本日公開された映画『黄金を抱いて翔べ』の監督・井筒和幸が、10月17日に交通事故で亡くなった若松孝二監督への惜別の思いをラジオ番組で語った。

11月2日放送の『井筒とマツコ 禁断のラジオ』(文化放送)に出演した映画監督・井筒和幸。自身が25歳の時に出会った若松孝二監督との思い出を語り出した。

井筒監督は、自身の作品『熱くて深い交わり 肉色の海』(1978年)というピンク映画の配給先が決まらなく困っていた頃、若松監督に相談したことがあった。若松監督はすぐさま配給会社に電話して「俺のより10倍エロい映画だから」と猛プッシュし、その場で配給の約束を取り付けたというのだ。井筒監督はこの映画がきっかけでその後も数々の作品を撮るようになり、若松監督を「恩人中の恩人」、「心の師匠」と感謝していた。

宮城県出身の若松監督は、上京後に様々な仕事を経験しながら映画のロケの手伝いをしていたそうだ。その後、自らも映画を撮りたいと映画監督になっていく。若松監督は当時、セックスシーンを撮りたいからピンク映画を撮っているのではなく、映画を撮りたいから撮っていると語っており、その作品作りの魂は若き頃の井筒監督に影響を与えている。

死ぬまで映画を撮ると言っていた若松監督だけに、突然の死に「おとっつあん、なんで死んだの」と悲しみを露わにする井筒監督。だが、この度のことで「命の儚さまで教わった」とも語る。毎回、自分の作品の公開時には若松監督に観てもらっていたので、今回の『黄金を〜』も観て欲しかったと惜別の思いを口にした。“ピンク映画”から“社会派映画”へ、日本映画そして日本の文化を世界に知らしめた名監督、若松孝二監督の御冥福をお祈りいたします。
(TechinsightJapan編集部 佐々木直まる)