8分の距離で救えなかった6歳の命…アカデミー賞ノミネートの衝撃映画『ヒンド・ラジャブの声』監督が語る、ガザの生音声と「傍観者でいられない」私たちの責任

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2024年1月29日、パレスチナ・ガザ地区。銃撃された車のなかに取り残された6歳の少女ヒンド・ラジャブは、救助を求めて70分以上、電話をつなぎ続けた。応対したのは、ガザから遠く離れたヨルダン川西岸ラマッラーにある赤新月社の緊急通報センター。救急車は車からわずか8分の距離にいたが、許可が下りるまで動けなかった。少女はその後、遺体で発見される。

この実際の通話記録をもとにした映画『ヒンド・ラジャブの声』が、9月4日から公開される。第82回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)を含む8冠、第98回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされ、ブラッド・ピットやホアキン・フェニックスらが製作総指揮に名を連ねる話題作だ。監督・脚本のカウテール・ベン・ハニアが初来日し、話を聞いた。

本作は、戦場の光景ではなく、電話の向こうの声を受け続ける人々の側から事件を描く。観客はその場に居合わせ、何もできないまま時間だけが過ぎていく。傍観者ではいられない、その構造こそが作品の核にある。

電話を受け続けた女性は、いま

映画で少女とつながり続けるのは、赤新月社のスタッフたちだ。なかでも長く彼女と話し続けたラナは、実在する。監督は本人に会っている。

「彼女は今も赤新月社にいます。でも、あの通話のあと、電話を受ける仕事からは外してほしいと願い出ました。今はまったく別の、備品を調達するような事務の仕事に移っています」

助けを求める声を受け続け、それでも救えない。その仕事を、人はどれだけ抱えていられるのか。ラナは、その持ち場から離れることを選んだ。一方で彼女は、作品を通じて別の意味も背負うことになった。

「映画を通じて、彼女は殺された救急隊員たちの声にもなりました。亡くなった同僚たちの、顔のような存在に」

つらすぎる声を、フランス語に書き換えた

監督自身も、70分を超える通話の全記録を聴いている。作品づくりは、その声にどう向き合うかから始まった。

「最初に音声を受け取って聴き始めたとき、全部を聴き終えるのに1週間かかりました。彼女の脆い声を、状況を想像しながら聴くのは、何もかもがつらかった」

脚本を書くには、冷静に頭を働かせなければならない。そのために監督が取ったのは、通話の音声を自身にとって第二言語のフランス語に書き起こすことだった。

「アラビア語のままでは悲劇的すぎて、まともに作業ができなかった。フランス語に置き換えることで、少しだけ距離を取れたんです」

作中で使われるのは、彼女が助けを求めて何度も繰り返した言葉の、ごく一部だ。

「彼女の声は一切いじらないと、音の編集者やミキサーと決めました。ドキュメンタリーでは聞き取りやすいよう音を整えることもあります。でも今回はそれをせず、生の録音のまま残しました」

俳優は「演じて」いない

リアリティの核心は、撮影の方法にある。出演者は全員パレスチナ人。実際の通話の言葉を一言一句覚えさせ、本物のヒンドの声は撮影の本番で初めて、俳優のイヤホンに流された。観客を傍観者にさせないためかと問うと、監督はこう答えた。

「ヒンドの声を聴いたとき、私はその場に引き込まれました。俳優にも同じ状態でいてほしかった。映画とは感情だと思っています。だから、演じてほしいのではなく、その瞬間に入り込んで、彼女の声を聴きながら感じてほしかった」

撮影に入る前、監督は俳優一人ひとりを、それぞれが演じる実在の人物と引き合わせたという。両者は連絡を取り合い、長い時間をかけて言葉を交わした。撮影はほぼ一発撮りで、テイクを重ねるのではなく、ドキュメンタリーのように、その瞬間だけを撮った。

「普段は、テイクの合間が空くのは好きではありません。でもこの映画では、毎回長い休憩を取らざるを得なかった。俳優たちが、そのたびに本当に感じてしまうからです」

実際の言葉をそのまま再現することは、記録に忠実である一方で、本物の証言を演技に変えてしまう危うさもある。その問いに、監督は俳優自身の背景を挙げた。

「オマールを演じたモタズは、ジェニンの難民キャンプで育ちました。子どもの頃、すぐ隣で親友の子どもがイスラエル軍に殺されている。俳優になる夢は、自分の民族の物語を語ることでした」

撮影は小さなクルーで、ひとつの場所で行われた。エキストラもまた、チュニジアに逃れてきたパレスチナ難民たちだった。休憩のたびに、それぞれが自分の経験を語ったという。

「モタズは、過去のトラウマから取り乱すこともありました。でも彼は俳優です。怒り、感情を露わにするとき、演じているのではなく、自分の人生を使っているんです」

取り乱す男性、支える女性

映画では、取り乱して動くのが男性たちで、それを収めるのが女性たちだ。この対比は意図した配役だったのか。

「私は何も作り出していません。実際にそうだったんです。カウンセラーのニスリーンには感銘を受けました。みんなが打ちのめされているとき、彼女がいちばん揺るがなかった。不可能な仕事をやり遂げる女性です。パレスチナの女性は、とても強い」

そして監督は、少女の姿を作品のなかでほとんど見せない。観客がヒンドと出会うのは、その声を通してだ。

「ジェノサイドをどう撮るのか、という倫理的な問いがあります。すべてを見せるべきなのか。私はそうは思いません」

カメラが寄り添うのは、惨劇のただ中ではなく、電話越しに耳を澄ませる赤新月社の人々の側だ。

「彼らは、ガザの外にいる私たちと同じ立場です。その倫理的な距離があることで、恐怖を覗き見することなく、それでも今そこで起きていることを意識できると思いました」

それでも、ラストで監督は少女の姿を映し出す。傷ついた姿ではなく、元気だった頃の、ごく普通の女の子として。

「映画とイメージを通して、彼女から奪われた子ども時代を、もう一度返したかったんです」

母は、ガザを出た

少女の母ウィッサムは、ヴェネツィアでの授賞式の時点では、まだ弟イヤドとともにガザにいた。命の危険にさらされる日々だったという。その後、状況は動いた。

「この映画には、力を持つ人々や著名人が数多く関わってくれました。彼らの助けで、母親をガザから避難させることができた。彼女はもう、ガザにはいません」

母は今、思いがけない道を歩んでいる。

「母親は、ガザの子どもたちのためのチャリティーをしています。娘を失った悲しみに沈むのではなく、まだ生きている子どもたちのために闘おうとしている。子を失うことは、母にとってこの上なくつらい。それでも彼女は、別の道を見つけたんです」

「遠いものなど、何もない」

救急車は8分の距離にいたのに動けず、通報センターはガザから遠く隔てられていた。そして日本の観客の多くは、ガザを遠い国の出来事として受け取る。幾重もの「距離」について尋ねると、監督は言い切った。

「地理的には遠いかもしれません。でも今の世界で、遠いものなど何もない。飛行機で10時間、それだけのことです。中東で起きることは世界に影響します。日本も『遠いから関係ない』とは言えないはずです」

政治的な主題を超えて、物語は文化を越えて届く。その例として監督が挙げたのは、意外な一本だった。

「この映画の話をするとき、よく出てくるのが『火垂るの墓』なんです。まったく違う映画だけれど、感じるものは近い。チュニジアにも『火垂るの墓』を愛する人がたくさんいます。距離は、関係ないんです」

動きだした捜査、監督と母の言葉

映画の日本公開を前にした8月19日、事態が動いた。イスラエル国防軍(IDF)が、ヒンド・ラジャブと家族の乗った車への発砲を初めて認め、刑事捜査を開始すると発表したのだ。事件から2年半以上を経ての表明だった。ただし今回の捜査は、救出に向かった救急車をめぐる連携の不備が主な対象で、IDFはヒンドと従姉妹ラヤン(15歳)個人の殺害の責任までは明確に認めていない。

これを受けて監督は8月21日、自身のインスタグラムで声明を発表した。取材では言葉を選びながら穏やかに語っていた監督の、はっきりとした拒絶だった。

「この発表は煙幕に過ぎません」

必要な証拠は、とうに揃っていたと監督は書く。

「2年以上もの間、証拠は存在していました。独立した調査、衛星画像、弾道分析。そして何よりも決定的な証拠がありました。自らを取り囲む戦車について語る、ヒンド自身の声です」

いま捜査の対象に選ばれたのは、国際世論が無視できなくなった事件ばかりだと監督は指摘する。では、名も知られぬまま亡くなった無数の犠牲者はどうなるのか、と。

「今必要なのは、広報活動ではありません。ヒンドと、ガザでのジェノサイドのすべての犠牲者に対する、独立した機関による正義です」

娘の母ウィッサム・ハマダも、8月20日、インスタグラムや各国メディアの取材で声を上げた。閉じた軍の内部調査ではなく、独立した透明な調査と、責任ある全員への説明を求める、と。

「捜査を始めることは、正義ではありません。ヒンドは、単なるニュースのネタではないのですから」

娘は単なるニュースのネタではない。母のその訴えは、スクリーンの外にいる私たちにも向けられている。8分の距離で救えなかった命は、遠い国の記録としてではなく、今この時、何ができるのかという問いとして、観る者の前に残り続ける。

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