余計な仕事を引き受けて後悔するジレンマ(写真:Pangaea/PIXTA)

こんなことはないだろうか? それほど親しくない人から「来月、イベントに来てよ」という誘いを受けたあなた。特に予定が入っていないので、「イエス」と返事したところ、当日が近づくとどんどん忙しくなって、なぜこんな行かなくてもいい約束を入れたのかと後悔する……。心理学では、深く考えずに未来の予定を入れて、後悔することを「イエス→しまった! 案件(Yes/Damn Effect)」と呼ぶ。

「未来の時間」は遠すぎて、自分の状態を予測することが難しいから起こる現象だ。心理学者のハル・ハーシュフィールド氏は、ベストセラー書『THINK FUTURE 「未来」から逆算する生き方』で、頼まれごとを引き受けるときの「イエス」と「ノー」の使い分けを提言している。

最悪な人生を送る若者を変えたある助言

ダニー・ウォレスは20代半ばで、その年ごろにありがちな悩みに直面していた。つき合っていた彼女に振られ、仕事にはおもしろみを感じない。しだいに自身の殻に閉じこもり、人との集まりや交流を避けるようになった。


1人で過ごすこと以外、何も望まなかった彼は、ありとあらゆる言い訳をひねり出し、人からの誘いを断った。数カ月も経つと、彼は「ノー」しか言わない「ノー・マン」と化していた。

しかしある日の夕方、転機が訪れる。ロンドンの駅で地下鉄が来るのを待っていると「車両故障のため運行中止」のアナウンスが流れた。乗客は不平や不満を口にしながら駅のホームを後にした。

駅を出て代替バスの停留所に向かう途中、ダニーは乗客の1人と言葉を交わし、それがきっかけで、人生のさまざまな悩みを打ち明けた。

「僕の人生、最悪なんです」

あごひげを生やしたその男性は黙ってダニーの話を聞いていたが、「もっと『イエス』と言ってみたらどうだい」と、さりげなくアドバイスしてくれた。

ダニーは彼の言うとおりにした。とりあえず1日だけのつもりで。さっそく、おかしなやり取りが生じた。二重窓の無料見積もりを勧めるセールス電話に「はい、お願いします!」と返事したが、彼の家の窓はすでに二重窓だった。そう告げると、セールスマンは「それならなぜ『イエス』と言ったんですか?」と言って電話を切った。

誰もがする、安請け合いを後悔する経験

やがてこの小さな試みは、大きな挑戦へと変わっていく。ダニーは地下鉄で出会った男性からの「もっとイエスを」というささやかなアドバイスに対して、真剣に取り組むことにした。「全部」イエスと答えたら人生はどう変化するのか、5カ月半にわたって挑戦した。

5カ月半の間にはさまざまなことが起こった。13年落ちのミントグリーン色の日産車を買う羽目になったり(「乗ってみたら、おもちゃの車を運転するG.I.ジョーみたいだった」とは本人の弁)、スクラッチの宝くじで2万5000ポンド当てたりと思ったら削りすぎて無効。詐欺メールにも素直に対応してしまうなど……。

ここまで読んで思い当たる方もいるだろう。ジム・キャリー主演の映画『イエスマン “YES”は人生のパスワード』(バジリコ)の原作はダニーの回想録だ。

あまり知られていないのだが、心理学者は自身の研究結果におもしろい名前をつけることがある。イェール大学でマーケティング学を教えるギャル・ザウバーマン教授とコロラド大学ボルダー校のジョン・リンチ教授は「イエス」と答えたものの悔いる傾向を「イエス→しまった! 案件(Yes/Damn Effect)」と名づけた。ぴったりのネーミングだ。

「イエス」と引き受けておきながら「しまった!」と後悔する経験は、誰でも覚えがあるだろう。「ノー」を選択肢から排除したせいで、あらゆる状況下で「イエス」と答え続けることになり、その結果クレジットカードの負債を抱えたり、バーで殴られそうになったり、抗うつ剤や育毛剤の処方せんなど、必要のないものを購入する羽目になる。

とはいえ、「イエス→しまった! 案件」は、必ずしもそうした直接的な(あるいは愚かな)結果をもたらすわけではない。

最近あなたが受けた頼まれごとは何だっただろうか。職場でプレゼンをするとか、子どものサッカーチームのコーチをするとか、つき合いの浅い友人の誕生日パーティーに行くとか、さまざまな約束があるだろう。

細かな用事が及ぼす影響は予測できない

スケジュールが真っ白なので、それなら大丈夫だろうと思い「イエス」と答える。しかし予定が近づいてくるにつれ、あまり時間がないことに気がつく。頼まれごとよりも、自分の用事をこなしたいと思うようになる。それが「イエス→しまった! 案件」だ。

ザウバーマン教授が説明してくれたが、私たちは3カ月後に何も用事がないと思っているわけではない。ただ、今よりは時間が空くだろうと思っているだけだ。しかし、そのうち、未来は「時間無制限の魔法の国」だと勘違いするようになる。

実際、ザウバーマン教授がある研究で自由になる時間について、10段階で評価する調査を行ったところ(1=現在十分な時間がある、10=1カ月後に十分な時間がある)、被験者の回答は平均8.2だった。

そうした錯覚の原因の1つとして挙げられるのが、メールへの返信や会議、同僚や友人との約束、近所づき合いなど、日々の中で数分、数時間を費やす細々とした用事だ。思いつくまま挙げれば他にもあるはずだが、今も未来もこうした小さな用事が思いがけず飛び込んできて、私たちの時間や労力を消費する。

問題は、私たちがこうした細かな用事を予測するのが得意ではないということだ。先延ばしのときと同様に、未来について考えているつもりが、現実的には見ていないのだ。

とはいえ「イエス」という答えが必ずしも間違いだとは言い切れない。ダニーは言う。

「『イエス』はチャンスの言葉だ。イエスのひと言で楽しみや冒険、予期せぬことが転がり込む。なぜなら1つの『イエス』が別の『イエス』につながるから。まるでドミノ倒しのように」

トロント大学でマーケティング学を教えるディリップ・ソマン教授は、こうした「イエスと言うべきかノーと言うべきか」のジレンマを認識した上で、自分の生活に「ノー→やった! 効果」を取り入れるとよいと言う。

何かを約束する際には「イエス→しまった! 案件」を念頭に置き、自分の負担になりそうなものには「ノー」と言う。

そして、カレンダーにあえてその「断った約束」を記入し、「同意せず」と書き添えておく。そして約束の日が近づいてきたら、改めてカレンダーを確認して「やったー!」と叫ぶ。「断っておいてよかった」と思い、自由な時間を享受する喜びをかみしめるのだという。

他人を幸せにすることを優先していく

それではどうやって「イエス」と「ノー」を使い分ければいいのだろう。こればかりは簡単に決められないが、ダニーのアドバイスが素敵だったので紹介しよう。

「相手を幸せにし、なおかつ自分の幸せにしわよせが来ないのなら『イエス』と言うのがいい」

他人の幸せが自分の幸せよりも圧倒的に優先される場合、あるいは自分の計画をおろそかにするクセがある場合は「ノー」と言ったほうがうまくいく。もちろん、状況に応じて判断すべきだとは思うが。

私たちは「旅行計画が不十分なミス」に翻弄され続ける。未来の自分について考えを巡らせるものの、あくまでも表面的な部分しか見ていない。計画ミスをより広い視点から捉えると、自己認識の問題に突き当たる。未来の自分に何かを課す場合、自身の幸せを2つの側面から考えてみてほしい。

1つは、それを課すことで未来の自分に重荷やストレスを与えないか。

もう1つは、今やらないことを未来の自分に託せば、どんな効果が生まれるか。どちらも先延ばしと「イエス→しまった! 案件」に通じる問題だ。

(ハル・ハーシュフィールド : UCLAアンダーソン・スクール・オブ・マネジメント教授)