安倍元首相の逝去から4年

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 衝撃の事件から4年の時が経過した。安倍元首相を時に“側近”として支え、時に“友”として家族ぐるみの親交を重ねてきた加藤勝信衆院議員が、知られざるエピソードを明かした。

安倍元首相との最後の会話

 2022年7月8日午前11時半過ぎ。参議院選挙の応援のために、新幹線で岡山から大阪に向かっていたときのことです。〈安倍元総理、銃撃される〉という電光掲示板のニュースを見て、衝撃を受けたのを今でも覚えています。東京の秘書や知り合いの記者からも連絡がひっきりなしに入っていましたが、離れたところから撃たれたという情報だったので、致命的なことにはならないだろうと自分に言い聞かせていました。

 予定されていた大阪での応援演説は中止となって、急ぎ東京へ。真っ先に衆議院第一議員会館の最上階にある安倍さんの事務所に向かいましたが、夕方に私が到着した頃、安倍さんが逝去されたとの速報が流れました。事務所には萩生田光一さんや、安倍さんの親友だった元衆院議員の荒井広幸さんが先に着いていましたが、あのときに何を話していたかは、ショックでよく覚えていません。

安倍元首相の逝去から4年

 事件が起きる前日、私の選挙区である岡山に、安倍さんは選挙応援でいらしていました。そのときに私の妻が一緒に写してもらった安倍さんの写真が残っています。私は別の候補者の応援があったため安倍さんをお迎えできず、「すみません、来ていただいたのにお迎えできず」という電話をしたのですが、まさかそれが安倍さんの声を聞く最後の機会になるとは、当時は夢にも思っていませんでした。

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安倍家と加藤家の長い付き合い

 私の安倍さんとのお付き合いは、かなり長いものです。というのも、もともと安倍家と加藤家には家族ぐるみの深い付き合いがあったからです。

 私の岳父、ここではオヤジと呼びますが、加藤六月と、安倍さんの父である安倍晋太郎先生は、派閥(清和政策研究会)で同じ釜の飯を食べた兄弟分。オヤジはよく「安倍さんを総理にするんだ」と言っていましたが、晋太郎先生もその気持ちを受け止めて、2人はとても深い仲にありました。

 ですから家族ぐるみで食事をする機会が自然と増えてきて、家同士の付き合いも深まっていきました。特に晋太郎先生の奥様、つまり晋三さんのお母様である洋子さんと、六月の妻・睦子は、姉妹のように親しい間柄でした。

 そんな家同士の縁があったので、安倍晋三さんと私も親しくさせていただいていました。付き合いが始まったときは、私はまだ大蔵省職員で、安倍さんは晋太郎先生の秘書をされていたと思います。夫婦同士でゴルフに行ったこともあります。安倍さんはゴルフが上手で、奥様の昭恵さんのことを気遣いながらも、90を切るくらいのスコアで回っていたかな。私は東京大学のゴルフ部出身なのにいつも100を切れない。そんな私のことを、「勝信さんはゴルフ部だったんだよね」とよく茶化してくれていたものです。

 ご存じの通り、無邪気な一面もお持ちです。2012年、東京スカイツリーのプレオープンイベントで偶然安倍さんと一緒になったときのこと。下の景色が透けて見えるガラス床で、高所恐怖症の私を差し置いて、安倍さんは私の娘と一緒にワイワイ盛り上がりながら、その上で跳びはねていたのをよく覚えています。「ガラス一枚で大丈夫なのか」と私は一人でハラハラしていたものですが、こういうところからも、世代にかかわらず誰とでも親しくなれる安倍さんの人柄を感じましたね。

政治家としての関わり

 年齢は私より一つ上の安倍さんですが、政治家としてのキャリアはずっと先輩で、私が初当選を果たしたときは自民党の幹事長として、すでに将来の総理候補として頭角を現していました。

 政治家同士としての付き合いが始まったのは、2009年の衆議院選挙で自民党が下野していた頃からです。超党派の議員連盟、創生「日本」で安倍さんが会長を、私は事務局長を務めていて、一緒に街頭演説などの活動に取り組んでいました。私は裏方の司会進行役に徹していたのですが、安倍さんはよく「勝信さんもやりなよ」と、自分が話す前にマイクを持たせてくれていました。

 第2次安倍政権の発足の際、私は安倍さんから内閣官房副長官を拝命します。新政権発足に向けて準備も大詰めのタイミングで、たまたま2人きりになったある時、書き物をしていた安倍さんが思い出したように顔を上げて、「あ、勝信さんは官房副長官をやってね」と。

 官房副長官は副大臣級とはいえ、閣議にも陪席する重要ポストですから、その重責に武者震いしたのを覚えています。しかし言い渡す側として、「期待しています」とか「君なら大丈夫」とか、そういう一言があってもいいところ。普段は割とおしゃべりな方なのに、こういう場面ではいつもあっさりしているんですよね。

 官房副長官時代は、安倍さんの外交によく同行していました。ニューヨークで行われた国連総会に参加した際、夜に空き時間ができたので、「夜は何を召し上がりますか」と安倍さんに尋ねると、昼も食べたばかりなのに「夜もステーキを食べよう」とおっしゃったことがありました。赤ワインと一緒に、人一倍の量を完食されていましたよ。第1次政権のときは体調を崩されて退陣していましたから、その回復ぶりに嬉しくなったことを覚えています。

 今、これだけ国際情勢が混沌としているからこそ、国際社会の“ど真ん中”にいた安倍さんの偉大さを改めて感じさせられます。トランプ大統領も含め、「安倍さんが言うのなら」が、常套句になっていたわけですから。それは安倍さんの人柄もあるとは思いますが、テタテと呼ばれる一対一の外交を重視して、本当にさまざまな努力をされてきたことの積み重ねの成果に他なりません。安倍さんの外交の場にたびたび同席した私だからこそ、そう強く思います。

加藤勝信氏が語る安倍元首相の外交や、高市政権で埋まろうとしているという“最後のピース”などについて、新潮QUEで詳報している〉

デイリー新潮編集部