「重度の産後うつ」状態にあったXさんは赤ちゃんの遺体を抱えて駅に向かったという。公判の行方に注目が集まっていた(写真:AC)

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 夫や親は育児に協力的で、地域のサポートも受けていた。それでも被告人は、日ごとに心身を崩していく──。公判で明かされた「懸命に育児に向き合いながらも精神を病んでいく過程」は、どの子育て家庭にも起こりうる悲劇だった。

 埼玉県の自宅で生後4か月の長男を浴槽に沈めて殺害したとして、殺人罪に問われた40代女性・Xさんの裁判員裁判が7月22日に開かれた。さいたま地裁の品川しのぶ裁判長は、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。

 最大の争点は「責任能力の有無」だった。事件当時、Xさんは重度の「産後うつ」状態にあった。検察側は「責任能力の低下は限定的」として懲役4年を求刑し、弁護側は「心神喪失状態にあった」として無罪を主張していた。

 育児に悩む家庭は数多いが、外部に助けを求めるその切実な声は聞こえづらい。「産後うつ」の発症率は10〜15%とも言われる。社会的な認知度は低く、本人も周囲も罹患に気付かないケースが多いという。今回の公判からは、その叫びが聞こえてくるかのようだった。

 今回、取り上げるケースは決して「ある家庭で起きた特異な事件」ではない。密室の育児で孤立する母親たちを、社会全体でいかに救うべきか──ひとりの母親が追い詰められていった過程を、刑事裁判の記録として伝える意義を込めて傍聴を行った裁判ライターの普通氏が詳報する。【全4回の第1回】

「心神喪失状態だった」として無罪主張

 白のYシャツ、黒のパンツ姿で法廷に立ったXさんは、黒髪にメガネをかけ、大人しい印象だった。身柄は拘束されていなかったが、自宅から法廷へ向かっていたわけではない。連日、埼玉県内の精神科病棟から出廷していた。

 治療が功を奏し、犯行当時の産後うつの症状は落ち着いているという。審理が行われた3日間、事件の詳細を淡々と語る姿は「落ち着きすぎている」と感じられるほどだった。だが、それは冷淡さや無関心からではなく、自ら必死に心を鎮め、一つひとつの記憶と丁寧に向き合おうとする姿勢のように感じた。

 検察官が読み上げた起訴状によれば、Xさんは昨年4月21日午前、埼玉県戸田市の自宅で、当時生後4か月だった長男・Aくんを殺意をもって浴槽に沈め溺死させた。

「私がやったことで間違いありません」

 Xさんはそう起訴内容を認めた。弁護側も事実関係は争わず、犯行時は行動を制御できない心神喪失状態だったとして無罪を主張した。

 検察官の冒頭陳述から、まずは事件のあらましを追おう。

死亡した息子を抱いて

 Xさんは、夫と平成31年に結婚し、令和6年にAくんを出産。3人暮らしだった。それぞれの両親は遠方に住んでいた。出産以前にXさんは、うつ病をはじめとした精神疾患などを指摘されたことはなかった。

 Xさんは育児に励んでいたが、出産の約2か月後に重度のうつ病を発症し命を絶つことなども考えるようになる。

 事件当日の朝、出勤のため家を出ようとする夫に対して「行かないで」と止めた。夫は「どうしたの?」と尋ねるも、Xさんは「なんでもない」と言い、夫はそのまま仕事に出た。

 その後、Xさんは児童相談所に電話をする。

「息子を殺してしまいそうなんです」

 しかし、やりとりの途中で職員の申し出を断り、電話を切ってしまう。その後、Aくんを殺して自らも死のうと決意し、Aくんを風呂に沈めて犯行を実行。リビングのテーブルに「ごめんなさい。さようなら」とメモを残し、Aくんの遺体を抱いて外出した。

 昼過ぎ、出かける際のXさんの様子が気になった夫が帰宅。メモを発見し電話をかけるも、嘘の場所を伝えられ、その後警察に通報した。

 その頃、XさんはAくんを抱いたまま戸田駅にいた。通報で駆けつけた警察官に「私、大変なことしちゃいました」「大変なことしちゃいました」「大変なことしちゃいました」と繰り返し、「私が殺しました」と自供した。

事件の根幹となる「性格」とは

 公判でまず印象的だったのが、Xさんの「性格」に関する証言の食い違いだ。父親が「ポジティブ」と評したのに対し、夫は「ネガティブ」と全く逆の印象を語った。

 Xさん自身は、自身を「ネガティブ」だと語る。中学時代にいじめに遭って以来、嫌われることを恐れ「自分の意見を伝えると相手の負担になるのでは」と感情を押し殺すようになった。問題が起きれば、すぐに「自分が悪い」と口にする癖がついていたという。

 父親の前でポジティブに見えたのは、親に心配をかけまいと無理に明るく振る舞っていたためだと説明した。

 しかし自身の性格について「ネガティブ」と評価するXさんも、出産前には期待に胸を膨らませていた。そこに不安はなく、「お腹をなでて、歌って話しかけながら過ごしていた」と供述した。ならば、なぜ──。

 第2回では、Xさんが育児への不安に押しつぶされていった経緯を追う。

第2回につづく

◆取材・文/普通(裁判ライター)

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