「ただ、当時のBLって、ほぼすべてがバッドエンドだったんです。禁断の愛に触れて堕ちてゆく結末ばかり。それが子ども心に胸糞悪かった。『なんで男どうしが愛しあうと不幸にならなきゃいけないの? もっと自由に恋愛ができる世の中になればいいのに』って小学生の頃から憤っていましたね」

 中学校へ進学以降、関心は現実の美少年へと拡がってゆく。

「本田恭章さん(日本のヴィジュアル系のパイオニアとして語り継がれるギターヴォーカリスト・俳優)に夢中になり、その後、hydeさん(L’Arc〜en〜Ciel)の追っかけをするようになりました。熱がまったく冷めないまま現在に至ります」

 ぢゅあんが開店した1月29日は、実はhyde氏の誕生日。この日を開店記念日にしようと、必死で間に合わせたという。

自衛隊でのストレスをゲイバーで解消

 多感な学生時代を過ごしたとぢこさんは23歳で海上自衛隊に入隊。広島にある呉(くれ)地方隊に配属され、寮生活を送ることとなる。自衛隊を志望するとは、この国を護りたい気持ちや、愛国心があったのだろうか。

「実は……なかった(苦笑)。父が自衛官をやっていて、いつも私に『自衛隊のカレーの肉はデカいぞ』と話をしてくれていたんです。そのカレーが食べたいなと、ずっと思っていて。そんなまぬけな理由で受験したのに合格しちゃったんです」

 動機がユルかっただけに、隊での暮らしはことのほか厳しく感じたという。

「運動が苦手なので訓練はしんどかった。まず水泳は必須。とにかくたくさん泳ぎました。あと、舟をこぐ訓練。射撃や、銃を持って走る訓練。ほふく前進もキツかったですね。ヒジと足首だけを動かして前進するんです」

 広島で鍛えられた彼女は26歳で横須賀地方総監部へ異動し、2等海曹の曹士となる。

「とはいえ船はイベントの仕事で乗る程度。ほぼ主計の事務職でした。隊員のお給料を計算したり、『船のガスタービンはいくらで契約したのか』などを記録したり。言わば単にコスプレをしているだけの陸(おか)海上自衛官でしたね」

 40代になると自宅からの勤務が承認され、東京の中目黒にマンションを購入。この頃から、仕事のストレスを夜の街で解消するようになったのだそうだ。

「横須賀から東京へ戻ると一直線に新宿2丁目やゴールデン街のゲイバーへ通うのが日課になっていました。性別の壁を取り払って解放された雰囲気がとても楽しかったんです。寮にいた頃は土日も休みなく現場作業に駆り出されてつらかったので、その反動もあったのかな」

自衛隊BL漫画に出会い腐民魂が再燃

 夜遊びが楽しく、いつしかBL漫画を読む習慣は途絶えていた。そんな彼女のBL愛が再び沸騰する日が訪れる。そのきっかけとは。

「新型コロナウイルスです。コロナ禍で外出ができなくなり、暇なので電子書籍を探していると、『石橋防衛隊』(ウノハナ著)というBL漫画が目に留まったんですよ。『あ、自衛隊っぽい漫画がある』(漫画では“某”大生)と思って読んでみたら、これがもうおもしろくって。私のなかで眠っていた腐民魂が覚醒してしまいましてね。みるみるBL沼にハマっていきました」

 さらにコロナ禍が明け、外出が可能になって以降は紙の書籍を買い漁り、コレクションはわずか3年半で驚異の5,000冊を超えたという。

「BLレーベルの全リリース作品を一気買いするとか無茶してました。住んでいたマンションが単行本でぎっちぎちになってしまって、寝ころべる場所もない。さすがに『私、キモいかも』と思いましたね」

自衛隊の退職金でBL漫画1,000冊を買い足す

 そうしてBL沼にずぶずぶと足を取られているうちに30年に及ぶ勤務を終え、54歳のバースデーに定年退職の日を迎えた彼女。定年後のプランは計画しておらず、「しばらく遊ぼうか」と考えていた。ところがほぼ同時期、両親が揃って介護認定を受け、世話のために帰阪を余儀なくされる事態となったのだ。