通称“小さな古畑任三郎”ことツートン青木さん

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 フジテレビ系人気ドラマ『古畑任三郎』が放送30周年を迎えるにあたって、ふたたび話題になっている。30周年を記念した再放送が5月24日より始まると、昔からのファンのみならず、自宅で家事や子育て、在宅ワークをしている人たちから支持を集め、新たなファンを獲得しようとしている。
 前半は、通称“小さな古畑任三郎”ことツートン青木さん(64歳)の古畑任三郎についての熱い思いを聞いたが、後半はツートン青木さんがものまね芸人を目指したきっかけや、息子の青木隆治さんについて、脳卒中で倒れた後の闘病生活などを聞いた。

◆本当は歌手志望だった

――ものまねを始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

ツートン青木(以下、ツートン):ものまね自体は子どもの頃から好きでやっていたのですが、デビューのきっかけとしては、最初は国鉄で働いていて、辞めた後ダンプカーの運転手をやっていました。本当は歌手志望だったんですが、歌手になれなくて。ダンプカーの運転手をやりながら、ショーパブでものまねカラオケをやっていたら、オーディションのお誘いとかが結構きまして、テレビに出させてもらえるようになった流れですね。

――その時から古畑任三郎のものまねをされていたんですか?

ツートン:最初は古畑のものまねではなく、田村さんのものまねをしていたんです。ものまねをしながらカラオケを歌っていると間奏がありますよね。そこの間を持たせるために何かやりたいなと思っていて、合間に田村さんのものまねをしたらウケたんですよ。

 ショーパブのお客さんのいるところで、田村さんのマネで「そこに100円が落ちていますよ」と言うと、みんな見るんですけど、その後に「嘘ですよ」と言うと、「なんだよ!」みたいな感じでウケるんです。それで、「ああ、田村正和のものまねってウケるんだ」と認識しました。そこから、ずっと田村さんのものまねばかりやるようになりました。

◆コージー冨田の勧めで“古畑任三郎”を

――それで田村さんのものまねをするようになったのですね。

ツートン:いや、すぐにはやりませんでした。でも、それを見たコージー冨田さんが「ツートン青木は田村正和に声質が似ているから、ちゃんと服を着て古畑任三郎をやったほうがいいよ」とアドバイスをくれたんです。ただ、「ちょっと待ってよ!キャラが全然違うし、2枚目は無理だよ」って言っていました。

 でも、試しにものまね番組に出た時に古畑任三郎をやってみたら、ウケて、レギュラーで出させてもらえることになりました。今まで、ものまね番組には単発では出させてもらえるんですが、何か一発キャラとか個性みたいなのがないと……といった状況で、レギュラー出演というのは無理だったんです。
 
 でも、古畑任三郎を始めてからレギュラーをもらえるようになった。しばらくはひたすら古畑任三郎を求められていましたね。当時はやっていたミニモニを踊りながら古畑をやったこともあります(笑)。

◆家が全焼して一文無しに

――意外と鰻登りの人生だったわけですね。

ツートン:そんなことはないです。一度、隣の家から火がうつってしまい、家が全焼したことがあったのですが、そこでほぼ一文なしになりました。どうしようと思ってた時に日テレの「ものまねグランプリ」で美空ひばりさんの真似をしたら優勝したりと、なかなか綱渡りの状況でした。そこから「金スマ」とかに出させてもらえるようになったのですが、そのタイミングで息子の青木隆治がものまね芸人でデビューしたんです。

――息子さんの芸能界デビューは斡旋などしたんですか?

ツートン:いえ、してないです。息子がものまねをやるのには反対だったんですよ。小さい頃から歌手を目指してほしくて、なんて言うか自分ができなかった夢を託すというか……。息子は「将来は歌手になる」と卒アルに書いていたんですけどね。結局同じ道に来ちゃいました。