イスラエル軍の攻撃を受けてレバノン市街に立ちのぼる黒煙

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 全面戦争は誰の利益にもならない──アメリカのバイデン大統領は24日、国連総会の一般討論演説で中東情勢の緊張緩和を訴えた。しかしイスラエルは、それを無視するかのように23日と24日にレバノンの首都・ベイルートで空爆を実施。レバノン政府によると2日間の死者は569人に達し、うち50人が子供だったという。

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 イスラエル軍は24日、この空爆によりレバノンの親イラン民兵組織「ヒズボラ」のイブラヒム・クバイシ氏など幹部3人を殺害したと発表した。クバイシ氏はミサイル・ロケット部隊の司令官を務めており、ヒズボラも死亡を確認した。

イスラエル軍の攻撃を受けてレバノン市街に立ちのぼる黒煙

 中東各国が全面戦争に突入するのではないかという懸念も強く、バイデン大統領が外交的解決を呼びかけたのは当然だと言える。しかしイスラエルは空爆を続行し、レバノンのハビブ外相もバイデン大統領の演説を「力強くなく、期待も持てない」と酷評した。

 そもそも発端から衝撃的だった。レバノン各地で通信機器の爆発が報じられると、世界中から驚きの声が上がった。

 9月17日、レバノンの各地でヒズボラのメンバーが所有していたポケベルが一斉に爆発。翌18日にはメンバーの持つトランシーバーが爆発した。2日間で30人以上が死亡、3000人以上が負傷した。

 世界各国のメディアが報じる速報や詳報を目にしながら、頭の中が「?」で埋め尽くされた人も多かっただろう。どうしてポケベルが爆発するのか──?

 Xを閲覧すると「そもそもポケベルを知らない」という人も相当な数に達していることが分かる。日本ではNTTドコモが2004年6月に新規申し込みの受け付けを停止、翌07年3月にサービスを終えた。

最初に報じられた「マルウェア説」

 最後までポケベルを運用していた東京テレメッセージも19年9月にサービスを終了。ポケベルを「見たことも触ったこともない」人がいて当然だろう。

 さらに大手メディアの報道が錯綜したことも、読者を混乱させた。17日にポケベルが爆発すると、当初は「マルウェア」(註:コンピューターウイルスなど、悪意のあるプログラムの総称)が原因だとする報道が目立った。

 スマートフォンに比べると情報処理能力が桁違いに劣るとはいえ、ポケベルも立派な情報機器であり、通信ネットワークで結ばれている。

 イスラエルがヒズボラのポケベルにマルウェアを感染させ、ポケベルのバッテリーに限界以上の負荷を与えることで爆発が相次いだ──こうした解説を伝えたメディアは、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルを筆頭に、決して少なくなかった。

 ところが翌18日にはトランシーバーも爆発した。スマホやポケベルは情報機器だが、トランシーバーは単なる無線機だ。さすがにマルウェアの感染は考えにくい。担当記者が言う。

「トランシーバーの爆発が起きると、日本のメディアは『イスラエルがポケベルとトランシーバーに爆発物を入れた』と唐突に報じました。しかも、どうやってヒズボラのポケベルやトランシーバーに爆発物を忍び込ませたのか、という方法については何の解説もなかったのです」

映像分析で見えた真実

 17日の報道内容を把握し、イスラエルがヒズボラにサイバー攻撃を仕掛けたと受け止めていた人も多かったはずだ。ところが突然、『ポケベルもトランシーバーも物理的に爆発した』と報道内容が変わってしまった。これには戸惑った読者も相当な数に達しただろう。

 軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は17日にポケベルが爆発した時点で、「これはサイバー攻撃ではなく、物理的な爆発だ」と分析していたという。

「確かにポケベルも立派な情報機器ですから、マルウェアを使ったサイバー攻撃を仕掛けることは可能です。しかし、もしバッテリーが異常加熱したら、爆発ではなく発火するほうが普通です。よく電車の車内でモバイルバッテリーが発火し、乗客が火傷したというニュースが報じられます。ヒズボラのメンバーも、あれと似た状況になったはずです。ところがメンバーがケガを負った瞬間を捉えた動画が配信されると、文字通りポケベルは爆発していました。これはバッテリーが原因ではなく、何らかの爆発物が仕込まれた可能性が高いと分かったのです」

 さらに決定的だったのはニューヨーク・タイムズが9月19日、「どうやってイスラエルはポケベルを爆発させる機能を備えた、現代版トロイの木馬を開発したのか(How Israel built modern-day trojan horse equipped for exploding pagers)」との記事を配信したことだ。

信憑性の高い記事

「この記事はCIAの情報を元に書かれています。世界各国のメディアがCIAの関係者に取材を行っていますが、事実関係が最も正確な記事を出稿するのはニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストの2紙です。他メディアの追随を許すことはなく、例えばウォール・ストリート・ジャーナルもCIAの取材結果を元に記事を配信することがありますが、往々にして信憑性を疑問視されます。CIA側も確度の高いネタはタイムズとポストにリークし、確信の持てない情報を他のメディアに流す傾向があるようです」(同・黒井氏)

 見出しにある「トロイの木馬」はマルウェアの代表例としても知られている。そのニュアンスも含まれているのだろうが、やはりこの場合は本家本元であるギリシア神話の「トロイア戦争」を下敷きにしたもののようだ。

 ご存知の通り、ギリシア軍は巨大な木馬の内部に多数の兵士を隠し、敵であるトロイアの城壁外に放置。ギリシア軍が退却したと喜んだトロイアの人々は城の中に木馬を運び入れてしまう。そして深夜に木馬から出た兵士が城門を開き、駆け付けた援軍と共にトロイアを滅亡させたというエピソードだ。

ヒズボラにポケベルを販売

 ギリシア軍がトロイの木馬に兵士を隠したように、イスラエルはポケベルやトランシーバーに爆弾を隠した──という意味なのだろう。

「ニューヨーク・タイムズの記事によると、ヒズボラがハッキング対策のためポケベルを必要としていたことをイスラエル側は把握。そのためハンガリーを拠点に『BACコンサルティング』という会社を設立し、国際的なポケベルの製造・販売を行うという触れ込みで業務をスタートさせました。しかし実態はペーパーカンパニーで、BAC社にはイスラエルの工作機関員が出入りし、彼らの身元を隠すため他に少なくとも2つのペーパーカンパニーが設立されました。そしてヒズボラを顧客としてポケベルを販売したのですが、その電池には高性能爆薬であるペンスリットが巧妙に仕込まれていたそうです。ポケベルは2022年の夏から少しずつレバノンに出荷され、今年に入って大量に納品されています」(同・黒井氏)

 記事によるとBAC社はカモフラージュのため、一般の顧客にもポケベルを販売していたという。だが、同社にとって本当に重要な、唯一とさえ言える販売先はヒズボラだったのだ。

 皮肉な話だが、ヒズボラがポケベルを導入しようとした判断は正しかった。“ローテク”のメリットを最大限に活用できるはずだったのだ。

誰がポケベル導入を決めたのか?

「スマホは非常に高性能な通信機器ですから、ハッキングに成功すれば膨大かつ詳細なデータを盗みとることができます。メール履歴や住所録、GPS位置情報もとれますし、カメラやマイクを遠隔操作で起動することも可能です。一方のポケベルは位置情報を把握する機能を持っていませんし、写真や動画を撮影することも、メンバー同士で通話することもできません。あえてローテクのポケベルを活用すれば、情報漏洩のリスクを最小限に減少できたはずなのです」(同・黒井氏)

 ヒズボラがローテクのメリットを享受することは許さない──そう判断したイスラエルは逆手を取って爆発物が含まれたポケベルをヒズボラに売りつけたわけだ。同じ手口でトランシーバーもヒズボラに“納入”した可能性は高い。

「となると『ヒズボラがポケベルを導入しようという意思決定さえも、イスラエル側が仕組んだのではないか』という疑問が浮かびますが、その可能性は現時点で否定できません。まさにスパイ小説を超える虚々実々の駆け引きが繰り広げられていたのではないでしょうか」(同・黒井氏)

諜報の歴史に残る作戦

 どこの国でポケベルやトランシーバーを製造していたかは不明だとしても、少なくとも設計はイスラエルの技術者が担当したと考えるのが妥当だという。

「私も長年、世界の情報機関をウォッチしていますが、これほど長期間の入念な準備を行い、圧倒的な衝撃を世界に与えた破壊工作は過去に記憶がありません。イスラエルのポケベル攻撃が人道的に許されるかという問題はさておき、秘密工作の歴史に残る出来事だったのは間違いないでしょう」(同・黒井氏)

 ニューヨーク・タイムズの記事によると、火曜日の午後3時半過ぎ、レバノンでポケベルが鳴り始めたという。その数秒後、レバノン全土の道路、商店、家庭で爆発音が響き、苦痛とパニックによる悲鳴が後に続いた──。こうして入念な破壊工作は成功を収めたのだ。

デイリー新潮編集部