企業にとって創業の理念は、なぜ大切なのか。『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱』(NewsPicksパブリッシング)を出した経済ジャーナリストの財部誠一さんは「たとえばスポーツ用品メーカーであるアシックスには、創業者の精神が脈々と社内に息づいている。そしてそれが、企業の復活に影響を与えた」という――。

■レース名を伏せた正月の意見広告

2022年元日。正月早々、全国紙に挑戦的な意見広告が躍った。

わたしたちは、
何度でも起き上がる。

2021年1月。
レースから、アシックスのシューズが
姿を消した。

たとえ何度負けようとも、
わたしたちは前を向く。
前に進むことは、苦しいことの連続だ。

けれど、走ることと向き合うことを決して諦めない。

誰よりも真剣に、走りと向き合う。

負けっぱなしで終われるか。

BEAT YOUR BEST.

打ち破れ、自分の限界を。

レース名は明かされていない。しかし、「2021年1月。レースから、アシックスのシューズが姿を消した」と読めば、多くの人が「ああ、去年の箱根駅伝のことか」と察しがつく。

負けた相手にも触れてはいないが、何度もアシックスに苦汁を飲ませた相手がナイキであることは明白だ。

読者の認識を頼りに、いわないことでメッセージを伝える「沈黙の修辞」というべき広告表現である。

写真=iStock.com/Yuuji
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuuji

■感情表現の先の真のターゲット

このご時世、日本企業のコーポレート広告といえば、「環境」「共生」「感謝」「絆」などといった前向きな、悪くいえば、当たり障りのない語彙でまとめられるのが通例だ。そこに、「負ける」「苦しい」「諦めない」といった感情が織り込まれることは、普通はありえない。

さらに、次の一行は企業としての思いが爆発していた。

「負けっぱなしで終われるか」

広告を掲載する新聞各社の営業部門からやんわりダメ出しが入っただろうことも、想像がつく。それを承知のうえで、なぜアシックスは剝き出しの感情を広告に載せたのか。

この広告のほんとうのターゲットが、アシックスの社員だったからだ。

廣田(*1)がいう。

「この広告はC-PROJECT(*2)発ではなく、マーケティング部門からの提案です。ずいぶん挑戦的なコピーだな、というのが第一印象でしたね」

打倒ナイキを実現し、アシックスをもう一度世界の舞台で戦い抜くブランドにする、という覚悟はここに至って、C-PROJECTからマーケティング部門、さらには会社全体へと、静かに、しかし確実に広がっていた。

*1 廣田康人氏。2018年3月、アシックス代表取締役社長COOに就任。2024年1月から代表取締役会長CEO。
*2 2019年に廣田が始めた社内プロジェクト。アシックス創業者・鬼塚喜八郎の言葉「まずは頂上(Chojo)から攻めよ」による「頂上作戦」の令和版。

■復活の狼煙は箱根から上がった

翌日の1月2日、箱根駅伝のスタート地点である大手町の読売新聞本社前に居並ぶ21人のランナーたちの足元はもはや、ナイキ一色ではなかった。その一割ほどがアシックスの「メタスピード」を履いていたのである。

写真提供=共同通信社
2022年1月2日、平塚中継所で駒大4区の花尾恭輔(右)にたすきをつなぐ3区の安原太陽(代表撮影) - 写真提供=共同通信社

本書『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱』で先述したように、契約に縛られるプロ選手がシューズブランドを変更することは、簡単ではない。しかし、学生ランナーは「速く走れる」とわかれば、積極的な変更もいとわない。現場と向き合い、選手たちに真剣に相対した結果、この箱根駅伝で、アシックスは復活の狼煙を上げたのだ。

その後もアシックスは「メタスピード」を改良し続け、学生ランナーのみならず、世界のトップ選手たちの評価も高まっていった。

2024(令和6)年に開催されたパリオリンピックでは、シューズ着用シェアが東京オリンピックの9.3パーセントから、18.6パーセントへと急回復。トップ選手たちによる評価の高まりと足並みを合わせるように、マスマーケットでのシェアも回復を続けた。

■“令和「頂上作戦」” C-PROJECTの成功

ジョギング大国アメリカのランニング専門店のシェアは、その占有率を表す代表的な指標だ。ナイキの厚底旋風によって一桁台まで落ち込んだそのシェアは、「メタスピード」が実績を残しはじめた2022年末になっても7.6パーセントにとどまっていたが、2025年末には約20パーセントにまで急上昇した。

そのカテゴリーで世界のトップアスリートに評価される製品を生み出すことができれば、彼らに憧れを抱く一般の消費者に訴求していく――。C-PROJECTとして甦った令和の「頂上作戦」はここに至って、再び世界でのシェアを取り戻すことに成功したのだ。

いま一度、過剰ともいえる意見広告に目を向けてみよう。

たとえ何度負けようとも、
わたしたちは前を向く。
前に進むことは、苦しいことの連続だ。
けれど、走ることと向き合うことを決して諦めない。

よく読めば、これは創業者である鬼塚喜八郎の生き方そのものではないか。

焼け野原の神戸で鬼塚商会を興したとき、「敗北」こそがすべての出発点であった。戦争での敗北、国家の崩壊、若者の絶望――。そのなかで「スポーツによって若者を立ち直らせたい」との思いから、「健全な身体に健全な精神があれかし」との志を高々と掲げた。

■「転んだら起きればいい!」の創業者精神

その後も、結核に行く手を阻まれてもあきらめず、向こう見ずに世界に打って出て、海外メーカーに何度も煮え湯を飲まされながらも、現実を見据えて戦うことをやめなかった。

その半生を振り返った自著のタイトルはずばり、「転んだら起きればいい!」だ。

財部誠一『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱』(NewsPicksパブリッシング)

転んでしまったら、その時点でもう過去のことである。グズグズ引きずっていても仕方ない。起き上がってもう一度、走り出せばいい。

そのカラリとした合理的なメンタリティは、生来の気質なのかもしれない。だがしかし、その精神は創業者がこの世を去ってなお、アシックスという会社のなかに脈々と息づいている。

創業の理念を持続するのが難しいことは、ここで紙幅をとって語るまでもないだろう。現場と経営を同じ文脈で結び直すという作業は、労多くして成果が見えにくいからだ。

だが、その理念が本質的であればあるほど、「何のためにこの会社が存在しているのか」という存在意義が問われたとき、それは再び組織を糾合し、そして新たな次元に昇華させるための、唯一無二の原動力になるのである。

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財部 誠一(たからべ・せいいち)
経済ジャーナリスト
1956年東京都生まれ。80年、慶應義塾大学法学部を卒業し、野村證券に入社。その後、出版社勤務を経て、95年に経済政策シンクタンク「ハーベイロードジャパン」を設立。会員向けレポート「ハーベイロード・ウィークリー」は取材直後の現場レポートを提供し、多くの経営者に好評を得ている。テレビ朝日系「サンデープロジェクト」「報道ステーション」などに長年にわたって出演。金融・経済誌への寄稿も多数。2015年、脳梗塞で倒れるが、リハビリを経て完全復帰。その後7年間、BS11「タカラベnews&talk」に出演。著書に、『冷徹と誠実』(KADOKAWA)、『京都企業の実力』(実業之日本社)、『ローソンの告白』『農業が日本を救う』(以上、PHP研究所)ほか多数。
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(経済ジャーナリスト 財部 誠一)