(※画像はイメージです/PIXTA)

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子どもをのびのび育てたい。庭のある広い一戸建てがほしい。平成初期は、都心を離れ郊外に戸建ての家を買うことが、多くのサラリーマンの憧れだったと思います。通勤は片道1時間半。始発に家を出て、深夜になって帰宅する。そして数時間眠ってまた始発の時間には駅のホームに立っている。その繰り返しの生活は、郊外に家を買ったサラリーマンにめずらしくありませんでした。寝顔ではない子どもを見るのは週末だけ。その週末ですら接待のゴルフや休日出勤で潰れてしまうことも度々ありました。マイホームを買ったものの、そこで過ごす時間はごくわずか。なかには、自分の家だというのに、給湯器のボタンがどこについているのかさえわかっていない男性もいたほどです。その世代もいま、定年退職のときを迎えています。あの時に頑張って買った郊外のマイホームでの生活は、定年後のいま、どのようなものになっているのでしょうか。最高年収1,200万円、現在62歳のKさんの事例をご紹介します。※個人の特定を防ぐため、事例は一部脚色しています。

「最高の決断」だった27年前の春

「子どものためには、やっぱり緑が多くて広い家がいいよね」

27年前の春、30代半ばだったKさんと妻は、住宅展示場のモデルハウスで胸を躍らせていました。当時、長男は小学校入学を控え、下の子も生まれたばかり。職場に近い都内の賃貸マンションで暮らしていましたが、子どもが走る足音にビクビクし、泣き声が聞こえるたびに隣近所へ気を揉む日々を送っていました。職場まで電車で数駅。理屈ではとても便利な場所で暮らしているはずなのに、家に帰ると近所からの目線が怖かったのです。

「職場から遠くなったとしても、子どもは子どもらしく家の中で騒いで遊べる環境がいいね」

Kさん夫婦はどちらも地方の出身です。大きな戸建ての実家の広い庭で遊んで育った2人。住宅展示場の営業マンはこんなことを夫婦にいいました。

「ご自身が育った住環境とかけ離れるほど、マイホームへの不満は強まりますよ」

つまり、広い家で育ったなら、マイホームも広くないと必ず不満が出るということです。たしかに、プライバシーがまったくないほど狭いいまの賃貸マンションは、2人にとって息苦しくて仕方ありません。

「実家は古かったけれど延床面積が60坪で、4人家族で暮らしていたな。動線もゆったりしていて、朝の時間も家の中で渋滞しなかった」

夫Kさんは実家を思い出しました。住宅営業マンからは、ある郊外のニュータウンの土地を紹介されます。当時、分譲が始まったばかりで、土地が手に入りやすかったのです。職場からは片道1時間45分。通勤は始発に乗らなければ間に合いません。

しかし、65坪の敷地で、日当たりがいい角地、整った四角い土地でした。そこに建てるのは延床面積45坪、4LDKの大きな自由設計の建物です。

「少し通勤は大変になるけれど、子どもの笑顔には代えられない」

そう考えてすぐに契約しました。7ヵ月後に引き渡されたときの感動は忘れません。子どもを家の前に立たせ、写真を撮りました。子どもが大人になったとき、「親父が建てた新築の家はこんなだった」と見せられるように、思いを込めて。

分譲された土地は次々に埋まり、どの家も30代の世帯ばかりでした。同世代が集まり、子どもも多く、活気にあふれたニュータウン。「この家を買ってよかった」毎日そう考えるほど、満足のいく、人生最大の買い物となりました。

往復3時間半、失われた家族の記憶と妻からの信頼

しかし、夢のマイホームと引き換えに払った代償は、想像以上に重いものでした。

毎朝5時過ぎに、まだ静まり返った家をこっそり抜け出します。バス停にはすでに通勤するサラリーマンが行列を作っています。駅から満員電車に揺られ、乗換駅のホームで人の波に押し流されながらオフィスへ向かう片道1時間45分。夏は大変でした。会社につくとすでに汗だくで疲労困憊。朝8時過ぎだというのに午後になった気分です。

往復で毎日3時間半という時間は、年間で換算すれば約800時間、日数にして1ヵ月分以上を移動だけに費やしている計算になります。「いや、そういう計算はやめておこう」と夫Kさんは何度も考えることをやめようとしました。通勤時間は勉強に充てようと文庫本を通勤カバンに忍ばせているのですが、毎日の疲れが蓄積して本を開く気持ちにはなれません。

夜、疲弊しきって帰宅するのはいつも23時過ぎ。玄関のドアをそっと開けると、家の中は朝と同じように静まり返っています。リビングには妻が残してくれたラップのかかった夕食が。妻も子どももぐっすり就寝中。風呂に入って、家族とは別の部屋で眠り、朝4時には起きてまた同じ1日が始まるので。

平日は、起きている子どもの顔を見ることはありません。父親はいないも同然です。かといって、土日は休みというわけにもいきません。当時、夫Kさんは支店長代理に昇進したばかり。会社から期待をかけられている存在で、それに応えようと休日出勤もしていました。

土日は電車が空いているし、少しゆっくり出勤できます。給料も出ない休日出勤だというのに、夫Kさんは土日の朝が好きでした。電車が少し空いているだけでリラックスを感じるほど、休みなく働いていたのです。

「住宅ローンを返すために頑張らないと。子どものためだ」。そう自分を律し、仕事に打ち込みました。しかし、妻からの信頼は確実に失われていった自覚があります。運動会も修学旅行もなにひとつ知らない。固定資産税がいくらなのか把握しようともしない。子育てにも家事にも協力せず、自分は仕事と称して会社に入り浸るだけ。

子どもが中学生のころ、一度妻から手紙をもらったことがあります。そこには、もう少し家族に関心を持ってほしいということが書かれてあった気がしますが、しっかり読まずに駅のごみ箱に捨ててしまいました。「男が家族のために働いているのに、なにをいってるんだ」と腹が立ったからです。それ以来、妻と態度は変わっていったように思います。

静まり返る広い自宅と、忍び寄る街の老い

60歳を過ぎたいま、自宅にはもう子どもたちは住んでいません。大学への進学を機に、子どもたちは家を出ていきました。都内の大学なので自宅から通えばいいじゃないかというKさんを、子どもたちは拒否。

「だって、友達と遊んでも、自分だけ先に帰らなきゃならないんだよ。家が遠すぎてみんなにネタにされてるよ」

たしかに、夫Kさんも部下から自宅が遠いことを飲み会などでいじられてきました。二次会の途中で帰る夫Kさんに、「もう帰るんですか? あ、家に着いたら明日ですね」と部下から笑われることもしばしば。当時は飲みニケーションと呼ばれるほど、宴会の席はコミュニケーションに大切でした。

「そんな生活を子どもたちに強いるわけにもいかないか」とKさんは引き下がります。子どもたちが引っ越し先の都心での暮らしがどれだけ快適かという話を何度もいってくるので、Kさんは複雑な気持ちに。

自宅には、夫Kさんと妻の二人だけが残されました。時代が変わり、休日出勤どころか残業すらなくなり、以前より家にいる時間が長いのですが、家には妻しかいません。妻がいるだけましかと思うのですが、リビングに置かれた自慢の大きなソファには、夫Kさんがひとりで座っています。妻は夫の2メートル以内に近づきません。話しかけても基本は無視。「耳が遠くなったのごめんね」というのですが、友達との電話はずいぶんと楽しそうです。

妻はダンスサークルの活動に夢中で、Instagramで友達のダンス動画を見てはコメントを書き合うなど、自分の楽しみを持っています。会話もないのに、「ダンスに通うのも遠いのよね」と妻が聞こえよがしにつぶやくのは一度や二度ではありませんでした。

家族みんなから家に対する不満の声が上がるのも無理はありません。ここ近年、このニュータウンは高齢化が進み、子どもの姿を見かけなくなりました。考えてみると当然です。分譲されたころの居住者は30代半ばから後半。そこから27年が過ぎているので、みんなリタイア世代です。空き家も目立つようになりました。子どもが独立したあと、家を売って便利な場所に引っ越したのでしょうか。

最寄り駅までのバス移動や急な坂道も、リタイア世代には困難そのものです。車で15分かかるスーパーへ出かけるのもひと苦労。近所にあった個人商店や小さなスーパーは数年前に閉店し、シャッター街と化した商店街には誰も歩いていません。

朝になると自宅前にデイサービスの送迎車が停まっている光景を見ることが増えました。確実に高齢者の街になっているようです。

「ニュータウンというわりに、住んでいる人たちはオールドだね」と夫Kさんがいっても、妻は笑いません。

身体の衰えとともに住めない街に

65歳の定年退職まであとわずかにして、夫Kさんは身体のあちこちに不調を覚えるようになりました。まずは膝です。慢性的な痛みを抱えるようになり自宅の階段の昇り降りが億劫になりました。最近では1階のリビングと寝室だけで生活を完結させるようになっています。

さらに、目がよく見えないのです。数年前に緑内障と診断されてから、視界が狭くなり、車の運転が危ないと思うようになりました。高齢者の自動車事故の報道をみるたび、子どもたちが電話をかけて来て、「早く免許返納してくれよ」というのです。

しかし、車がないとスーパーに行けません。移動スーパーやスーパーの宅配サービスはあるのですが、店で買うより割高です。そう思い、慎重に運転を続けていますが、病気には勝てません。定年退職を前にして免許返納をすることになりそうです。

そんなある日曜日、ダイニングテーブルの上に妻が読みかけて置いたままの雑誌が目にとまりました。なにやら付箋が貼ってあります。それはこんな記事でした。

「夫の定年退職後に離婚し、財産分与・そのロードマップ」

「おいおい」とつい口に出す夫Kさん。定年退職金が入ったら財産分与をして離婚する魂胆なのかと驚きました。

(お金を受け取って、妻はもっといい場所に引っ越したいのかもしれない。でも、そんなことをされたら俺は老後生きて行けない……)

夫Kさんは、家を売ることを考えました。もうこんな広い家は必要ないし、体調のこともあって物理的に住み続けるのが難しい状況。まだ築年数は古くはないし、それなりの値段で売れるだろうと、不動産会社を土日に訪問することにしました。

ずいぶんと昔の話ですが、購入時、住宅メーカーの担当者は「このエリアは人気ですから資産価値も落ちにくいですよ」といっていたはずでした。

しかし、提示された査定額を見て驚きました。土地値の相場の半分の価格なのです。最近住宅ローンが終わったばかりだというのに、たった数百万円にしかならないとは……。

「土地の相場よりも低いじゃないですか」夫Kさんは不動産会社の担当者に質問します。

不動産会社がいうには、そもそも人気のない立地だということ。多くの人が売りに出しているが数年間売れていない人がほとんどだそうです。

「いまの若い共働き世代は、職住近接の駅近マンションを圧倒的に好みます。駅からバス利用で敷地も建物面積も広い郊外の戸建ては、一番買い手がつかないんです。建物自体も築30年ちかくとなると評価はゼロ、解体か大規模修繕が必要な時期です。買い手が見つかったとしても、解体費は売主負担として交渉されるでしょう。解体には250万円程度かかります。リフォームしてから売るとしたら、最低でも1,000万円の工事費は必要です」

不動産担当者は、「もし地中杭があったとしたら撤去費も百万円以上かかります。売却は止めて住んだほうが得ですよ」と続けます。

転居計画は、音を立てて崩れ去りました。

妻のそのことを話すと、「ふーん」とそっけない返事。「売れるわけがないよね」といいます。口ぶりから、妻は妻で査定をしてみたことがあるのかもしれません。

マイホーム購入時における出口戦略の重要性

27年間、往復3時間半の激務に耐え、家族のために真面目に働き続けて手に入れたはずのマイホームが、人生の最終盤において、自分たちの生活をこの土地に縛り付ける呪いになりました。

実のところ、地方ではKさんのようなケースが増えています。住むに住めない、手放すに手放せないというマイホームは珍しくありません。

「マイホームは一生に一度の買い物であり、そこに一生住み続けるもの」

昭和から平成にかけて作られたその常識は、ライフスタイルの変化と少子化・超高齢化社会の前であっけなく崩壊しています。かつては一度買った家を終の棲家にするのが当たり前だったはず。しかし、その住宅地、その街自体が崩壊するかもと想像した人は少なかったでしょう。

現代でも、「売らないんだから資産価値は関係ないよね」と、土地の安い郊外に家を買うひとはいます。しかし、30年後、そこは人が住める環境でしょうか。急速に人口減少が進む日本では、東京都心以外は「消滅可能性」を指摘される自治体がたくさんあります。土地と建物は残るかもしれませんが、街が残らないのです。

いまの日本社会では、住宅は終の棲家にはなりにくいというのが現実です。出口を意識することが大切なのです。「65歳になったらこの家はどうするか?」という質問をしても、意味がわからない人のほうが多いでしょう。老後も住むと常識のように考えているとしたら、ちょっとリスクがあるかもしれません。

夫Kさんと妻は話し合って、いまのマイホームを解体してから更地にして売却することにしました。これまで貯めてきた預貯金とこれから入ってくる退職金、合わせて8,000万円ほどがある計算なので、それで都心寄りの場所に中古マンションを買うことに。

2LDKの狭いマンションですが、車を手放しても生活できます。病院も近く、なにより妻は友達に会いやすい。子どもたちも頻繁に家に帰ってくるようになりました。妻とはまともな会話がないままですが、新しい住処で少し機嫌がいい様子です。

「家を建てたときはあれが正解だったが、いまとなっては都心に新築マンションを買えばよかったな」

夫Kさんはそう考えては少し落ち込みます。子どもとの時間は無駄にしたという思いが強いのです。子どものために頑張ってきたが、子どもの成長を見逃し、あげくに家は解体することに……。「なんのために頑張って来たのかわからなくなった」と零していました。

家を買うときには20年後、30年後の出口を意識しないといけない時代のようです。

長岡理知

長岡FP事務所

代表