免許返納した88歳「内縁の妻に会うため」無免許運転→人身事故引き起こす…裁判後は「高齢者施設」入所へ
法廷の被告人席から証言台までは、わずか2~3メートル。その距離を、被告人は小さな歩幅で、10秒ほどかけてゆっくり歩いた。
証言台に立っても、裁判官や検察官の質問がなかなか聞き取れず、何度も聞き返す。被告人は88歳。その姿だけなら、高齢者が被告人となる裁判で決して珍しい光景ではない。
しかし、この日の罪名を考えると、見え方が変わってくる。
男性は3年ほど前、運転免許を自主返納していた。それでも車を手放さず、無免許で運転を続けた末に、自転車と衝突して相手に重傷を負わせたとして罪に問われた。
なぜ、免許を返したのに運転をやめられなかったのか。
大阪地裁で8月18日、道路交通法違反と無免許過失運転致傷の罪に問われた男性の初公判が開かれた。男性は起訴内容を認め、検察側は拘禁刑1年4カ月を求刑した。
法廷では、男性がハンドルを握り続けた理由と、家族もそれに気付けなかった事情が明らかになった。(裁判ライター・普通)
●免許を返納したが「内縁の妻」に会うため運転
起訴状によると、被告人は無免許の状態で、3日連続で普通自動車を運転した。
その3日目、信号のない交差点を時速35キロで直進した際、横断していた自転車に気付くのが遅れた。急ブレーキをかけたものの間に合わず衝突し、被害者に外傷性くも膜下出血や腰椎骨折など、全治36日の重傷を負わせたとされる。
被告人は起訴内容を認めた。
検察官の冒頭陳述などによると、被告人は妻を亡くし、子どもとも別居して一人で暮らしていた。
免許は約3年前に返納していた。しかし、車は処分せず、自宅に残していた。足腰が弱っていたこともあり、移動の便利さや、内縁の妻の家へ行くために、その後も運転を続けていたという。
起訴された3日間の無免許運転は、いずれも内縁の妻宅との行き来だった。
内縁の妻は、被告人がすでに免許を返納していたことを知らなかった。被告人に病院まで車で送ってもらうこともあり、被告人のための駐車場も借りていたという。
事故が発覚してから、被告人は内縁の妻宅へ自転車で通うようになった。
●免許返納を勧めた娘も「無免許運転」に気付かず
情状証人として、被告人の娘が法廷に立った。被告人とは車で15分ほどの距離に住んでいるという。
そもそも免許返納を勧めたのは娘だった。
高齢ドライバーによる事故が社会問題になっていたことに加え、父親の運転が徐々におぼつかなくなる様子を見て、心配になったためだ。
被告人は娘の勧めに応じ、実際に免許を返納した。
ところが、その免許を返納したことは娘に伝えていなかった。被告人は定期的に娘宅を訪れる際にも車を使っていたが、娘はそれが無免許運転だとは知らなかったという。
事故後、娘は被告人の車を処分し、必要なときには自分が代わりに運転すると約束。さらに現在、被告人には高齢者施設に入ってもらう方向で話を進めているという。
●なぜ車を処分しなかったのか
続いて、被告人本人が証言台に立った。
直前まで続いていた娘の証言は、ほとんど聞き取れていなかった様子だった。一方、裁判後に高齢者施設へ入ることについては了承しているという。
免許を返納したのは、やはり娘に心配されたことが理由だった。車については廃車手続きのために連絡をしたというが、それにもかかわらず処分しなかった理由は「記憶にない」とした。
廃車にする意思はあったと説明する一方、その後3年以上にわたって車を所有し続け、税金も「多分払っていた」と供述した。
被告人の記憶は全体的に曖昧だった。
一方、捜査機関では、無免許で運転した理由について「捕まらないと思っていた」「足が不自由で便利さには勝てず」などと供述していたという。
内縁の妻宅へは、趣味のカラオケの集まりがある週に1~2度ほど車で通っていた。現在は自転車で通っている。足は悪いものの、杖を使ったり、自転車に乗ったりして買い物にも出かけているという。
つまり、少なくとも内縁の妻宅への移動に、必ず車が必要だったわけではなかった。
●「便利さには勝てず」運転を続けた末に
検察官は、事故による結果は重大だと指摘。無免許運転を繰り返しており、その危険性が現実化した事故だとして、拘禁刑1年4カ月を求刑した。
日本では、一定の年齢に達しただけで運転免許が失効する仕組みにはなっていない。高齢者の免許返納は、あくまで本人の自主的な判断に委ねられている。
地域や生活環境によっては、車を手放せば日常生活そのものが難しくなる人もいるだろう。
ただ、この被告人に限っていえば、法廷でもう一つ気になるエピソードが明らかになった。
最近、趣味のカラオケをしている最中に体調を崩し、救急車を呼ばれたことがあったという。
なぜ体調を崩したのか。被告人自身、その理由すらはっきりとは覚えていなかった。もし同じことが、車を運転している最中に起きていたら──。
交通事故のすべてを防ぐことはできない。しかし、危険を自覚しながら「まだ大丈夫」「少しくらいなら」と運転を続けた先で事故が起きれば、取り返しはつかない。
88歳の被告人が立った法廷は、その当たり前のようで難しい現実を浮かび上がらせていた。
