〈「睾丸が腹部の3分の1」の動物に衝撃〉ドリアン助川が3、4年悩んだ物語…“下ネタ”から哲学にたどり着くまで

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「睾丸が腹部の3分の1を占める」――。そんな驚くべき特徴を持つ動物の存在を知り、作家で詩人のドリアン助川さんは「これは物語になる」と直感したという。ところが、そこから実際に作品として形にするまでには、実に3、4年もの歳月を要した。

【画像】睾丸が極端に大きく、腹部の3分の1を占めるハニーポッサム(第9話の主人公)

新著『動物哲学物語 ナイス実存』で描かれるのは、一見すると“下ネタ”にも思える動物の生態から始まり、やがて人間の欲望や幸福、生きることそのものへとつながっていく物語だ。なぜ「巨大な睾丸」にこれほど悩み、そこから哲学へとたどり着いたのか。ドリアンさんに、そのユニークな創作の舞台裏を聞いた。

前編

「巨大な睾丸」をどう物語にするか

――ドリアンさんの最新小説集『ナイス実存』において、インパクトが絶大だった動物のひとつにハニーポッサムがいます。リスやハツカネズミに似た小さな有袋類で、最大の特徴は睾丸が極端に大きいこと。腹部の3分の1を占めるというのですから、驚きです。

ドリアン助川 やはり、むっちゃデカい睾丸というのは無視できない、あまりに強烈な個性ですが、それだけではなかなか物語を引っ張っていくことはできません。

ネタギャグで終わらせるわけにはいかないので、この話には随分悩みました。ネタ帳に書き入れてから、実際に執筆に至るまでに3、4年はかかっているのではないでしょうか。

――この物語(第9話「詩の成立点」)は、2匹のハニーポッサムが繰り広げる議論を中心に進行しますが、その話題が「詩はどうやって発生するのか」というもので、睾丸推しからのギャップに意表を突かれました。でも、思えば「詩」は、「叫ぶ詩人の会」というバンドで広く知られるようになったドリアンさんの専門でもありますよね。

ドリアン助川 専門でもないんですけどね(笑)。この物語で重要なのは、ハニーポッサムの生態です。

主食が花の蜜と花粉であるがゆえに、活動するためのエネルギーが極端に少なく、日中は基本的に寝て過ごしていて、時に仮死状態に陥ることもある。夜だけ意識のある彼らが、夜空を見ながら何かを話すといえば――これはもう「ポエジー」おいて他になかろう、と。

加えて、具体的にイメージしていたのは、エミリー・ディキンソンというアメリカの女性詩人の作品です。彼女はある詩のなかで、「玄関のドアの前の枯れた植物に、言葉によって花を咲かせることができる」と言いました。そして、「そうしたことを成せるのが詩人という存在である」とも。

――ドリアンさんにとって、「詩」とはどのようなものなのでしょうか。

ドリアン助川 あくまで私論ですし、必ずしも詩のすべてがそうだというわけではありませんが、まだ見ぬ地平を、言葉によって提示してくれるもの……でしょうか。また同時に、そうして提示されたものを見た人が、「あ、でも、これ知ってるよ!」と共感を生むものでなくてはならない。

少なくとも、僕が詩を書くときには、この2つのことを自身に課しています。そうした自分なりの哲学を、登場人物たちに代弁してもらった格好ですね。

1000キロ泳いだクロコダイルに「実らぬ恋」を重ねた 

――世界最大の爬虫類、イリエワニことクロコダイルが主人公の第8話「クロコダイルの恋」は、小説となる以前から、同名の音楽劇として長らく歌い続けてきたものだそうですね。本書の巻末には、劇中の1曲「逢いたくて」のスコアが掲載されていました。

ドリアン助川 「クロコダイルの恋」は、語りと歌による音楽劇として2008年頃から上演し続けている、僕にとって思い入れの強いレパートリーのひとつです。

イリエワニは、かつて八丈島沖で死体が発見されたことがあるのですが、つまりは生息域から1000キロくらい泳いできたことになる。それだけの距離を泳いだとなると、何か強く追い求める対象がいたのではないか。それは恋する相手だったのでは?――などと想像が膨んでいきました。

また、毎日毎日延々と泳ぎ続けるその姿は、同じ世界や人生が何度も何度も永遠に繰り返されるという、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの「永劫回帰」も連想させます。

この物語の主人公は、実らぬ恋心を胸に死んでいくことになるのですが、ということは相手やこの世界を恨みもしたでしょうし、神に唾吐くような思いもあったはずです。そうしたところから、神を呪い、放浪と破滅的な恋を生きた詩人アルチュール・ランボーの人生を想起したり――そうしたさまざまな想像や連想が融合して、この物語はでき上がりました。

――「神に唾吐くような思い」といえば、生きていれば「本当に神はいるのか?」と嘆いたり、呪いたくなったりする局面というのは誰しもあると思います。この物語を読んで、かつてドリアンさんが書かれた『あん』(ポプラ文庫)という、世界26言語翻訳出版されベストセラーとなった小説のことを思い出しました。

『あん』はハンセン病がテーマの作品で、14歳という若さで罹患し、人生のほとんどを療養施設「全生園」に隔離されて生きるしかなかった高齢の女性が登場します。彼女と交流を持つことになる主人公が、その過去を知り、神の無慈悲さに途方に暮れる場面が強く印象に残っています。

思えば、『ナイス実存』に登場する動物たちは、非情ともいえる自然の理から、時に残酷な最期を迎えることになりますが、それを司っているのも「神」に他なりません。そうした意味でも、「対神」という視点は、今作において非常に重要なテーマだと思います。

ドリアン助川 『あん』は、じつは「クロコダイルの恋」があったから書くことのできた作品なんです。ハンセン病をテーマにした小説を書こうというアイデアは頭のなかにずっとあったのですが、きっかけを捕まえることができぬまま10数年経ってしまっていました。

そんなある日、不登校の子どもたちを支えていたNPO団体の方から、「クロコダイルの恋」のライブをやってほしいとお声がけいただきました。当日、会場に行くと、客席の最前列にハンセン病の回復者の方々がいらっしゃっていた。その縁から、全生園にお招きいただき、取材をすることが可能になったんです。

動物だからこそ「神」を違う視点から描ける

ドリアン助川 じつは僕も、ことあるごとにけっこう神に祈ってしまうタイプなのですが、それは特定の宗教上の神ではなくて、この世界を体現している根本の力に対しての祈りなんです。

宗教上の神は、いってしまえば信仰ごとに存在するわけで、それぞれが自分たちの神を‟絶対”と主張し合う状況を生み出し、世界中で戦争の火種になり続けています。動物を主人公にすることで、人間によって恣意的に作り上げられた「神」という存在を、また違った視点からとらえ直せるのではないかという予感もありました。

――人間を主人公にしたときにはうまく描けなかったものが、動物を主人公にすることで描けるようになる、ということもあると思いますか?

ドリアン助川 あるかもしれないですね。『ナイス実存』には、パンダが金灯籠に乗って天を支えるほど巨大な生命樹を見にいくという物語(第11話「パンダの選択」)がありますが、これを人間でやるのは……なかなか無理がありそうです(笑)。

動物だと、最初から虚構であることが自明なので、現実世界におけるリアリズムに縛られることなく、ダイナミックな表現ができるということはあると思います。

――最後に、〈動物×哲学〉の物語シリーズを2作書き終えた経験から、新たに生まれた関心などがあれば教えてください。

ドリアン助川 あらためて哲学への関心が大きくなり、またいろいろと本を読むようになりました。現象学の大家として知られるモーリス・メルロー=ポンティをはじめ、この年になってもほとんど歯の立たない哲学者の言葉というのがまだまだたくさんありますから、学ぶべきことは尽きません。

今は、物価高に加えて税金やら社会保険やらお金をバンバン取られてしまって、みんな生活が苦しい時代です。もちろん、それらに対してはどんどん声を上げて、改善していかなければなりません。

それは大前提として、一方で私たち人間は、ものを考えるだけでも豊かに生きていける生き物だ、という実感もあります。

僕も60歳を過ぎて、昔のようにバリバリ働いてお金を稼ぐなんてことも難しくなっているわけですが、年を取ったからといってすぐに死んでしまう時代でもない。本当に、どうやって生きていけばいいのか悩ましいところです。

でも前向きに考えるなら、それこそ『ナイス実存』で描いた動物たちのように、さまざまな視点から深くものを考えて、この世の中を新たにとらえ直していくことが豊かな日々をもたらしてくれるんじゃないかなって。

そのためにも、ますます勉強をしなきゃなと思っているところです。もちろん、ゆるゆる教の教義にのっとって、「ゆっくりマイペースで」をモットーに。

取材・文=辻本力 絵=溝上幾久子

動物哲学物語 ナイス実存

ドリアン 助川

2026/6/26

2,200円(税込)

296ページ

ISBN: 978-4797674811

世界的ベストセラー『あん』著者が贈る、動物×哲学の物語シリーズ第2作。揺れ動く今この世界で〈生きる〉とは何か? 動物たちの言葉が私たちを解き放つ。
俵万智さん、推薦!

話題となった『動物哲学物語 確かなリスの不確かさ』から約3年。
シリーズ第2作の舞台は、オーストラリア大陸と、中国、朝鮮半島、台湾、インド、モンゴル、ヒマラヤといったアジア。
それらの地に棲む動物たちの生態に、ユング、プラトン、キルケゴール、ブッダ(釈尊)といった古今東西の哲学をひとさじ。
珠玉の物語20編が私たちの頭と心を揺さぶる。