AKANE LIV(撮影:野原誠治)
 昨年10月、幕張メッセにて行われたヘヴィメタルの祭典「LOUD PARK 09」にデビュー前にして出演を果たし、12月にデビューアルバム「DOUBLE MOON」を発売した日本初のシンフォニック・メタル・プロジェクト、LIV MOON。3月3日には東京・shibuya O-EASTにて待望の初ワンマンライブを控える中、元タカラジェンヌや声楽留学という異色の経歴をもつヴォーカル、AKANE LIVに話を聞いた。

――元タカラジェンヌや声楽留学など異色の経歴をお持ちですが、小さい頃はどんな女の子だったんですか?

AKANE LIV:スウェーデンにいた頃はすごく自然に囲まれた中で、本当に伸び伸びと育ちました。幼稚園の隣がもう森なんですよ! ランチタイムになると、みんなでリュックサックを背負って森の中に入っていって、切り株でサンドウィッチを食べたり。遊ぶ場所もものすごく広い校庭ぐらいの所に木で出来た家があって、一人一つ家を持って遊べるぐらい。家から幼稚園までは、母がソリに私と弟を引っ張って連れて行ってくれました。

小学校2年の時に、私だけ家族より先に日本に来て、お婆ちゃんの家に預けられたんですけど、スウェーデンと日本の文化の違いにカルチャーショックを受けて、ギャップにかなり苦しみましたね。学校指定の服がないと授業に参加できなかったり、スウェーデンと全く違う学校教育だったので。スウェーデンの学校は黒人もアジア人もさまざまな人種がいましたが、日本に来るとそうではないので、小学校で一人だけ「外人だ」「ハーフだ」っていうのは言われることがありました。その影響で、社交的じゃなくなっていた時期も結構あったと思います。母と電車に乗ると、母は日本人だから一緒にいたら日本人の血が混じっているのを分かってもらえるだろうと思って、母から離れないようにしたり。かといって、登校拒否ということもなく楽しんではいたんですけど、どこかで自分が出せなくなっていた所があったかもしれません。

そんな時に宝塚のステージを観て、「自分も宝塚に入りたい」と強く思うようになりました。小・中・高とずっとバレーボールをやっていたんですけど、宝塚に入るんだったらバレエとか歌をやらなきゃいけないことを知って。ただ、母は宝塚に入ることに反対で「バレーボールの道に進みなさい」という感じだったので、もうそれからは一人で動かないといけなくなって。一人で買い物も出来なかった子が、自分でバレエ教室を探して、電話して行くようになったので。そこから、自分のやりたいものは自分でいかなきゃ手に掴めないことを学びました。

――その頃に大体、自分の人格が形成された感じですか?

AKANE LIV:そうですね。元々スウェーデンの時もこんな感じだったんですけど、この辺りからまた自分に戻っていけたというか。でも宝塚に入って、また横一列みたいなものはあったんですけど(笑)。私はハーフで顔が派手だったので、同じお化粧をすると化け物みたいになっちゃうので、なるべく薄くしたり(笑)。ただ、宝塚はみんなが揃えることで成立する舞台だったので、そのことはいい勉強になりました。

自分の声域は本来、高いソプラノなので、シンフォニックメタルで得意なソプラノが歌えるのはすごく楽しいです。それに宝塚で男役をやっていたことによって鍛えた低音も惜しみなく使えますし(笑)。シンフォニックメタルの世界観も魔女だったり、ちょっと変わった世界というか、人間ではない部分も楽しく演じることもできるので。今までやってきたことを生かしつつ自由になれる、本当に自分にとても合ったジャンルを見つけられた感じで。そういう意味では、今の私が一番自由ですね。