「人生最大のピンチだった...」亀田興毅が明かした「プロモーターとしての苦悩」と「父への思い」
苦労続きのプロモーター業
「一連の騒動において、ご迷惑とご心配をおかけしたことを深くおわび申し上げます」
5月25日--亀田興毅(39)は報道陣の前で深々と頭を下げた。元世界三階級王者は焦燥しきっていた。
引退から11年。‘22年からプロモーターとして活動し、31の興行を開催した。
だが今年5月、興毅がプロモートするボクシング興行「SAIKOULUSH」のキルギス大会が資金難により中止となった。24年から組んでいた「LUSH」社が突然、業務提携を解消したのが原因だった。
6月に愛知で予定されていた興行も中止の危機に直面したが、「ABEMA」の親会社である「サイバーエージェント」社の出資により、なんとか開催にこぎつけた。
「金策に走り回った」という興毅は、冒頭のように報道陣の前で謝罪。時折、言葉を詰まらせ、「言葉では言い表せないほど……本当に感謝しても感謝しきれない」と涙ながらに感謝の意を述べた。
興毅は今、何を思うのか。一連の騒動、プロモーターとしての矜持、自身が描く今後のボクシング界について聞いた。
--「亀田プロモーション」の代表を務めながら、プロモーターをしています。日々、どんなスケジュールを?
「大阪と東京の2拠点生活です。朝の9時頃にオフィスに来て、新聞を読んだり、株の変動をチェックしたりしてから、打ち合わせや営業に出かけています。騙されて7億円もの負債を抱えてもうたから投資はこりごりやけど、『キオクシア』の株の変動なんかはやっぱり気になりますよ(笑)。夜はほぼ100%、会食が入っている。他業種とか幅広い層の方と接して、いいことは取り入れようと意識してる。朝から晩までずっと仕事をしています。ただ、家事や育児は奥さんに任せっぱなしで、家庭内では何もできてへん(笑)」
--21期目を迎え、複数の社員を抱える企業の代表でもあります。経営者としてのスキルはどのように学んだのか?
「ボクサー時代、おカネのことはほとんど税理士任せでした。引退後に経営者の方との付き合いが増えていくなかで、イロハを教えてもらった。決算書の見方から勉強を始めて、知識が増えるにつれて経営に興味が出てきました。自分ね、1つ興味を持ったら集中して突き詰めてしまうところがあるんです。例えば『ドラクエ』をやると、レベル99まで上げないと気が済まないというような。今も日々勉強中ですよ」
--プロモーターを始めて約4年になります。ボクシング界では「興行は儲からない」と定説のように言われていますが、実際にはどうですか?
「動くおカネが大きいし、関わる人も多いから、世界戦の興行なんかは、『ABEMA』や『Amazon』、『U-NEXT』のような大手動画配信サービスに頼らないとペイできない。それが現状です。プロモーターの仕事を一言でいうなら、『いかにおカネを引っ張ってくるか』。
興行をやり始めるとホンマにいろいろあった……。最初の興行から数百万円単位の赤字。コロナ禍で入場制限もあるし、スポンサー営業も苦労しました。『ボクシングは階級制で、世界共通のルールがあるスポーツであり、他の格闘技とはここが違う』と、丁寧に時間をかけて説明していく必要があったので。ただこの経験も、ボクシングの認知度や現在地を知るうえで勉強になった」
「親父のおかげで今がある」
--「SAIKOULUSH」のキルギス興行中止やそれに伴う一連の騒動でかなり批判されました。愛知大会が中止となっていたら、ライセンスの資格停止処分となる可能性もありました。
「現役時代、亀田ジムのライセンスだけではなく、ボクサーライセンスの更新も拒絶され、兄弟全員が日本での試合が実質、不可能になった。JBC(日本ボクシングコミッション)の職員が暴行・監禁・恫喝恐喝を受けたと虚偽の発言を行い、亀田ジム関係者4人に対して損害賠償を求める訴訟を提起されたこともある(亀田ジムが勝訴)。
ですが、今回が人生で最大のピンチでした。ストレスから頭皮が薄くなり、沙悟浄のような頭になりましたよ(笑)。サイバーエージェントをはじめ、助けていただいた方々には本当に感謝しかないです。
いまは、外部からの批判に感情を揺さぶられることなく、自分のやるべきことに集中しています。気にする時間がもったいないから、ただ前向きに次の興行のことを考えています」
--「LUSH社の突然の提携解消により、資金繰りが苦しくなった」ということでしたが。
「そういう側面もありますが、LUSHとの提携によって多くの世界戦を打てたことも事実。感謝している面もあります。世界戦開催によってプロモーターとしての亀田興毅の名前が売れて、経験を蓄積する契機にもなりましたから。今後はこの経験を活かして、地に足をつけて、「3150FIGHT」というコンテンツを育てていきたい」
--1度は袂を分かった日本のボクシング界に戻ってきた経緯を教えてください。
「JBCとの裁判が終わったこと。そして、そのタイミングで親父が作った『KWORLD3』というアマチュアボクシングジムを引き継ぎ、新たにプロボクシングジムを立ち上げたことがキッカケです。
親父のトレーナーライセンスを復活させたのは、自分にとっては親孝行の一貫。今の亀田興毅があるのは、やっぱり親父のおかげですから。兄弟との関わり方は年齢を重ねて変わったけど、親との関わり方は変わりません」
--‘25年には、西日本ボクシング協会の会長選にも出馬しています。
「今、日本のボクシング界は各ジムがそれぞれ興行を打っています。そうなると資金力や世界団体(WBA・WBC・IBF・WBO)との繋がりのない地方のジムは、自らが育てた才能のあるボクサーをプロモートできず、結果として大手ジムに選手が流出してしまう。
僕は『育った場所で咲く』ことを当たり前にしたい。所属するジムに関係なく出場できる格闘技イベント『3150FIGHT』というプラットフォームを5年前に立ち上げたのはそのためです。西日本ボクシング協会の会長選挙にも出馬したのも、ボクシング界を改革したいという思いからです。落選しましたけど、選挙で掲げたボクシング界を改革するためのマニフェストが、多くの方に賛同いただいたことは励みになっています」
--プロモーターとしての未来図を教えてください。
「関東一極集中の現状を打破したい。関東以外の地域でも、世界戦やビッグマッチをどんどん仕掛けていきたいです。とはいえ、今はまだその資金力はないので、身の丈にあった興行から始めていきます。
関西や地方のジムに所属する未来あるボクサーを、所属ジムと共にサポートしながら、プロモートしていきたい。現役時代は本当にいろいろありましたけど、ボクシングがあったから亀田興毅がある。ボクシング界に少しでも恩返しになるような取り組みをしていきたい。心からそう思っています」
