74歳の現役プロボウラー半井清が殿堂入り 変則投法で駆け抜けた半世紀

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「令和でも語りたい昭和な人たち」#9プロボウラー半井清(なからい・きよし)

さる5月6日、東京・港区の東京ポートボウルで「半井清プロ(秘)殿堂入り 記念トーナメント」が行われた。

約100人が参加して開催され、主賓である半井清プロ(74)の人柄を表すような温かい雰囲気の会となった。

「殿堂入り」と言えば今年1月、イチローが日本人で初めてアメリカ野球殿堂入りを果たしたことで注目された。

日本では、野球、サッカー、プロゴルフなどにも殿堂があり、日本のプロボウリングは協会設立50年の2017年に創設された。半井プロは5年ぶり28人目の殿堂入りとなった。

選考基準は、トーナメントの優勝回数、さらに協会の役職歴任などの貢献をポイント化し、計30ポイントに達した者が殿堂入りするというシステム。

野球などのように記者投票はないため、30ポイントに達すると殿堂入りとなる。通算13勝の半井プロは、協会の理事などを務めたポイントが加わって30ポイントをクリアした。

中山律子プロ、並木恵美子プロ、斉藤志乃ぶプロ、矢島純一プロ、酒井武雄プロなど30勝以上の永久シード選手は、すでに殿堂入りしている。

「53年前にプロ入りして、ボウリング一筋でただ突っ走ってきました。こういう形になって、そりゃ嬉しいですよ。今後も前を向いて、この業界に少しでも役に立てるように頑張っていきたいと思います」

1972年プロ入りの10期生。いわゆる「ボウリングブーム」が終わった後のプロ入りだ。

中学生の頃からボウリングにはまり、高校生の時にはプロと勝負しても負けないほどの腕前になっていた。

高校卒業後、満を持して臨んだプロテストは、まさかの2年連続不合格。それでも3回目の受験でパスすると、努力を続けてチャンスを掴んだ。

73年12月に行われた「第7回 全日本プロボウリング選手権大会」。当時は、1部と2部があり、1部96人に入っていないと出場する資格がなかった。半井プロは当時、プロ入り1年が過ぎたばかりで2部のメンバーだった。

ところが、11月に行われた試合に欠員が出たため繰り上げ出場すると4位入賞。賞金を獲得したことで12月の全日本の出場権をギリギリのタイミングで獲得した。

すると全日本では名だたるトッププロを相手にしてもひるむことなく、ビッグゲームを連発。

あれよあれよという間に優勝をかっさらってしまった。半井プロ、22歳の時。この最年少優勝記録は、しばらく破られることはなかった。

「周囲には"フロックだ"みたいな感じに思われていたんで、なかなか自分のことを認めてもらえませんでしたね。個性の強い先輩も多かったし」と半井プロ。

しかし、常に上位に顔を出すようになり優勝を重ね始めると周囲の見る目も変わり、トッププロへと駆け上がっていった。

投法は変則だ。当時、基本と言われていた、ボールの重さを利用して「振り子」のように縦に腕を振る感じではなく、腕を横に振るようにしてボールを放り投げる。

するとボールの回転量は多くなり、必然的に曲がり幅も大きくなる。他のプロとはラインどりも全く異なり、レーンの左側から右側に大きく膨らませるようにポケットを狙うスタイル。

道具の進化や投法の変化などにより、今では当たり前になったラインどりも、当時は異端だった。

「とにかくボールを曲げたかったんですよ。そう思って試行錯誤していたら、このフォームになった。別に狙ってそうしたわけじゃありませんよ」と半井プロ。

その変則フォームもあって、オーソドックスな投げ方でトップに君臨していた矢島プロ、西城プロに対して「ヒール」と呼ばれることもあった。

「変則的な投げ方は、いつでもどういうレーンコンディションでも通用するというタイプではないので、自分に合うコンディションになった時は"もうこれしかない"くらいの集中力で向かいました。そうなった時は、ストライクを切らさない自信もありましたし、"1年に1回自分を表現できればいいや"みたいな究極な考え方で、やっていました」

変則投法の先駆者は、もう一つの顔を持つ。東京ポートボウル内に「プロショップ ナカライ」をオープンして39年目。プロボウラーでショップを開いた最初の人物が半井プロなのだ。

「自宅マンションを売って始めましたから、大変でした」と振り返るが、その人柄と確かな技術でユーザーのハートをガッチリ掴んでいる。

20年ほど前になるだろうか。アベレージ190しかなかった筆者が無謀にもプロテストを受験すると言い出した時、半井プロが推薦人になってくれた。

さらに指に巻くテープや滑り止めなどが入った、ショップの売り物である"道具"までプレゼントされたのに、2日でアベレージ180くらいしかマークできず、あっさり足切りで不合格となってしまった。

当時のプロテストは、まず1次で1日15ゲームを4日続けて投げ、195アベをクリアできれば2次テスト進出。2日で185アベ以下だと3日目に進めなかった。

レーンコンディションは筆者には難易度が高く、攻略できるレベルではなかった。

半井プロほどの経験値があれば、そんな結果はわかっていたはずなのに、受験を止められることもなく純粋に応援してもらい、本当に感謝している。
 
長いプロボウラー生活で下半身、腰など満身創痍。それでも5月には公認トーナメントに出場した。

「まあ、もういいかなと思いますけどね。ただ体さえちゃんとすれば、まだまだ技術では負けない自信はありますよ」

半井プロ、74歳。殿堂入りは通過点。まだまだ、その独特な変則投法をファンの前で披露してもらいたい。


テレ東リアライブ編集部 E.T(新聞、テレビでスポーツ現場30年のロートル)


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