お腹に力が入らない…ALS告知されたニャンちゅう声優が開腹手術後に恐れる「声が出るのか」
声はなぜ出るのだろうか。
科学的に言えば、肺から出る空気を、呼吸筋や腹部の筋肉などを使ってコントロールし、その呼気が声帯を振動させるのだという。発声中には腹部の筋肉が活動することが研究で確認されている。
では、声優やアーティストのような素敵な「声」はなぜ出るのか。
医学研究の論文の中に、25人の健常な歌手を調べた研究がある。発声を持続するときに腹部の筋肉、とくに腹横筋などが動員されており、研究者は腹部周辺の筋肉が「パフォーマンスする声」を支える役割を持つとつづっている。
つまり「腹部周辺の筋肉」がパフォーマンスのためにとても重要なのだ。
2019年3月に突然転び、検査入院の末、9月にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された津久井教生さんは、告知された当時、ニャンちゅうの声をはじめ、ちびまる子ちゃんの関口くんなどの声優として活躍しながら、舞台にも立っていた。ニャンちゅうの独特な声は、津久井さんがオリジナルで作り上げたもので、「ニャンちゅうの声の物まね」まで出るほどだった。そして告知されてもなお、2022年10月に羽多野渉さんにバトンタッチするまで、ニャンちゅうの声を出し続け、30年もの間演じ続けたのだ。
しかし、実はALSとは別に「声が出るのか」と不安になることがあった。それが2019年、ALSの検査入院の過程で発見された大きな腫瘍の切除手術だった。
津久井さんが最初は手でタイピングして、手が動かなくなったら口に割り箸をくわえて、それができなくなったら視線入力で綴った原稿60万字を14万字に編集し、加筆修正をして刊行した著書『ALSと笑顔で生きる。 声を失った声優の「工夫ファクトリー」』より抜粋してお届けする第8回は、25センチにわたって開腹した手術の後の話。
「声優の声」は出るのか
さて、手術後、声は出るのでしょうか。担当医に話を伺ったとき、たしかに返事の「はい」と、お礼の「ありがとうございました」を無意識で口にしました。そのときに「あっ、声が出てる」とは思ったのですが、会話上の反射の言葉であって意識的にコントロールした音声ではありませんでした。
無事に腫瘍摘出手術が済んだことは嬉しかったのですが、すぐにでも「声」の確認をしたいと思いました。そのために手術前に決めていたことがありました。
事前に、手術後麻酔が切れると強い痛みに襲われる可能性もあると聞いていたので、まだ麻酔が効いているうちに「声」を試そうということでした。術後の痛みが伴うと、正式な確認ができないと思ったからです。麻酔の影響もあるかとも思ったのですが、私はすぐにでも「音声の無事」を確認したかったのです。
そう思って体に指令を出そうとすると、いろいろなことに気がつきました。なにより困ったのが「お腹に力が入らない」ことです。考えてみると、予定よりも十センチオーバーの切り傷がお腹を横断しているのです。腹斜筋が連動していないのに、いつも通りの感覚があるはずがないのです。この状況では、脱力したまま声帯を震わせるしかないようです。はたして声は出るのか? ……というよりは、「この状態で声が出るか確認して、あわよくば出るようにしてしまおう」という感覚で実践することにしました。
声帯が震えたぞぉ~っ!
音声を出すときの基本的なシステムは、「呼吸」「共鳴」「発声」を連動させて実践することです。AMG(アミューズメントメディア総合学院)東京校等で25年以上講師をさせていただいてきたボイストレーニングの知識が生かされた瞬間でした。麻酔が効いていてまだ体全体が脱力状態であることが、逆に良い状態だと考えることにしました。つまり、余計な力が入らないことを利用するわけです。
いきなり声を出すのは当然NGです。まずはベッドに横になったままゆっくりと口を開けて、無理のない声帯の広げ方で「あ」の音声の呼吸をしました。「声を出す体勢」で呼吸をするのです。音声は当然聞こえません。次にその呼吸で「はぁ~~~っ」というため息のような音を共鳴させてみて、喉に違和感がないかを数回確認します。その上で、「はぁ~~~っ」の呼吸の上にそぉ~っと「あ~~~っ」の声帯振動を重ねていきました。
「はぁ~~っ……あぁ~~っ……ああぁ~っ……あああ~~っ!」
声帯が開き気味で声がかすかにかすれているけれども……声帯がしっかりと震えるのを感じました。骨振動の感覚もしっかりとあるし、空気振動(耳から聞こえる音)の「あ」の音も意外とぶれていません。良い感じに声帯は震え始めているようです。脱力したままですが、少しずつ大きく口を開けてボリューム(声量)をアップしていきます。完全に空気振動と共に骨振動も合わさっての「あ」の音が耳に飛び込んできました。続いて同じように「い」「う」「え」「お」の母音ものせてみます。「うん、大丈夫だ」多少の修正はありましたが、母音OKです。手術成功と同じくらいに「ホッ」と安心しました。
「津久井さん、声出ましたね」
そのとき「津久井さん、声出ましたね」と声をかけてくれたのは、検査入院のときにお世話になっていた作業療法士(OT)の方でした。そういえばこの場所は広めの、手術後に待機する集中治療室。ゆっくりと声出しを始めた頃に、何人かの方が足元の方を通っていった気配は感じていました。一応声量を控えていたつもりだったのですが、加減がきかなかったようです。
「声を聞いて津久井さんだってわかりました」
手術をしていたのを知っていて様子を見に来てくれた上に、私の声に気がついて引き返してきてくださったのです。
「ありがとうございます。声帯は大丈夫そうです」と言うと、「ですよね。この待機部屋であれだけ大きな声を出す人はいませんから(笑)」。
「あっ、そうですよね。すみません(やっぱりうるさかったか……)」
「ほどほどにお願いします。でも良かったです、リハビリもすぐに始められそうですね」
「ええ、そのつもりです」
短い会話でしたが、ものすごく安心しました。OTの方に様子を見ていただき、術後の容体が悪くないことを告げられたわけですから。
もっと声出しをしたかったのですが、やめておくことにしました。すぐ隣には手術直後の方もいらっしゃる病院だということを忘れてはなりません。ただ、「迷惑になると思えるくらいの声が出た」ことで一気にテンションが上がりました。後は傷口の影響をしっかりと把握して、「声」をコントロールできるようにリハビリをし、「ニャンちゅうの声」などの、体で支えるキャラクターの声が出せるようにしていくだけです。そしてALSにどのように影響しているかも、しっかりと見ていかなければならないのでした。
「ニャンちゅうの声」は出るのか
12月12日に腫瘍摘出手術をして、順調なら2週間くらいで退院できると言われていましたが、ALSであることと思ったよりも大手術になったことで、3週間くらいの入院予定に変更となっていました。そうなのです。2019年から2020年へと年をまたぎそうな予定なのでした。お腹の張りも見事に取れて、声を出しやすくするための体のひねりの運動も、飛躍的に可能な状態になりました。前屈運動や上体そらしも、お腹の傷口のためにもやった方がいい運動だと説明を受けていたので、後は体調に合わせてやるだけです。
肝心の「声」への影響はどうでしょう。キャラクターボイスを出す以前に、思った以上にお腹を切ったことで腹式の発声のコントロールが危うくなりました。お腹を横断するように切開して腹斜筋が断裂しているのですから仕方のないことですが、普通に出す声でも、普段いかに腹筋で支えているかを改めて実感しました。
ニャンちゅうの声は、声帯を開放し、お腹と背中の間で支える感じでビブラート(声の振動)で作ります。術後、担当医に「予定よりも大きく切開しましたので、大事を取ってお腹に思いっきり力を入れるのは数日待ってください」と言われていたので、声帯振動の「あ」の音だけをしっかりと出す練習をして備えていました。
声出しにOKは出るのか
いよいよ声出しOKかどうかを判断してもらう日が来ました。傷口を診ていた担当医は、「ドレーンも抜けて傷も落ち着いていますし、腹筋運動は駄目ですけれども声を出すのは大丈夫だと思います」と言ってくれました。OTさんに付き添ってもらって、地下のリハビリルームにやってきました。呼吸から入って、「あ」の音声を鼻腔共鳴させて音量を膨らませ、ビブラートで震わせていきます。しっかりと背中とお腹で支えて「あ~~~っ」から徐々にひずませます。
「゛あ゛ぁ~っ、゛あ゛あ゛あ~~~っ」大丈夫です、「ニャンちゅう」のキャラクターボイスが出ました。
あとはこの声で長くしゃべること&演技することができる体力を戻すことです。これはリハビリを頑張れば問題なくクリアできるはずです。腫瘍摘出手術はうまくいったようです。あとは手術のALSへの影響を見ながらのリハビリが始まるのです。
◇声は無事に出た。しかし手術後の「体の回復」も大切だし、告知を受けたALSとも向き合う必要がある。後編「機能低下と回復する箇所が…ALSを告知された声優が腫瘍摘出手術のリハビリで抱いた「複雑な思い」」にて詳しくお伝えする。
