【小林幸子 我が道25】四面楚歌状態「もしもし、幸子です。さだ兄、助けて」
四面楚歌(そか)というのは、2012年春以降の私の状態を指すのでしょう。何か罪を犯したわけでもないのに、ワイドショーやマスコミに追いかけられ、音楽番組への出演がほぼなくなりました。新曲の発売も延期され、ついにはレコード会社との契約も打ち切られました。
「もしもし、幸子です。さだ兄、助けて」
1979年、同じワーナー・パイオニアで、さだまさしさんの「関白宣言」と私の「おもいで酒」がほぼ同時に200万枚の大ヒットを記録しました。その頃から兄のように慕ってきた、1歳年上のさだ兄の留守番電話にメッセージを吹き込みました。
すぐに折り返しの電話がかかってきました。「どうした?何かあったか?助けてあげたいけど、金はないぞ」「そんなんじゃないわよ」
私の切迫した気持ちを落ち着かせるため、そんな気遣いができるところが、さだ兄の素晴らしいところです。翌年の50周年記念用に新曲をさだ兄に依頼するつもりでいましたが、緊急事態が発生したため、前倒しで新曲を書いてほしいとお願いしました。「分かった。いつまでに欲しいんだ?」「7月、今月いっぱい」「分かった。できたら連絡する」
ところが、次の日に新曲はできました。世代を超えた人気シンガー・ソングライターだけに、多数のアーティストから作品の依頼がさだ兄のもとに舞い込んでいました。スタッフから聞いた話では、たまたま翌日はスタジオにこもり、たまっていた依頼された作品を作ることになっていたそうです。最後に頼んできた私の作品を真っ先に作ってくれたのでした。
さだ兄に助けを求めた夜、夢の中に母が出て来ました。11年前に亡くなった母がこっちを振り向いてニコッと笑うのです。「あ、お母さん!」と呼びかけて、目が覚めました。それまでずっと会いたいと思っていても、夢にも出て来なかった母が突然現れたのです。さだ兄からいただいた新曲「茨(いばら)の木」の歌詞に♪母の夢を見た ただ笑っていた 坂道もいつか終わるよ…という一節がありました。驚きのあまり、へたり込んでしまいました。「なんで?」と言うと「そうなんだ。俺ってたまにそういうことあるんだよ」と軽やかに笑っていました
新曲は私へのメッセージそのものでした。「耐えて 耐えて 耐えて 生きて 生きて 生きて」という激励の言葉があの時、何よりもありがたいと感じました。世の中いろいろなこともあるけれど、何も言わずにしっかりと歌うしかないんだよと教えられました。
コンサートでのトークが長いことで有名なさだ兄ですが、本当に何でもよく知っています。万葉集の時代の和歌も5000編ぐらいそらで詠めます。知的好奇心を満たすために米国のNASAまで宇宙飛行士に会いに行ってしまう行動力の持ち主です。「風に立つライオン基金」というチャリティー団体も立ち上げた、私が心底から尊敬できる大恩人です。
◇小林 幸子(こばやし・さちこ) 本名・林幸子。1953年(昭28)12月5日生まれ、新潟市出身の72歳。作曲家・古賀政男に見いだされ、64年「ウソツキ鴎」で10歳の時に歌手デビュー。79年「おもいで酒」が200万枚突破の大ヒット。同年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、紅白歌合戦に初出場。以後34回出場した。最近はニコニコ動画、SNSなどで若い世代やネットユーザーに「ラスボス」として人気を誇る。

