「ふざけるな、5億円は俺のものだ!」由緒ある家柄の当主だった父の遺産相続で50歳長男が激怒…一家離散を招いた、遺言書に記された〈謎の印〉の正体【弁護士が解説】
自分で手書きして作成する「自筆証書遺言」には、法律で定められた厳格なルールがあり、氏名の自署と「押印」が不可欠です。では、自身の権威を示すために用いられてきた独自のサイン「花押」は、押印として有効なのでしょうか。本記事では、弁護士法人山村法律事務所の代表弁護士・山村暢彦氏が、総額5億円の資産を残して亡くなった80歳父親の事例から、自筆証書遺言における「押印」の要件を解説します。
遺産5億円の相続…由緒ある家柄の当主だった父の「自筆証書遺言」
地方で代々続く由緒ある家柄の当主、セイゾウさん(仮名・80歳)が息を引き取りました。残された資産は、先祖代々の土地や預金などを合わせて総額5億円にのぼります。
四十九日の法要を終えたあと、長男のユウセイさん(仮名・50歳)をはじめとする3人の子どもたちが実家に集まりました。セイゾウさんは生前、「財産の分け方については、すべて遺言書に書き残してある」と語っていました。
ユウセイさんが金庫を開けると、そこにはセイゾウさんが自ら手書きした「自筆証書遺言」が大切に保管されていました。中身を確認すると、広大な土地と大半の預金を長男であるユウセイさんに相続させるという内容が記されています。
しかし、遺言書の末尾を見た親族たちは首を傾げました。
「この謎の印はなんだ?」…遺言書に記された“権威の象徴”
通常、自筆証書遺言の末尾には署名とともに実印や認印が押されています。しかし、セイゾウさんの遺言書の氏名の横には、筆を使って書かれた複雑なマークのようなものが記されていました。
「この謎の印はなんだ? まあ、父さんは家柄を誇りにしていたし、きっと由緒あるものなんだろう」
ユウセイさんたちはそう納得し、遺言書に基づく相続手続きを進めようとしました。
しかし、金融機関や法務局で手続きをしようとしたところ、「これは印鑑による『押印』ではなく『花押(かおう)』です。自筆証書遺言の要件を満たしていないため、この遺言書は無効になる可能性があります」と指摘されてしまったのです。
花押とは、武将や政治家などが文書に署名する際、自身の権威を示すために用いてきた独自のサインの一種です。セイゾウさんは、ありふれた印鑑よりも、当主としての威厳を示す花押をあえて使用したのだと思われます。
遺言書は無効…「花押」が引き起こした家族離散の悲劇
遺言書が無効となれば、5億円の遺産は法定相続分に従って、3人の子どもたちで均等に分けることになります。
「ふざけるな、5億円は俺のものだ! 父の意思は明確なんだから、有効なはずだ!」
ユウセイさんは主張しましたが、他のきょうだいたちは「法律上無効なのだから、平等に分けるべき」と反発。こうして、遺産を巡る骨肉の争いが始まりました。
権威を示すための花押が仇となり、父の最後の願いが記された遺言書はただの紙切れとなってしまったのです。
結果として遺産は法定相続分で分割されることになりましたが、激しい遺産争いを経たきょうだいの関係は完全に修復不可能となり、家族は離散してしまいました。
自筆証書遺言において「花押」による押印は、本当に認められないのでしょうか。
【弁護士が解説】本人の意思確認ができない自筆証書遺言の厳格な要件
自筆証書遺言は、自分だけで作成できる便利な制度である一方、法律で定められた方式を満たさなければ、本人の意思が明確でも遺言として無効になる点に注意が必要です。
実際、最高裁は平成28年、遺言書に印鑑ではなく「花押」を記していた事案について、民法が求める「押印」には当たらないとして、遺言を無効と判断しています。
遺言は本人が亡くなったあとに効力が生じるため、その時点では本人に「本当に自分で作ったのか」「この内容で間違いないのか」を確認できません。そのため、法律は作成方法について一定の形式を厳格に要求しており、「花押」は押印として認められませんでした。
本件のように5億円もの財産があり、特定の相続人へ多く承継させたいという明確な希望があるのであれば、形式面で無効となるリスクはできる限り避けるべきです。
自筆証書遺言を作成する場合でも専門家に形式を確認してもらう、あるいは公正証書遺言を利用するなど、「内容」だけでなく「確実に有効な遺言を残す」という視点が非常に重要といえるでしょう。
山村 暢彦
弁護士法人山村法律事務所
代表弁護士

