映画評論家の浜村淳氏

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 芸者や娼婦、妻といった女性の人生を一貫して描き続けた映画監督・溝口健二が亡くなって70年になるが、どのような人物だったのだろうか。半世紀続く長寿ラジオ番組「ありがとう浜村淳です」の終了を9月に控える映画評論家の浜村淳氏(91歳)が、溝口監督の思い出を語る。(文中敬称略)

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「皆さん、息を止めてください!」

 僕が生まれ育った京都市北区の鷹峯では、時代劇のロケをよくしていました。子供の頃、溝口が撮った『宮本武蔵』(1944年)の撮影を見に行ったことがあります。監督は「鬼の溝口」あるいは別名「ゴテケン」なんて言われてね。ごてる(無理なことを言う)し、スタッフに当たり散らす。部屋に飾る壺や皿も本物にこだわる。小道具の会社の親父が「もう溝口組につくのは嫌や」なんて言うのも聞きました。

 僕が同志社大学に通っていた頃、溝口映画の脚本を書いた依田義賢先生の講義がありました。先生の紹介で大映京都、太秦の撮影所に『近松物語』(1954年)の見学に行かせてもらったんです。

 溝口組の現場は重い。長谷川一夫、香川京子、南田洋子、そういうスター連中が溝口の前ですくみ上がっている。セットはシーンとしていて、誰一人、咳もしない。案内してくれた職員は、いざ撮影が始まるとき「皆さん、息を止めてください!」と。でも、ご存じの通り、溝口の映画はワンカットが長い。長いものだと5分くらい続く。だから、何を言うねんこの人は、と思いましたけど(笑)。

心に食い込むような映画を撮る、国宝級の名監督

 撮影が始まっても監督は「ダメです」とOKを出さなかった。溝口は「君らの芝居には、感覚的な輝きが不足しているんです」と、なんのことかさっぱりわからん言い方をします。昼休み、スタッフはセットから出ていきますが、監督だけ出ていかず腕組みして、じーっと座っている。恐る恐る近寄って「監督、いつもあんなふうに厳しいんですか?」と失礼な質問をすると、溝口は「長谷川一夫は大映の大看板ですよ。だから今日は特に優しくしたんです」と、平然とおっしゃいましたね。

 僕は『祇園囃子』(1953年)が良いシャシンだと思います。若尾文子が実にかわいらしい。溝口は戦争に負けてからしばらくの間、撮る映画の評判があまり良くなかった。『夜の女たち』(1948年)で持ち直して、『西鶴一代女』(1952年)で再起した。『祇園囃子』は溝口にしては軽い調子の映画。でも、僕は京都育ちですから思い入れが激しいのです。浪花千栄子も実によかった。

 溝口は心に食い込むような映画を撮る、国宝級の名監督やと思います。

【プロフィール】
浜村淳(はまむら・じゅん)/1935年1月10日生まれ、京都府出身。映画評論家。1974年から担当する名物ラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)が2026年9月に終了を迎える。

取材・文/吹飛ビン

※週刊ポスト2026年8月28日・9月4日号