真剣な表情で実技に挑むランさん(手前)(写真提供:チャン・ティ・ゴク・ラン、教習所の許可を得たうえで安全に注意して撮影をしています)

「入校日にすぐ運転なんですが、最初はすごくこわかった。運転席から見える景色って違うじゃないですか。どれだけハンドル回したらどのくらい動くとかもわからないし」

と話すのは、ベトナム人のチャン・ティ・ゴク・ランさんだ。ハノイ郊外の出身で、日本には10年ほど住んでいて日本語も堪能だが、このたび運転免許を取得することにした。それもいわゆる「合宿免許」なのである。

宿泊施設に缶ヅメになって教習所を毎日往復し、学科や技能のカリキュラムを集中的に受け、運転免許試験の合格を目指す。最短14日で教習所を卒業でき、繁忙期以外なら費用は20万円ほどと「通い」よりも早く、安く運転免許を取得できるのだが、この合宿免許に参加する外国人がいま急増している。

外国籍の運転免許保有者数は右肩上がり

「年間1万人ほどのお客さまを合宿免許にお送りしていますが、そのうち3500人が外国人で、この数字はどんどん伸びています」

そう話すのは合宿免許をはじめ運転免許に関わるさまざまなサービスを展開するジップラスの営業本部営業推進課・統括課長、小峯孝一郎さん。

少子高齢化の影響で、運転免許が取れる18歳の人口は2024年1月1日時点で106万人、前年比6万人減と過去最少を更新し続けている。

数が減っているだけでなく価値観やライフスタイルも多様化し、「18歳になったらすぐ免許を取りに行け」なんて親から言われた人も多いだろうけれど、そんな風潮はもう過去のもの。身分証明書はマイナンバーカードでいいし、クルマが生活必需品の地方はともかく都市部では若者の免許離れが進んでいる。

一方、日本国内における外国籍運転免許保有者数は右肩上がりで、内閣府の発表によると、2018年に約90万人を超え、2009年から25%増加した。合宿免許にはとくに留学生がよくやってくるという。

ジップラス代表の金坂茂さんは言う。

「日本語学校や外国人の多い専門学校では、『卒業までに免許を取っておきなさい』と先生から指導されるそうなんです」

一昔前に日本人の若者がみんな言われたことを、いまでは外国人が言われる時代なのである。その理由はいろいろとある。

まずは「在留資格」の問題だ。この国に生きる外国人は日本に滞在する目的に合った在留資格(留学、技能実習、技能、日本人の配偶者などなど)を取得しなくてはならない。

で、これには有効期限があって、時期が来たら更新しないと引き続き日本に滞在できないのだが、その手続きに頭を痛めている外国人は多い。必要書類がたくさんあってややこしく条件は厳しい。

留学生も同様だ。卒業後も日本で就職し、暮らすなら、留学から就労用のものに在留資格を変更しなくてはならない。そのとき運転免許を取得していると、入管(出入国在留管理庁)のイメージがいいのだそうだ。この国でしっかり根を張って生きていく証しの1つと受け止められるのか、在留資格の更新にも影響があるといわれる。

加えて地方で就職するなら日本人と同様、クルマは生きるために必要だ。とくに地方ほど少子高齢化による労働力不足が深刻で、そこを穴埋めする外国人が増えている。こうした地域では会社のほうから外国人スタッフに免許の取得を勧めることもある。

そしてクルマを運転できれば行動範囲が広がるし、日本での生活がより楽しくなる。就ける仕事の幅も広がる。

静岡県の場合はベトナム語で試験を受けられる

ジップラスでは北海道から沖縄まで提携している自動車教習所が110ほどある。参加者はその中から通いやすいとか観光と組み合わせるなどしてお好みのところを選ぶというわけだ。住むのは寮、ビジネスホテル、レオパレスなどさまざま。

冒頭のランさんは静岡県富士市の学校に通ったが、静岡県の場合はベトナム語で試験を受けられること、富士にはなんとベトナム人の指導教官がいることから在日ベトナム人御用達の教習所となっているのである。

「朝7時すぎのバスで寮から教習所まで行って、午後4時か遅いと6時すぎまでずっと実習と、学科のオンデマンドの授業です」


宿舎ではオンデマンドで教本の学習も進めていく(写真提供:チャン・ティ・ゴク・ラン)

まさに合宿といった感じで「クルマ漬け」の日々を過ごしたランさんだが、もう1人、やはりベトナム人のグエン・トゥイ・ハンさんは兵庫県神戸市で合宿免許に挑んでいた。

「私のほうは日本人のほうがずっと多い学校でした」

兵庫もベトナム語での試験が受けられること、以前に住んでいたことから選んだという。「入校日からいきなり運転でしたが、親切に教えてくれたので安心できました」と話すハンさん、困ったのはルールの多さだ。

「日本は標識もルールもベトナムよりずっとたくさんあって、ややこしいですね」

ベトナムの右側通行から日本の左側通行に慣れることも必要だ。そのあたりを体得するには慣れと経験を積み重ねていくしかないのだろうが、指導する教官の中には厳しい人もけっこういたようだ。


乗車の前に教官’(左)と打ち合わせをするハンさん(写真提供:グエン・トゥイ・ハン、筆者撮影、教習所の許可を得たうえで安全に注意して撮影をしています)

やってみて、と言うだけで詳しく教えてくれない。教官が助手席から突然の急ブレーキ、教官によって言うことが違う……なんて話でハンさんとランさんが盛り上がるが、このあたりは僕たち日本人も教習所でさんざん経験したことだろう。

確かにきつい教官はいた。でも、口やかましく言われたからこそ事故を起こさずにすんでいるのだと感じている人だって多いはずだ。

運転知識や技術に加えて、心も教える

「日本の自動車学校は、運転知識や技術に加えて、心も教えるんです」(金坂さん)

たんにクルマの操作法を学ぶ場ではない。日本の運転マナーやルールをしっかり身につけてもらうことがなにより大切なのだ。


教習所ではとにかく安全確認を叩き込まれる(写真提供:グエン・トゥイ・ハン、教習所の許可を得たうえで安全に注意して撮影をしています)

しつこいほどの安全確認、ゆずりあいの精神、ルールの徹底的な学習……こうしたことを教習所で叩き込まれた人たちから構成される日本の道路は、諸外国に比べるときわめて安全で運転しやすい。

日本に住む外国人が増えるにつれ、ルールやマナーを守らないと槍玉に挙げられることがずいぶん多くなった。たしかにこの国はやたらと決まりごとが多く、それが生きづらさにつながっているという面は日本人だって感じる。

とはいえ、日本はルールを重んじることで秩序を守ってきた国なのである。なら、新しい住民である外国人にもやっぱりそのあたりを考えてもらいたいし、交通ルールはしっかり守ってもらいたい。無免許運転や飲酒運転で摘発される外国人もいるが、そういうことにならないための教習所であり、厳しい指導なのだ。

「事故を起こさないため、不幸な人を出さないためのルールなんです。外国人にもそこを学んでほしい」(金坂さん)

ジップラスは多民族化が著しい日本で、運転免許という面から包摂を進めていく企業といえるのかもしれない。

ベトナムでもクルマは運転したことがなかったというハンさんとランさん、いろいろ苦労はありながらも教習所をクリアした。ランさんが苦笑いする。

「縦列駐車、ってあるじゃないですか」

僕もいまだによくミスるやつだ。ランさんも苦手だったというが、実技の卒業検定では練習以上に見事に駐車を決められたのだとか。本番に強いタイプなんだろう。

「でも、そのときにドアを開けますよね」

安全確認のアレだ。ところが折しもタイミング悪く激しい雨の真っ最中、上半身びしょ濡れになってしまったのだという。

「高速道路の教習のときもすごい雨で、トラックがどんどん抜かしていくし怖かった」

それでも道路を走るのは楽しいし、免許を取ったら友達と熱海に行きたいのだとランさんは言う。一方でハンさんも教習所を卒業したものの、実際にクルマを運転するかどうかは決めかねている。

「私、反応が遅いから危ないかも。免許は取りますが……」

神奈川県では免許試験が20言語に対応

ちなみに教習所での仮免許試験、免許センターなどでの本免許試験とも、学科は多言語で受験できるようになりつつある。神奈川県ではこの6月末から、英語、中国語、ベトナム語、ポルトガル語、タイ語、ネパール語など20言語に対応を開始した。

その理由は運送業界の人手不足だ。公益社団法人・鉄道貨物協会によれば、バス、タクシー、トラックなどのドライバーは、2028年度には27.8万人が不足するという。そこを外国人で補おうという動きがいまから広がりつつある。この4月から在留資格「特定技能」に自動車運送業も追加され、本格的に外国人ドライバーが参入してくることになった。

「合宿免許でも、タクシーなど『2種』を目指そうという外国人が多いんです」(小峯さん)

また、ジップラスでは母国の運転免許を日本のものに切り替える手続きもサポートしている。その際にはもちろん日本の交通ルールを理解しているか、実技での確認も行われる。

日本人以上に安全運転の外国人ドライバーを育成することが役割でもあるジップラスだが、業務内容を反映してけっこうな多国籍チームなのである。

ベトナム、ネパール、中国、ノルウェー、ミャンマー……いろんな人たちが働いているのだが、お互いのやり取りは日本語というのが面白い。実はランさんとハンさんも同社のスタッフで、おもに合宿免許参加者への案内や手配などを行っている。

「自分も参加した経験があれば、お客さまにもちゃんとアドバイスができると思って」

と2人は話すが、彼女たちと合わせて8カ国34人が働く。日本人は14人だから、外国人のほうが多いのだ。その1人、ハンさんと机を並べるノルウェー人のルンド・ステファンさんは言う。

「いい意味で日本的じゃないところもある会社です。入ったばかりですが楽しくやってます」


日本の文化や言語を学ぶのが好き」と話すルンド・ステファンさん(筆者撮影)

ネパール人のスレスタ・イスさんは同社で働き始めて1年半ほど。

「いろんな人がいて楽しいですよ。ふだんは日本語、英語、ネパール語を使って仕事をしています。働きやすい職場ですね」


前職は英語の先生だったというスレスタ・イスさん。自分で免許を取るのはいまいち自信がないとか(筆者撮影)

外国人のパワーを会社の活力に変える

みんな日本語が堪能とはいえ、文化が違うのだ。チームとしてまとめるのはなかなか苦労もありそうだが、そのあたりの事情について、合宿免許を取りまとめるマネージャー・大粼奈々さんに聞いてみた。

「そうですね、大変です。みんないろんな考え方があるので、意見が食い違ったときにどこに落としどころを持ってくるか、とか」

それでも、やはり異なる文化を持った人が一緒に働くというのは刺激があるようだ。

「新しいことにチャレンジしていくって社風もいいと思っています」

もう1人、外国免許切り替えのリーダーを務める服部樹佳さんは言う。

外国人スタッフが相手だからこうしている、とかは別にないんです。より多くの人が、国籍ではなく人として見てもらえる社会になればと思っています」

外国人のパワーを、会社の活力に変えていく。ジップラスのような企業は、これからどんどん増えてくるだろう。

(室橋 裕和 : ライター)