お酒好きの福沢諭吉、なんと少年時代から飲酒していた!お酒と縁深い諭吉の人生をたどる

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将来を悲観して酒びたり

『学問のすすめ』などを著した福沢諭吉は、勉学に励む真面目な人物との印象がありますが、実は大の酒好きでもありました。

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しかも、彼の飲酒は未成年の時から始まっていたというのですから驚きです。しかしそれには深い事情もありました。

諭吉少年には幼いころからすでに酒を飲む癖がありましたが、その理由は、彼が世の中を悲観していたからです。

諭吉は、豊前中津藩(現・大分県)の大坂蔵屋敷の勤番をしていた百助の次男として生まれています。福沢一家は、大坂という都市の空気を吸い、その流儀に染まっていましたが、父・百助が急死したことで、一家で九州の中津に戻ることになりました。

福澤諭吉誕生地の碑

ところが、上方暮らしにすっかりなじんでいた福沢一家は、中津の気風にはまったく合いませんでした。中津藩内は封建的な気風であふれていたのです。

たとえ同じ待でも、上位の侍と下位の侍は厳然と区別されていたという土地柄でした。それは子ども同士のつきあいまでおよんでいて、町人の街・大坂で自由な空気に親しんでいた福沢家には、到底なじめるものではありませんでした。

そのため、福沢家は中津藩の中で孤立したうえ、生活は苦しく、諭吉少年も内職に明け暮れていました。

そんな状況下で、彼は中津での将来にすっかり絶望します。また父が教養人でありながら出世できなかったという事実を知ったこともあって世の中がつまらなくなったようです。

その憂さ晴らしもあって、福沢は幼いころから酒を飲むようになったのでした。

勉学のかたわら酒びたり

ただ、そうした状況が一変したのは、それから二〜三年後のことでした。彼が十四〜十五歳のときに学問に目覚め、学問のおもろしさを知ったのです。

それだけではなく、「学問に励めば中津から脱出できる」とも考えるようになりました。ここから、教育者であり思想家でもあった福沢諭吉の人生がスタートしたのです。

とはいえ、その後も彼の酒好きは変わりませんでした。

諭吉の回顧録『福翁自伝』でも、彼は1855年に22歳で入塾した大阪・適塾で蘭学を学びながらも、とにかくお金が許す限りお酒を飲んでいたとあります。

また適塾で学んだ後、江戸で蘭学塾を開いたときも「勉学のかわたら飲むことを第一の楽しみ」としていたほどで、生涯にわたって酒を好み、また酒と縁の深い人生であったことが語られているのです。

ちなみに、数あるアルコールの中でも、特に愛飲したのがビールだったと言われています。

参考資料:
歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む 雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
・キリン歴史ミュージアム
画像:photoAC,Wikipedia