カンヌ映画祭で脚光『急に具合が悪くなる』に触れた闘病中のがん患者が「孤独が和らいだ」と明かす理由 「がんになってぼんやりと考えてきたことが言葉になっていた」
現在62歳のY・Jさんが、膵臓がんに罹患していることを告知されたのは2年ほど前のことでした。大学卒業後、テレビ局で数多くのドキュメンタリー番組や教育番組の企画・制作に携わり、退職後は大学でメディア論について教えてきたY・Jさん。彼の日常は、告知を受けた日を境に大きく変貌を遂げます。日本人の2人に1人が生涯に1度は罹患する病でありながら、誰もが自分事として捉えたくない、できることなら無縁のままでいたい病――。なかでも難治性で知られる膵臓がんに罹患したY・Jさんは、失意と逡巡の日々を送りながらも、いつしかがん患者としての経験を「言葉に書き残したい」と考えるようになったそうです。この連載では、罹患して初めて知り得た「がんという新しい世界」での日常を、ドキュメンタリー作家であるY・Jさんご自身にリポートしてもらいます。【Y・J/大学教員、映像作家】
※個人情報およびプライバシーに配慮し、内容の趣旨を違えない範囲で一部の表現を変更しています。

【写真を見る】見慣れていた世界が“異世界”に…がん患者の目を通して見える“新しい世界”をつづる筆者の近影
まるで「異世界転生」
がんになるのは人生の一大事だ。私は、生まれて初めて、ほんとうに目の前が暗くなることがあると知った。その瞬間からいつもの日常は消え、私は「がん」という新しい世界の住人になった。
通勤電車の乗客たち、商店街を行き交う人々、いつもの飲み屋で会話をする顔馴染み、そのすべてが「がん患者」と「非がん患者」に分けられた世界……。どこか幽体離脱して「がん世界」に迷い込んだような浮遊感がつきまとう。「異世界転生」というのがあるとしたらこんな感じかも、と思えるほどの非現実感で日常が塗り替えられてしまった。
生活の激変をジェットコースターにたとえることがあるがまさにそれだった。体感で「一週間が5日になった」と言えば理解してもらえるだろうか。
告知を受けてからそれなりに時間が経ち、少しは要領を掴んだ今でも、日々は飛ぶように過ぎていく。私に残された時間は日に日に短くなり、最期の日が訪れるまでにやっておいた方が良いことはたくさんある。それなのにルーティーンをこなすだけで終わる毎日。
目下の問題は、その限られた時間を使ってがん体験を書き残すことに意味があるのか、である。
「急に具合が悪くなる」
日本人の2人に1人ががんになるといわれる今、それほど珍しい体験をしているわけでもない。はたして、多くの人に読んでいただくだけの価値がある何かが書けるのか。そもそも文筆家でもない一介の大学教員の身の上話に関心を寄せる人がいるのだろうか。それに私はもともと映像を中心としたコンテンツ屋だ。裏方稼業が身に染み付いて、一人称で表現することに強い抵抗感がある。
かなり迷ったが、結局、こうして書いている。
ひとつには、旧知の編集者に声をかけてもらったことがある。なにかを書き残すなら文字通りラストチャンスだと思った。だが最大の理由は、自分ががんになってみて、当事者の体験が助けになることを知ったからだ。自分と同じ立場から発せられる言葉はありがたかった。
がんに関連する書籍の多くは、医学的見地に基づく“対策”や“希望”について書かれている。当事者の日常が書かれたものも少なくないが、自分の状況と合うものはそうそう見つからない。逆に求めているものに出会うと認識が拡張されたような喜びにつながる。
『急に具合が悪くなる』(晶文社)はそんな喜びを与えてくれた一冊だ。がんになった哲学者・宮野真生子さんと友人である人類学者・磯野真穂さんの20通にわたる往復書簡。映画化(濱口竜介監督)され、主演の岡本多緒とビルジニー・エフィラが2026年のカンヌ映画祭で主演女優賞を受賞したことで話題になった。
私が『急に具合が悪くなる』を知ったのは26年の1月。映画化のニュースを目にしたからだ。
世界がひっくり返るような何か
たまたま私は大学で映画論の講義を担当し、一時期、“余命”をテーマにした映画を積極的に見まくっていた。そうしたなか、いくつかの偶然の連鎖でこの本に出会った。そして、がんになってからぼんやりと考えてきたことが言葉になっていることに気づき「これだ!」とばかりに膝を打った。本当に膝を打ったわけではないが、脳の上の方に光が差し込み、温かくなるのを感じた。
例えば、タイトルの由縁にもなった医者の言葉を聞いて、宮野真生子さんが感じた戸惑いの言葉。
〈主治医に「急に具合が悪くなるかもしれない」と言われたのは二〇一八年の秋でした。とりあえず反応に困ったことを覚えています。「えっと……」と質問しようとして、主治医(とても優しく良い医師です)が「念のためですけどね、ホスピスを早めに探しておいてほしいんですよ」と言ったとき、「具合が悪くなる」の先に何があるのかをようやく悟りました〉(『急に具合が悪くなる』25ページより)
“がんと告知される”その瞬間まで、がんになってしまった人は“がんではない”前提で生きてきている。その境目は時間にすれば数秒とか、数分とかそんなものだ。そこで世界がひっくり返るような何かが起こる。宮野さんはそれを言葉にしてくれた。対して「非がん世界」から発すべき言葉はあるのか。人類学者の磯野真穂さんはこう綴っている。
〈「急に具合が悪くなる」とはいったい何を意味しているのか。
「急に具合が悪くなるかもしれない」と医師が宮野さんに伝えることは、医師の対応としては一〇〇パーセント正解でしょう。でもこれを言われた方は戸惑います。私たちは、確率という数字の中で生きているのではなく、火曜日の夕方六時から講義が始まるとか、五月一九日に学会があるとか、そういう具体的な予定の中で生きているからです。その中に「急に具合が悪くなる可能性」を入れ込むとはどういうことなのか。
さらにです。宮野さんではなく、私、磯野が急に具合が悪くなる可能性だってゼロではありません〉(『急に具合が悪くなる』16〜17ページより)
「がん世界」の現実
「急に」の先にある“人生の終わり”が、文字通り「急に」リアルに現れるのが「がん世界」の現実だ。しかし、その可能性は「非がん世界」でも実はゼロではない。となると、2つの世界に大きな違いはないのではないかと頭では思う。思うのだが「非がん世界」の常識では「急に」はないものとして日常が進む。
私の場合も、自分の体のあれこれを考えながら、同時に「非がん世界」で進む現実のあれこれを調整する必要に直面した。「がん世界」の住人になってからやってきたことの多くはこれだった。
『急に具合が悪くなる』は“対策”や“希望”について書かれた本ではない。が、宮野さんと磯野さんの思考の軌跡とそこから生み出された言葉の数々に納得し、似たようなことを考えていた人がいたことに孤独が和らいだ。
知識、思考、言語能力のどれをとっても私に同じことができるわけはないことははっきりしているが、もしかしたら、私のささやかな経験でも何か残しておくことは無意味ではないかもしれない。少なくとも存在すれば選択肢になれる。それで良いと信じることにする。
そういうわけで、「がん世界」へ足を踏み入れた日から感じたあれこれを書いてみることにする。“対策”や“希望”は書けない。『急に具合が悪くなる』可能性を抱えながら「がん世界」を彷徨ってきた旅行記のようになればと思っている。
※記事中で引用した文献・資料の出典は以下の通りです。
『急に具合が悪くなる』(著 宮野真生子・磯野真穂/晶文社/2019年9月)
Y・J
1963年生まれ。京都大学大学院を経て、テレビ局に就職し、数多くのドキュメンタリー番組や教育番組を手掛ける。退職後は大学に転職し、現在も教員としてメディア論や社会学などを教えている。
デイリー新潮編集部
