「元アイドルが135キロ」膝の軟骨をすり減らした彦摩呂「養殖デブ」の言葉が刺さり、本気の減量に目覚めるまで
今年9月で還暦を迎えるタレントの彦摩呂さん。現在もグルメリポーターとして大きな存在感を放ちますが、「仕事をすればするほど太っていく」という悩ましい問題と長年葛藤してきました。一昨年、自己最高の体重となる135キロに到達し、デブ仲間に相談すると返ってきたのは、「こっちの世界に帰ってくるなら今だ」との非情なアドバイスでした。
【写真】「嘘でしょ」50キロ台だったデビュー当時のめっちゃイケメンな彦摩呂さん「今の半分です(苦笑)」(6枚目/全14枚)
「海の宝石箱や」でグルメリポーターの地位を確立
── 彦摩呂さんと言えば、やはりグルメにかかわるお仕事がメインでいらっしゃいますよね。特に食リポでの表現力はズバ抜けて素晴らしいと感じます。
彦摩呂さん:アイドルからバラエティに移行し、リポーターの仕事を始めたばかりのころは、芸能人のお宅訪問から動物番組まで、いろいろな番組から呼んでいただいたんです。グルメはその中のひとつでした。ただ、自分らしさをどうすれば出せるか、試行錯誤していて。カメラマンさんが撮影しやすい食べ方なんかは研究して工夫できるようになりました。でも、彦摩呂らしいフレーズがなかなか生まれない。
グルメリポーターの先輩、石塚英彦さんには「まいうー」という素晴らしいフレーズがある。グルメじゃないけど、同じ事務所の松村邦洋くんには「バウバウ」がある。仕事は順調に増えていったけど、僕には、彼らのような「これ」という決め手がなかったんです。
そんなとき、2005年に北海道の市場でのグルメリポートで、目の前に海鮮丼が現れたとき、刺身がとにかく新鮮で、照明さんが当てたライト越しにキラキラ光ってね。イカがオパール、マグロがサファイヤ、イクラがルビーに見えたんです。それで思わず、叫んだの。「わあ~、まるで海の宝石箱や」って。
自分にとっては、本当に自然に出た言葉でした。だけど、食べ物をほかのものに例えることは、食べ物を敬う気持ちではなくふざけているように思われるから、カットされるんだろうなと思ってたんですよ。そうしたら、オンエアでは字幕スーパー付きで使ってくれたんです。
── そんな経緯が。食べ物をほかのものに例えるのは、あまりよくないことだったんですか?
彦摩呂さん:というより、僕は、食べ物への敬意を損ねる気がして、例えないようにしていたんです。食べ物って、料理人がちゃんと作ってくれて、それを見て「食べたい」って思う人がいる。味を伝えるグルメリポーターとして、僕のコメント次第でお客さんが食べるかどうかを判断するかもしれないから、僕には責任がある。
だけど、「宝石箱」というフレーズから、世間の方々には、キラキラしていておいしい食べ物として受け入れてもらえたんでしょうね。それからは、食べ物に敬意を表しながら例えるようになりました。親子丼を見たら、「うわあ、鶏肉と卵の三者面談や」とかね。
それがそのうち、「彦摩呂節」とか言ってもらえるようになって。明石家さんまさんから、「ええの見つけたな」と言ってもらえるまでになり、本当に嬉しかったですね。ちなみに、この「宝石箱」、2025年で20周年だったんですよ。
目の前の料理を全部平らげていたら体が風船のように膨らんで
──「宝石箱」のフレーズが誕生してから20年、彦摩呂さんといえばグルメ、というイメージはお茶の間にすっかり定着しましたね。
彦摩呂さん:こんなふうにグルメリポートの仕事をたくさんやらせてもらって、本当にありがたいですよ。でも、「グルメリポーターとして売れれば売れるほど太る」というのはどうしようもない現実で。1日3、4つの仕事が全部グルメリポートの仕事だったりするわけです。ひどいときは朝の4時から銀座でフレンチのフルコースを食べ、その足で新幹線に乗って大阪の食レポロケの仕事に向かったこともありました。
当然ですが、料理はどれも本当においしい。だから、敬意を込めて、カメラが止まってから残りをいただき、完食していました。「撮影が終わったら残すのかな」とも思われたくなかったんです。
── たしかに、作った方に敬意を示したいというお気持ちはよくわかります。
彦摩呂さん:朝から晩まで食べ続け、帰ったら寝るだけ。そんな生活を続けていたら、どんどん風船みたいに膨らんでいったんです、顔が(笑)。芸能界に入った当初は56キロくらいだった体重も、気づいたら135キロになって。そこで慌てておデブ仲間に相談したんです。松村邦洋さんとか石塚英彦先輩とかね。
そうしたら「135キロの壁ってのがあるんだよ。その壁にタッチして戻るか、そのまま振りきって突き進むか、彦ちゃん、どっちかや」って言われて。しかも「僕たちは戻ってきたよ」ってみんな口を揃えて言うんです。それなら僕も痩せるしかないと。「135キロの壁に行ってみたら、たしかにみんなの手形がついてたわ。サインして戻ってきた」って冗談で言いましたけどね。
「養殖デブ」からの卒業を決意も「ダイエット企画は全て失敗」
── 135キロを超えて突き進むことなく、戻ってくることを選ばれたんですね。
彦摩呂さん:そうなんです。ただ、膝が痛くてつらいことも、ダイエットを決めた理由のひとつです。医師からは、加齢と体重の増加による変形性膝関節症と診断されたんですけど、軟骨がすり減っていて、痛くて。今もペンギン歩きなんですよ。
変形性膝関節症のことは、内山信二くんに相談したんです。そうしたら、言うんですよ。「俺たちは天然デブだけど、彦兄は養殖デブだからだ」って。「俺は3歳からデブだから骨もデブ仕様に成長した。骨が『こいつデブになるな』って覚悟して育ったから、俺は何ともない。でも、彦兄はもともと痩せてて、成長の途中からデブになったから、軟骨の成長が追いつかなくてすり減ってるんだよ」って言われちゃって。
── 彦摩呂さんは養殖デブだったんですね…。たしかに、アイドルグループ「幕末塾」としてデビューした40年前から比較すると80キロほど太られたそうですね。
彦摩呂さん:そうなんですよ。もうね、僕は内山くんの「途中から太ったからや」って話がすごく納得できて。実はそこから、何回か番組でダイエット企画に挑戦して痩せたんですよ。専門のトレーナーや栄養士さんに指導してもらってね。20キロ減量したこともあります。
でも、企画が終了するとカメラもトレーナーも栄養士さんもサッといなくなる。止めてもらっていたグルメリポーターの仕事が再開される。そうすると、ものすごいスピードでリバウンドするんですよ。だから今回は、ダイエット企画はもう全部断ろうと。某有名ジムからのオファーも断りました。それで、自力でゆっくり体重を落とそうって一念発起したんです。それがちょうど2年前の誕生日のことでした。
取材・文:たかなしまき 写真:彦摩呂

