「昭和が終わったね」伊勢神宮近くの商店街で大規模火災…かつての“子供たちのパラダイス”を襲った悲劇、被災店主が胸中明かす「まだ夢の中にいるみたいな感じでぼーっとしちゃう」

8月31日、伊勢神宮(三重・伊勢市)の外宮からおよそ700m、近鉄・宇治山田駅の目の前にある「明倫商店街」で大規模な火災が発生した。
9月4日、ABEMA的ニュースショーが現地に向かうと、商店街の建物の外壁が焼け焦げ、トタン屋根が剥がれ落ち、窓ガラスが割れていた。火災発生から4日が経っていたが、焦げたような匂いが漂っていた。かつて店が並んでいた場所はアーケードを失い、空が見えるほどの状態になっていた。
周辺を歩くと、燃えた商店街からおよそ200m離れた場所に営業している店を見つけた。「はしもと靴店」の店主・橋本薫さんは火災が起きたまさにその時、商店街のすぐ近くにいたという。見せてくれた動画には、黒い煙と真っ赤な炎が立ち上り、商店街が激しく燃える様子が捉えられていた。
「火が出たのが午後3時15分?17分とか?そのくらい。30分後は全然こんな感じじゃなかった。1時間経ったらこんな感じになっていた。警察が『入るか出るかしてください』と。映画見てるんじゃないかっていうぐらい。本当にもう火がすごくて。思いもよらないことがあるんだなって…」(橋本さん)
昭和24年に橋本さんの父親が明倫商店街に店を構え、のちに今の通りに新店舗をオープン。店の被害は幸いにもなかった。橋本さんは「ご近所の方がガラス越しに、大変そうな顔して指を指していたので、『どうしたの?』と思って店から出たら『燃えているよ』って言われて。最初のうちは商店街でボヤがあったかなっていうぐらいに思っていた。煙もモクモクと出てきていて、すごく火のまわりが早くてびっくりした。熱いんですよ火がまわっちゃうと困るので水をまいた」と振り返る。
「店舗が燃えている」そう消防に通報が入ったのは8月31日の午後3時15分ごろ。周辺の249世帯、528人には避難指示が出され、完全に鎮火したのは発生からおよそ44時間後のことだった。近くの神社では、延焼を警戒した氏子らが大切な品々を運び出す姿もあった。幸いなことに死者やケガ人は確認されていないのは、火災の規模から「奇跡」という声も。
人的被害がなかったのは、高齢化が進み、およそ50店舗あった中で空き家状態となっている店が半分ほどだったこと。そして火災が起きた月曜日は定休日の店が多く、また店舗とは別の場所に住む店主も多く、火災発生時、店に誰もいなかったことなどが考えられると聞いた。
店舗や住宅など58棟が被害を受け、焼損面積はおよそ4300平方メートルと、商店街のほぼ全てが焼け落ちた。警察によると、火元は商店街の入口近くの建物とみられ、当時は空き店舗だった可能性が高いという。
なぜこれほどまでに火は燃え広がったのだろうか。古い木造建物が密集し、建物の間には狭い通路。さらに頭上には、高さおよそ8.5メートルのアーケードがあった。消防の専門家は、アーケードの存在は道路側から建物への消火活動を極めて困難にすると指摘する。
「まず建物自体が古くて、明倫商店街の場合は戦後間もなくの復興の中でできた、応急して作ったような建物が並んでいて、現在の建築基準からすれば満たしてない建物が構成されていたと思う。建物と建物の間に不燃壁など延焼防止の措置がされておらず、一旦燃え出すと延焼しやすい」(日本防火技術者協会・関澤愛理事長)
明倫商店街の歴史は、昭和22年(1947年)戦後の市民市場から始まった。戦後、この地でおよそ60日間「平和博覧会」が開催され、その建設の過程で出た廃材を一部利用し、商店街が作られたと言われる。人が行き交う活気溢れる商店街だった。
当時の賑わいについて、橋本さんは「すごかったですよ。すれ違うのも大変だった時期もありますし。商店街に育ててもらいましたっていう感じだった。お菓子屋さんも大きいのがあって、子供たちのパラダイスでもあった。遠足の前の日は子供たちがすごかった」と語る。
火災の2日前に撮影された写真には、無料でコーヒーを振る舞うイベントも開催されていた。「音楽会をやったりとか。いろいろ自分たちで楽しいことをやって。ちょっとした憩いの場っていうのかな、楽しい場でもあって…すごく残念」(橋本さん、以下同)
幼き日々のパラダイスが炎に包まれる光景を目の当たりにしたのだ。「まだ夢の中にいるみたいな感じで、ぼーっとしちゃう。商店街の皆さんの顔が浮かんでくるっていうか。ある方はもう『昭和が終わったね』って言っていた」。
この町は、沢村賞で知られる伝説のプロ野球選手、沢村栄治氏の出身地。商店街には、偉業を讃える記念碑と特設コーナーがあった。今回、記念碑は火災から免れたが、焼け跡には沢村氏を顕彰する誌面が濡れた地面に落ちていた。
(『ABEMA的ニュースショー』より)
