(※写真はイメージです/PIXTA)

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不動産相続において見落とされがちなのが、所有しているだけで発生し続ける「維持コスト」です。空室が増えた賃貸物件や使われていない土地は、収入を生まない一方で、税金・修繕費・管理費といった出費は継続的に発生させます。本記事では、田代直樹さん(仮名/52歳)の事例をもとに、東京財託グループ代表の資産形成・経営アドバイザーの萩原峻大氏が、不動産相続における注意点について解説します。※本記事で紹介する事例は、実際にあった出来事を基にしていますが、個別事案が特定されないようプライバシーに配慮し、登場人物や具体的な状況に一部変更を加えて再構成したものです。

「この土地だけは絶対に売るな」父と交わした最期の約束

「この土地だけは、絶対に売るなよ」

父が亡くなる少し前、病室で何度も口にしていた言葉を、直樹さんはいまでもよく覚えています。

地方で会社を経営する直樹さんの家は、祖父の代からいくつもの土地を所有していました。実家のほか、かつて祖父母が畑として使っていた複数の土地、古い月極駐車場、そして父が建てた築30年以上のアパートです。

父からすれば、それらは単なる不動産ではありませんでした。祖父から父へ、父から直樹へ――。何十年もかけて受け継いできた「家の財産」だったのです。

「土地を持っていれば、いつかお前たちを助けてくれる」

幼いころから父にそう聞かされて育った直樹さんにとって、土地を売るという選択肢は頭にありませんでした。10年前に父が亡くなり、相続したあとも固定資産税を納め、アパートの不具合を修繕し、管理会社に管理を委託して所有し続けてきました。

一つひとつの土地が年間でいくらの利益を生み、あるいはどれほどの持ち出しになっているか、詳細に並べて計算したことはありませんでした。それでも、自分はそれなりの資産を持っているつもりだったのです。

「うちは土地があるから」。妻にも、子どもたちにも、何度かそう話したことがあります。実際、不動産の評価額だけを見れば、小さな資産ではありません。父から受け継いだ土地を自分の代でも守り、いずれは子どもたちへ渡す――。不動産を持ち続けることが家族の将来を守る責任だと信じていました。

しかし、父の死から数年。直樹さんの会社の業績が少しずつ悪化しはじめます。原材料費や人件費が上がり、以前ほど手元にお金が残らなくなりました。家計にも、少しずつその影響が見えはじめます。

そんななか、大学進学を控えた娘から「行きたい大学がある」と、パンフレットを差し出されます。提示された学費は払えない額ではないものの、会社と家計の状況を考えれば、即答しづらい金額でした。

「少し考えさせてほしい」と答えた直樹さんに、数日後、妻の美穂さん(仮名/50歳)から予想外の質問が投げかけられます。
 

娘の学費には悩むのに…妻が気づいた年間300万円の持ち出し

「ねえ。お義父さんが亡くなってから、ずっと思っていたことをいっていい?」

妻・美穂さんが食卓に並べたのは、固定資産税の納税通知書やアパートの修繕費、管理会社から届いた書類でした。もともと直樹さんの相続した不動産に疑問を持っていた美穂さん。娘の進学をきっかけに家計を見直したことで、所有する土地にかかる費用を調べていたのです。

アパートは築年数の経過に伴い空室が増え、家賃収入は年々減少。一方で、給湯器や外壁などの修繕費は増えていました。月極駐車場も、近隣環境の変化で稼働率が下がっています。さらに問題だったのが、周辺に点在するいまは一切使われていない祖父母の畑の跡地でした。

収入を1円も生まない土地であっても、所有している限り固定資産税がかかります。加えて、雑草の草刈りや樹木の剪定など、敷地を維持するための管理費も定期的に発生していました。これらの不動産にかかる費用を合計すると、年間で約300万円に上っていたのです。

「誰も使っていない土地には1年で300万円も払えるのに、娘が行きたい大学は『厳しい』の? いままで黙ってきたけど、娘の進学に影響するのは我慢ならない」

「だから、それと土地は別の話だろ」。直樹は思わず強い口調で返しました。

「どちらも、この家のお金じゃないの?」

「……土地は財産なんだよ。親父から受け継いだものなんだから、簡単に売れるわけないだろ」

「じゃあ聞くけど、その財産はいま、私たちになにを残してくれてるの?」

美穂さんの指摘に答えられません。直樹さんは、先祖代々の土地を守るために必要なお金が、結果として足元の家族の選択肢を狭めていた現実に、このとき初めて向き合うこととなりました。

ハウスリッチ・キャッシュプアの現実

美穂さんの話を受けて、直樹さんは所有する不動産の収支を一つずつ整理してみました。そこで判明したのは、「自分は資産家」という思い込みとは大きく異なる収益構造でした。

古いアパートは家賃収入こそあるものの、空室や修繕費を差し引けば、ほとんど利益が残っていません。以前はほぼ満車だった月極駐車場も空きが目立ち、収益性が低下しています。祖父母が畑として使っていた複数の土地に至っては、収入ゼロに対し、税金や管理費などが掛かっています。妻のいうとおり、これらのために1年で約300万円が消えていました。

直樹さん自身の資産の大半は不動産に偏っていました。評価額だけを見れば確かに相応の資産を有する「資産家」ですが、収益を生まない土地を維持するために、本業の収入や家計の現金を取り崩していたのが実態だったのです。その結果、娘の学費や自社の急な資金需要に充てる現金が不足していました。

「土地を維持するために働いていたのかもしれない」と、直樹さんは自らの資金状況を客観的に捉え直しました。

父との約束以外に土地を手放せない理由

それでも、父との最期の約束が直樹さんの心を縛っていました。「父や祖父やその前の世代が守ってきたのに、自分の代で土地を手放すのは申し訳ない」、そして「世間から『代々の土地を売った』と思われるのではないか」そんな思いが頭をよぎります。

地元で「あの家は土地を手放した」といわれることには抵抗がありました。土地そのものより、「土地を手放す人間になりたくない」という感情が、直樹さんを縛っています。

「父さんが生きてたら、俺が土地を売るなんていったら絶対反対するよ」

迷う直樹さんに、美穂さんは問いかけました。

「じゃあ、お義父さんはなんのために土地を残したの?」

「なんのためって……家のためだろ」

「その家って、なに? 土地のこと? 名字のこと? それとも、私たち家族のこと? ……ご先祖様を守るために、いまの家族を犠牲にするの?」

その一言に、直樹さんはなにも返せませんでした。娘の学費を惜しみながら、誰も使っていない土地には毎年お金を払い続ける――。家族を守るために残されたはずの財産が、いつの間にか家族の選択肢を奪っている。それでも「父との約束だから」と持ち続けることは、本当に父の意思を守ることになるのでしょうか。

数日後、直樹さんは娘と改めて向き合いました。なぜその大学へ行き、なにを学びたいのか。娘の言葉に耳を傾けるなかで、直樹さんは「すべての土地をそのまま残す」という固定観念を捨てる決断をします。

一口に「先祖代々の財産」といっても、役割は一様ではありません。

・思い入れがあり、今後も家族にとって意味を持つ土地

・見直しにより収益改善が見込める不動産

・将来も活用する予定がなく、維持費だけがかかる土地

「売るか、残すか」という二択ではありませんでした。直樹さんはそれぞれの土地の役割を見直し、手放すべき土地の売却や、活用の再設計を進める方針へと切り替えました。売却によって得た資金を家族の教育費や本業の備えへ振り分けることで、家計の健全化を図ったのです。

「父さん、ごめん。でも父さんのお陰で幸せだよ」直樹さんは仏壇に向かっていいました。

「資産を受け継いだ人」にしかできない役割

筆者は、相続した不動産について考えるとき、「守ること」と「残すこと」を同じ意味にしてはいけないと思っています。思い入れのある土地を持ち続けること自体は、間違いではありませんが、「相続したものだから」という理由だけで収益性や維持コスト、将来の使い道を検討しないことはリスクを伴います。

親から受け継いだ資産を、そのまま次の世代へ渡すことだけが、「守る」ということではありません。時代や家族の状況に合わせて形を組み替え、次の世代が有効に活用できる状態で残すことは、受け継いだ人間にしかできない役割です。親が残した資産によって、子どもや孫の人生の選択肢が増えれば、資産を次世代に繋いだ本当の意味となるのではないでしょうか。

直樹さんに必要だったのは、先祖から受け継いだものを捨てる覚悟ではなく、「いまの家族にとってなにを残すべきか」を考え直す覚悟だったのかもしれません。

なにを残し、なにを変えるのか。その答えを数字と現実から考え、実際の行動に移して初めて、資産は家族の未来を支えるものになると考えます。

萩原 峻大

東京財託グループ 代表

資産形成・経営アドバイザー