東大卒麻雀プロの新倉和花さん

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―[貧困東大生・布施川天馬]―

 日本最難関クラスの大学である東京大学。通う学生の多くは、幼少から塾通いをして名門中高を通ってきた、いわゆる「エリート」たち。将来を約束されたルートを歩む彼らには、何の悩みもないように思えます。ですが、それは等身大の彼らをみていない証でもある。本当は、悩みに足を捉えられながら懸命に生きていることに誰も目を向けません。
 今回は、現役東大生ライターの私が、「エリート」が人知れず抱える人生の悩みについて、東大卒麻雀プロの新倉和花さんへのインタビューを通してお伝えします。

◆桜蔭中高→東大法学部の超エリート人生

「私は、世間一般でいうところの『エリート街道』を歩んできました。中学受験で桜蔭中学校に入学し、超進学塾である鉄緑会にも入会。成績も順調で特に勉強で苦労することはなく、周りのみんなが東大を目指していたから東大を受験しました」

 こう聞くと、厳格な超エリート家庭に生まれ育ったように聞こえるかもしれません。しかし、彼女はもともと中学受験をするつもりはありませんでした。

「小学校3年生のころに受けた日能研の模試で成績上位者となり、塾から勧誘を受けて入塾しました。『あなたなら桜蔭を十分目指せる』と誘われ、受験しようと思いました。親も『やりたいならやってみれば』という感じだったので、のびのび暮らしていましたね」

 桜蔭中学入学後も勉強には全く苦労せず。東大模試では常に全国一桁をキープし続け、現役で東大の文科一類に合格したのち法学部に進学。順風満帆すぎる人生が進んでいきます。

人生で初めての「不合格」

「私にとって東大は楽しい場所でした。ただ、生活の自由度が上がった分だけ、勉強に割く時間が少なくなりました。高校までは勉強だけしていればよかったのに、大学からは周りが勉強以外にも時間を使っている環境で、己を強く持って勉強に打ち込まなくてはいけない。これが自分には難しかったのかも」

 彼女ほどの能力があっても、東京大学はそれだけでやっていけるほど甘い環境ではありません。特に、彼女の志望していた司法分野についてはなおさらです。

「大学2年生の時に受けた、司法試験予備試験にて、人生で初めての『不合格』の評価が下されました。人生で初めての挫折。勉強に関しては、負けたことがなかったのに、齢20にして経験したことがない負け戦でした」

 さらに同時期、父親が余命宣告を受けたという新倉さん。多方面のショックが重なり、精神的に追い込まれてしまいます。

◆東大の代わりに居場所になった”雀荘”

 気分もふさぎこんで、自室にこもる毎日。新倉さんはうつ病を発症してしまいました。

「音や刺激に敏感になり、好きだった映画鑑賞も難しくなりました。その代わりに、麻雀番組を見る時間が増えたんです。麻雀は一試合が淡々と進み、試合が動くときも非常に静かに展開します。気持ちを病んでいた私にとって、ちょうどいいコンテンツでした」

 ここから麻雀に興味を持ち始めた新倉さんは、大学院生になった4月に初めて雀荘へ向かいました。

うつ病でできた大きな勉強のブランクのせいで、大学には居場所を感じることが難しかった。しかし、麻雀は自分の居場所になってくれたんです。やがて、このまま法律の勉強を続けるよりも、麻雀で身を立てていきたいと感じるようになりました。

 知り合いからは止められましたが、『麻雀でプロを目指そう』と決めて、大学院を退学しました。いまは、日本プロ麻雀協会の麻雀プロとして活動しています」

◆「東大らしい」進路にとらわれないことが大切

 もちろん、彼女が選ばなかった道には、輝かしい生涯年収や社会的地位などが待っていました。今でも「自分が東大を出て、司法試験に合格するとか、有名企業に就職して活躍していたら」と想像することもあるそうです。