『デッドプール&ウルヴァリン』© 2024 20th Century Studios / © and ™ 2024 MARVEL.

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 個人的な話で恐縮だが、私は同窓会に呼ばれたことがない。そのこと自体に不満はないし、小・中・高の己の行いを振り返ると、「そりゃ呼ばれんわな」と納得もできる。むしろ行きたいとも思わないので、これぞまさしくWin-Winだ。しかし今回『デッドプール&ウルヴァリン』(2024年)を観ると、私の胸にはある想いが残った。「同窓会ってこういう感じなのかな? だったら行っても悪くないかもしれない」と。

参考:ライアン・レイノルズの行動力がカギに? 『デッドプール&ウルヴァリン』映画化への道のり

 『デッドプール&ウルヴァリン』はMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)という一つのジャンル/世界観が完成する以前、1990年代から2000年代に「なんか向こうで人気のあるマンガの映画化らしい」くらいのフワっとした感覚でアメコミ映画を観てきた人間にとって、最高の同窓会映画である。これはちょっと反則だと言ってもいい。面白いとか面白くないではなく、随所で「ずるいよ~!」と身悶えすること必至だ。デッドプールという特殊なキャラでしかできないことを最大限に活かした作品であり、シリーズ最高傑作だと断言したい。

 興奮のあまり結論から書いてしまった。ここで映画の説明をしておこう。傭兵のウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)は、マスクを被ってスーパーヒーローの“デッドプール”として活動している。デッドプールは銃器と刀の達人であり、不死身の肉体を持つが、最大の特徴は「第4の壁」を破れる点、すなわち自分をフィクションのキャラクターだと認識していることだ。このためデッドプールは、観客に直で話しかけてくるし、楽屋ネタを連発するし、時には映画会社を皮肉ることもある。基本的に「何でもあり」なヒーローなのだ。今回はそんなデッドプールが生きる世界が、ワケあって消滅の危機に陥る。デッドプールは大切な友人らを消滅の危機から救うべく、戦いに身を投じていく。そして世界を救うにはウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)が必要だと判明し、デッドプールはさっそくMCUの並行世界中を飛び回って、話が通じそうなウルヴァリンを探す。しかし、ようやく見つけたウルヴァリンは、完全に意気消沈して、ヒーローとしてのやる気を失っていた……。

 あらすじはこのくらいにしておこう。なぜならこの後からは、今のアラサー後半以上の映画ファンにとって、怒涛のサプライズが続くからだ。ストーリーについては、これ以上の情報は入れずに劇場へ向かうのがいいだろう。さらにここからはストーリーの詳細に触れずに記事を書いていくので、異様に遠回しな表現を使いつつ、奥歯に物が挟まったまま書くことになるが、こちらも許してほしい。ごめんなさい。

 本作で描かれるのは、MCUの巨大化に伴って起きているキャラクタービジネスへの皮肉たっぷりな視線と、ファンがキャラクターへ向ける愛情についてだ。MCUは今や巨大な世界を形作り、数多くの作品と数えきれないキャラクターを生み出した。遂には映画会社の垣根を超えてスパイダーマンが共演し、ファンを喜ばせ続けている。一方で、そうなれなかったキャラもいる。単純に人気が出なかったり、タイミングが合わなかったり、映画会社の大人の都合だったり……使い潰されたり、なかったことになったキャラもいるのだ。

 今回の主人公であるウルヴァリンも、いわばそういうキャラの1人だと言っていいだろう。ウルヴァリンは大人気ヒーローだが、彼ほど酷使されたヒーローもなかなかいない。映画版での初登場は『X-メン』(2000年)。そこから3作続けてシリーズに出たあとは、演じるヒュー・ジャックマンが売れっ子になったこともあり『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』(2009年)で単独主演シリーズがスタート。生身のヤクザと走る新幹線の上で戦う『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013年)では、ある意味で日本中のファンの度肝を抜いた。一方で『X-MEN』シリーズが傑作『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(2011年)で大幅な仕切り直しを行い、その後のシリーズ『X-MEN:フューチャー&パスト』(2016年)にも主演。入り乱れた時間軸の中で、ウルヴァリンは活躍を続け、これまた傑作『LOGAN/ローガン』(2017年)で、その戦いの人生に幕を閉じた。約20年に渡って同じ俳優が1人の役を演じ続けるのは珍しいが、同時にそれは、20年に渡っていろいろな商業的な事情に翻弄され続けたことも意味する。そして今回の復活も、「『X-MEN』シリーズのMCUへの本格合流の布石」という商業的な意図があると言っていいだろう。

 本作に登場するのは、ウルヴァリン同様、いろいろな「都合」に翻弄されたキャラクターたちだ。そして本作はフィクションとして消費される運命にあるキャラたちが、「なかったこと」にされないために戦う物語である。それを率いるのが、自分はフィクションのキャラだと把握していて、キャラクタービジネスを巡る物語の「外」のあれこれをメタ的に皮肉りながらも、物語の「中」で正義のために戦うデッドプールである点が心憎い。

 もちろん、同窓会に興味がない人でも、本作は楽しめるはずだ。R指定なので、アクションにもギャグにもまったく遠慮がない。血もバンバン出るし、首もポンポン飛ぶ。そういうのが苦手な方にはオススメできないが、アクションもギャグの切れ味も、シリーズでは最高峰のように思えた。不死身のデッドプールとウルヴァリンの、いくら殺しても死なない血みどろの戦いも、じゃれ合いのようで観ていて楽しい。

 とはいえ、本作の最大の魅力は……やはり同窓会的な側面だろう。「元気そうなあいつが観れて良かった」という再会の喜びと、「どこかで明日も明後日も、この調子で元気にやっていくんだろうな」という気持ちの良い別れ。この感じ、まさに同窓会である。1990年代から2000年代に、アメコミ映画を追っていたすべての人にとって、本作は楽しい同窓会映画の決定版となるはずだ(同窓会、俺は呼ばれたことないけど)。

(文=加藤よしき)