中田ボタンさんが死去 78歳 元祖“アイドル漫才師” ステージ4肺がんで「余命3カ月」から闘病7年
漫才コンビ「中田カウス・ボタン」の中田ボタン(なかた・ぼたん、本名藤長明=ふじなが・あきら)さんが14日、死去した。78歳。香川県出身。葬儀は家族のみで済ませた。2019年2月にステージ4の肺がんであることが発覚し、闘病していた。ダウンタウンの浜田雅功(63)が大きく影響を受けたほどのツッコミの名手だった。
ボタンさんが最後に姿を見せたのは今年4月に出演した落語家・桂小文枝のYouTubeチャンネル。「体調は万全やがな。一時期は息切れも咳もして悪い時もあったけど、今は全然大丈夫。こないだも1万8000歩ぐらい歩いたわ!」と元気な様子を見せていた。
19年のがん発覚時には手術ができない状態で、関係者によると「余命3カ月」だと周囲に話していた。その後、抗がん剤による治療で体調が劇的に回復。それでも芸能活動再開するまでには至らず、23年1月に吉本興業に契約解除を申し入れた。関係者は「体調は本格的に漫才をできるまでには戻ってない。けじめをつけたかったんだと思います」。これが事実上のコンビ解散となった。
大阪・大正区で育ち、子供のころからケンカに明け暮れた“悪ガキ”だった。19歳の時、漫才師を目指して大阪でバーテンダーをしていた中田カウスと知り合い、1967年に中田ダイマル・ラケットの門下生となった。同年「中田カウス・ボタン」としてデビューし、“アイドル漫才師”として女子高生ら若者の人気を獲得すると「追っかけ」が発生した漫才コンビ第1号とされている。
80年代の漫才ブームのさなかには劇場を中心に活動。88年に賭博容疑で逮捕されるスキャンダルもあったが、話芸に磨きをかけて91年に上方漫才大賞を受賞。ボタンさんは事業に失敗して多額の借金を抱えたことから“吉本一の借金王”と呼ばれ、“吉本一の実業家”といわれる相方のカウスと借金話をネタにしていた。
ツッコミの技術は高く評価されており、デビュー直後の浜田が舞台袖から見て研究していた。コンビ結成時はお笑い知識は全くなくゼロからのスタートで「相棒は師匠みたいなもん。若い時からついていくのが大変で、ボクのはツッコミではなくガムシャラ」と語っていた。
コンビは上方漫才大賞を3回受賞。2014年に上方漫才協会の会長にカウス、副会長にボタンさんが就任。若手の指導役としても腕を振るった。
中田ボタン(なかた・ぼたん)本名藤長明。1948年(昭23)4月12日生まれ、香川県小豆島町出身。中田ダイマル・ラケットに師事し、1967年3月に中田カウスとコンビを結成。69年に吉本興業入りし、71年に上方漫才大賞新人賞。91年、01年、05年に上方漫才大賞を受賞した。

