で、大会前にはこんな言葉も残していたという。
「自分のためであることにプラスして、日本の女子ジャンプのこれからのためにも、いい成績を残したいと思っています」
冒頭で紹介した高梨選手の言葉(女子ジャンプの先輩方のためにも最高のジャンプをしたい)と、まるでコインの表裏のようでもある。

“これから”のために飛んだ山田。
“これまで”を背負って飛んだ高梨。
両選手とも、本番では普段の力が出せずにメダルに届かなかったのは、背負っていたものが重すぎたからだろうか。

本書では、今回の五輪ジャンプ競技で解説を務める、元日本代表・原田雅彦の言葉が紹介されている。
「ジャンプはいろいろと理不尽なことがある競技じゃないですか。風がよければ飛べるし、だめなら飛べないし、そういう運、不運がある。自分の力でどうしようもないことってあるわけです。だから結局は、ジャンプは自分との戦いなんです」

高梨選手が過去や周りの期待を背負いすぎず、真に自分のためだけに飛べるようになったとき、今度こそメダルが近づいてくるのではないだろうか。
そしてその時、女子ジャンプという競技は、今以上にポピュラーなものになっているはずだ。
(オグマナオト)