感覚・体験を共有する タッチ・インターネットが拓く未来(5)【テレスコープマガジン】
ライフジャケットのような服が ぎゅっと体を締め付けると、まるで誰かに抱きしめられているような気分になる。これは、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科のエイドリアン・チェオク(Adrian Cheok)教授が開発した、遠く離れた者同士でハグする「ハギー・パジャマ」という装置だ。チェオク教授は、触覚を始めとする五感を使ってコミュニケーションを行う「タッチ・インターネット」の研究を進めている。ネットで感覚や体験を共有できるようになった時、はたして社会はどう変化するのだろう。
──日本人、特に地方の人は、生まれ育った土地に執着する傾向が強いように思います。
ローカルは、重要なキーワードです。小さな町や村に住む高齢者もそこにいながら別の場所の体験を得られますし、逆に都会の人が田舎を体験することもできるでしょう。
なぜ多くの人々が故郷を離れて東京に来るかといえば、仕事があるからです。しかし、その場にいるという感覚を得られるなら、田舎に住んだまま、東京やニューヨークの仕事をすることも可能になります。
タッチ・インターネットによって、人々はよりローカルになれるでしょう。
このような変化はすでに始まっており、例えば米国のヒューレット・パッカード社内には、社員のデスクがありません。会社にあるのは顧客などと打ち合わせるためのテーブルだけで、社員は自宅でもスターバックスでもどこで働いてもかまわないのです。仕事の合間に、子どものスポーツの試合を見に行くことだってできます。ただし、いつでもどこでも働けるということは、24時間働くということにもなりえますから、バランスを取る必要があるでしょう。
このような変化は、私たちをより人間的な状態に戻すのではないかと考えています。農場で働いている人は、9時〜5時で働いているわけではありませんね。すべきことをやったら、それで仕事は終わりです。
朝9時から夕方5時まで(日本ではもっと長いでしょうが)働く暮らし方は、産業時代になってからのものです。工場のラインを動かすには、みんなが決まった時間に働く必要がありました。
今日の先進国社会では、大多数の人々はもはや工場では働いていません。なのに、どうして工場のために決められた時間でみんな働いているのでしょう? タッチ・インターネットは、社会が脱工業化に向かう助けになるでしょう。
──脱工業化時代になると、運輸業や製造業などの産業が縮小することは避けられません。タッチ・インターネットは、新たな産業領域を生み出すことにつながりますか?
歴史は繰り返します。1970年代には、米国でテレビが製造されていましたが、今では誰も作っていません。その代わり、ITなどのまったく新しい産業が生まれました。同じことは、日本でも起こりつつあります。
日本は非常に強い文化的な力を持っており、世界的にも日本文化は注目されています。
今、寿司の握り方を学びたいと思ったら日本に来て修行をしなければなりませんが、タッチ・インターネットが実現されれば、ネット経由で世界中の人に寿司の握り方を教えることだってできるでしょう。剣道の得意な高齢者が、ネットで剣道を教えることだってできるかもしれません。新たなサービス産業が生まれることでしょう。
こうした体験型産業は、経済を活性化させると思います。それは、スケールアップが可能だからです。東京には世界で最も多くのミシュラン三つ星レストランがありますが、レストランに来るお客の数はたかがしれています。しかし、触覚や味覚、嗅覚を含む体験ならば、世界中を相手に、何百万人 に売ることも可能です。
味覚や嗅覚をネットで伝える
──味覚や嗅覚をネット経由で伝えることはできるのでしょうか?
今、私たちは味覚、嗅覚のインターフェイスの研究を進めています。味覚、嗅覚は、脳内の感情を司る部分に直結しているとても重要な感覚です。
研究の1つでは、舌の上に電子機器を載せ、味覚受容体を刺激するという実験を行っています。味覚受容体が刺激されると、脳で味を感じるのです。現在、単純な酸味、塩味、苦味、そして甘味を作り出すことができています。味覚については、電気刺激と同時に舌の温度などもコントロールする必要があります。現在私たちが行っている研究は、1970年代に行われた医学実験をベースにしており、まだ初歩的な段階です。味覚の効果も1〜2秒程度しか続きません。
[図表4]味覚を再現する装置。温度や電気的な刺激を舌の感覚細胞に与えると、ユーザーは刺激に対応した味を感じる。
(つづく)
記事提供:テレスコープマガジン
■関連記事
感覚・体験を共有する タッチ・インターネットが拓く未来(1)
感覚・体験を共有する タッチ・インターネットが拓く未来(2)
感覚・体験を共有する タッチ・インターネットが拓く未来(3)
感覚・体験を共有する タッチ・インターネットが拓く未来(4)