「クレヨンしんちゃん」「プリキュア」とはまったく違う…映画「ちいかわ」が破った"長編アニメのお約束"

■「映画ちいかわ」が異例のヒット
「ちいかわ」とは何か。
2020年、イラストレーターのナガノ氏がX(旧ツイッター)に投稿し始めた作品である。正式には「ちいかわ なんか小さくてかわいいやつ」であり、キャラクターとしては2017年に登場しているので、すでに10年近い歴史がある。2021年には単行本にまとめられ講談社から発売、その翌年からはフジテレビ系列「めざましテレビ」のコーナーとしてアニメ化された。
昨年7月には、東京・池袋に「ちいかわパーク」がオープンしており、すでに「国民的」と呼んでも異論がないほど有名な作品である。その映画化となれば、ヒットしないわけがない。
そう説明できるのなら、簡単だろう。
ただ、まずもって、この作品には、他には、あまり見られない特徴がある。それは、すでにネタバレして久しいという点である。映画の原作「セイレーン」編は、単行本8巻に収められているだけではない。いまもなおX上で無料で見られる。
もちろん、マンガにせよ小説にせよ、原作のある映画は、たくさんある。というよりも、オリジナル作品のほうが珍しいくらいだから、とりたてて「ちいかわ」が特別ではないだろう。
それでも、私を含めた多くの観客は、すでにストーリーを知った上で、劇場に足を運んでいるのではないか。
■40歳以上の男性がこぞって驚くワケ
映画館に来た人たちにとっては、いまさら、「ホラー映画みたい」と怖がる必要はない。アニメライターの多根清史氏は、「ファミリー映画でありながら、お子様向けの手加減は一切ありません。それどころか、『怖さ』の演出にはさらに磨きがかかっています」と分析しており、まさに、この作品の特徴の一つなのだろう。
他方で、著名人たちからは驚きの声が聞こえる。たとえば、映画『カメラを止めるな!』の監督・上田慎一郎氏は、「こんな可愛い絵柄であんな話を見せられるなんて思わんやん」とXでポストしている。
この投稿を糸井重里氏が「この映画をきっかけになんかすごいことになりそう」とリポストしたり、元・放送作家の鈴木おさむ氏が「これまで、ちいかわ、まったく見てこなかったんですが、映画終わったあとの、大人のざわざわ いや、とんでもない映画 原作にあったはなしをなるべく再現してるのかな?」とインスタグラムで述べていたり、と、40歳以上の男性から、戸惑いのコメントが見られる。
46歳の私もまた、世代としては、彼らと同じ部類に入るものの、彼らが「驚いて」いる姿に「驚いた」のが正直なところである。もしかすると、彼らは、作品自体ではなく、自分たちの感覚が時代からズレている(かもしれない)点に「驚いて」いるのかもしれない。
■若者や現代社会を解釈できるかのように言うが…
「とんでもない気持ちにさせられた」(上田氏)り、「子供と親の感覚がかなりかわるはず」(鈴木氏)といったように、素直な感想を吐露しているだけなのかもしれない。この率直な思いを表明する姿に、世代間のギャップがあり、そして、この映画のヒットの理由がある。

それは、「なんか小さくてかわいいやつ」が、「あんな話」であったり、「とんでもない映画」であったりするところから、いまの若者や、ひいては現代社会を解釈できるかのような錯覚を与えているからではないのか。
先に触れたように、この映画は「ネタバレ」の危険がない。というよりも「ネタバレ」を前提として、その答え合わせをしにいくかのようにスクリーンの前に座っている人が多いと見られる。スマホでレビューに触れてから、原作に忠実なところに安心した上で、その高評価を確かめるかのようにチケットを購入する。
多くの観客にとっては、それで十分なのだろう。強いて言えば、そうした「答え合わせ消費(※1)」の象徴と言えなくもない。けれども、そこには世代の隔たりはあれど、いまの日本社会を読み解くヒントは、どこにもない。
社会学者が陥りがちな批評や考察に、まったく馴染まない、ただ面白い、それだけに素晴らしい作品にほかならない。
■ジブリも新海誠もいない「夏映画の空白地帯」
メディア論の専門家として言えば、ちいかわの映画は、夏映画の空白地帯をピタリと埋めたところが大きい。スタジオジブリや細田守監督、新海誠監督といった、これまで夏休みに話題作を発表してきた巨匠たちを、今年は見られない。「トイ・ストーリー」の最新作(『トイ・ストーリー5』)がヒットしているものの、30年の歴史をふまえた第5作目であり、初心者にはハードルが高い(ように思われがちである)。
「ちいかわ」は、この点では、これまでXをはじめとして親しまれてきた作品であり、週に2回、「めざましテレビ」で放送されている。YouTube(ユーチューブ)やTikTok(ティックトック)の公式アカウントだけではなく、世界中で数えきれない人たちが、目にしてきた。私が鑑賞した回も、「ちいかわパーク」近くの劇場だったこともあって、大きな買い物袋を抱えたインバウンド客の姿も散見された。
こうした、興行戦略と世界展開、といった状況証拠を積み重ねれば、大ヒットの要因の解釈としては及第点なのかもしれない。
けれども、もっとこの作品そのものが問いかけている要素があるのではないか。それは、日本人にとっての「アニメ」の意味であり、「キャラクター」の存在である。
※1:Reika.「答え合わせの消費」
■他のアニメ映画との決定的な違い
映画のサブタイトルにあるように、この作品では「ひみつ」がある。パンフレットでは、「本ページは、物語の結末について触れているため、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めいたします」と書かれている。いくら「ネタバレ」上等だとしても、その一つひとつについて、ここで明らかにしてはなるまい。

ここで重要なのは、その「ひみつ」が、どれも、何らかの「教訓」めいた深みを持っていないところにある。急いで付け加えなければならないのは、その深みのなさが、決して欠点ではないところである。というよりも逆に、その「浅さ」こそ、この作品の魅力たりえているところである。これが、他のアニメ映画との決定的な違いである。
たとえば、「クレヨンしんちゃん」や「プリキュア」といった、主に子どもをターゲットにした作品の映画化を、私は毎年見てきた。娘とともに暮らせて良かった点のひとつとして、とりわけ「プリキュア」を挙げるほど、いくつもの「教訓」を与えてもらってきた。
■深いメッセージ性も、巧みな伏線回収もない
ジェンダーにせよ、人間関係にせよ、「プリキュア」の持つ世界観は、私にとって少なからぬ影響をもたらしたし、「クレヨンしんちゃん」を放送開始から30年近く追いかけてこられたのは、私の人生の貴重な財産である。
対する「ちいかわ」は、「なんか小さくてかわいいやつ」が、たくさん、いや、そればかり出てくるだけである。映画でいえば、「セイレーン」や「島二郎」もまた、性格や行動以前に、その「かわいい」姿が強い印象を残す。
なるほど、「ひみつ」が物語を駆動しているのは確かであり、「ちいかわ」を知らない人たちにとっては、謎解きに引っ張られる側面は強いのかもしれない。それでも、「とんでもない」(上田慎一郎監督)とは、私には思えなかった。
それよりも、キャラクターたちが戯れる姿そのものが、「ちいかわ」の魅力なのではないか。「ちいかわ」の魅力であり、そして、日本人にとっての「アニメ」の位置づけに通じるのではないか。
■社会学者が見た「現代の鳥獣戯画」
「ちいかわ」が、これだけ私たちを惹きつけるのは、キャラクターが何かを象徴するのではなく、ただ存在して動き回るからではないか。ただ眺めているだけで楽しい。その姿が「鳥獣戯画」の現代版だからではないか。その名の通り「鳥獣」たちが「戯れる」その「画」を見るところに、私たちは理由のない楽しさを覚えているのではないか。
アニメ映画としての作家性や、何かの主張を、「ちいかわ」から引き出すのは難しい。「なんか小さくてかわいい」キャラクターたちが遊び回る。その構図自体が、私たちに、えもいわれぬ快楽をもたらすのではないか。
まんが原作者の大塚英志氏は、こうした「まんが・アニメ文化伝統起源説」に異を唱えてきた。私は、ここで「ちいかわ」の起源が「鳥獣戯画」にある、と言いたいわけではない。それよりも、もっとずっとシンプルで、門外漢の見立てに過ぎない。作り込まれたキャラクターが、わちゃわちゃと遊んでいる、その微笑ましさが、「鳥獣戯画」の軽さに似ている、と指摘したいだけなのである。
何より、まさしく私のこの文章のような解釈というか批評というか、考察にそぐわないところにも、「ちいかわ」の魅力がある。「社会学的」な分析や「メディア論的」な解説といった、さまざまな批評や考察を、ゆるやかに拒絶するというか、すり抜ける、そこに「ちいかわ」の魅力があり、また、ヒットの秘訣があるのだろう。
■「考察ブーム」のアンチテーゼである
社会学者は、つい流行現象から、現代社会を解説しようとする欲望を抑えきれなくなる。メディア論者もまた、さまざまな媒体の関係を解釈したくなる。的を射ている場合もあるのかもしれないけれども、往々にして、というか、ほぼ全てが後出しジャンケンである。
仮に「ヒットの秘訣」がわかるのなら、その通りに作品を発表すれば良いのであり、それができないから、誰もが模索するしかない。
「ちいかわ」から「教訓」をあえて得ようとするのなら、それは、こうした解釈や批評、考察といった後付けに汲々(きゅうきゅう)とするよりも、もっと純粋に作品の世界に浸れば良い、という教えではないか。
レビューがあふれる世界のなかで、私(たち)が忘れがちな「教訓」が、ここにあるからこそ、「考えすぎずに楽しむ」という体験そのものが、いま新鮮なのかもしれない。だから今日もまた、多くの人が「ちいかわ」に会うため劇場へ向かうのである。
実際、上映終了後の劇場では、小学生ぐらいの子供と、その親の「この映画、わかった?」との会話を耳にした。親世代にとっては「浅い」と思いがちな作品は、子どもたちにとっては映画鑑賞体験の入り口として、ちょうど良い。
幅広い世代が肩肘張らずに見られる作品は、「考察ブーム」とささやかれる昨今の風潮へのアンチテーゼでもあり、だからこそ、多くの人を引き寄せ続けるに違いない。
----------
鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
----------
(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
