Netflixで全世界配信後、7週連続で公式「週間グローバルTOP10」入りする高評価の問題作「私のトナカイちゃん」(画像:Netflix

Netflix、Amazon プライム・ビデオ、Huluなど、気づけば世の中にあふれているネット動画配信サービス。時流に乗って利用してみたいけれど、「何を見たらいいかわからない」「配信のオリジナル番組は本当に面白いの?」という読者も多いのではないでしょうか。本記事ではそんな迷える読者のために、テレビ業界に詳しい長谷川朋子氏が「今見るべきネット動画」とその魅力を解説します。

大量の「iPhoneから送信」メール

たった一杯奢った紅茶をきっかけに、年上の中年女性からストーカー被害に遭った男性の物語がダークホース的に高評価を得ています。ドラマのタイトルは「私のトナカイちゃん」。知名度のある役者は誰一人登場せず、「これは実話である」という文言から始まるよくあるNetflix的な犯罪ドラマのように見えますが、Netflixで全世界配信後、7週連続で公式「週間グローバルTOP10」入りし、記録を更新しています。世界的ヒットに繋がったのには納得の理由があります。

ロンドンに住む20代後半の売れない芸人ドニーが物語の主人公です。ある日、ドニーが働くパブにいかにも悲しそうな表情を浮かべて涙ぐむ1人の中年女性が入ってきます。しかも「一杯の紅茶を頼むお金もない」という彼女にドニーはただただ同情し、奢ってしまう。それが半年以上にわたるストーカー被害の始まりです。


ストーカーのマーサ役を演じるジェシカ・ガニングが圧倒的な演技力をみせる(画像:Netflix

恋愛対象にはない謎の女性から完全にロックオンされてしまうドニー。職場のパブに毎日のように通い詰められ、うっかりメールを交換してしまうと、困惑するほどの大量のメールが届きます。これほど「iPhoneから送信された」という言葉に恐ろしさが詰まっているものはないほど。さらに承認しなければ良いものをFacebookでも繋がってしまうと、迷惑コメントの嵐です。

ストーカー度合いはエスカレートしていきます。でも、なぜか深刻な被害に遭っていないように見えなくもないのです。強姦の恐怖感がないことや、コメディタッチで描かれていることも大きそうですが、全7話のうち3話までは引っかかりを覚えながら進んでいきます。むしろそのワケを突き止めたくて見進めてしまうのかもしれません。

ネット上でさらされる実在の女性の素性

弁護士を名乗って忙しいキャリアウーマンを装い、ドニーに付きまとう中年女性のマーサを演じるジェシカ・ガニングの演技力にも圧倒されます。気が触れたような笑い方は、怪しさ極まりないマーサをうまく表現しています。ちなみにタイトルの「私のトナカイちゃん」は、マーサが一方的に気に入って呼んでいるドニーの愛称です。


たった一杯奢った紅茶をきっかけに、年上の中年女性からストーカー被害に遭った男性の話が描かれる(画像:Netflix

インパクトがあり過ぎるこのキャラクターを巡って、一部の視聴者がネット上でモデルにした実在の女性を特定する事態まで引き起こしています。その実在の女性は素性がさらされたことで名誉を傷つけられたと主張する一方で、YouTubeの人気番組に顔出しで出演して作品を批判、さらに配信したNetflixを相手に訴訟を起こそうとしています。アメリカやイギリスのメディアが報じ続けている様子からは、ゴタゴタはまだ収まりそうにありません。

そもそもストーカー被害に遭った男性本人がドニー役を演じていることにも驚きます。役者かつコメディアンでクリエイターのリチャード・ガッド自身の体験をもとに創作したドラマなのです。もともとガッドが一人芝居で語っていたストーリーでした。その一人芝居がスコットランドで開催される世界最大級の芸術祭「エディンバラ・フェスティバル・フリンジ」でステージ・エジンバラ賞を受賞したことでさらに話題になり、Netflixでドラマ化されたというわけです。ガッドはドラマの脚本も手掛け、エグゼクティブプロデューサーも兼ねています。

ガッドはどこまで実話に基づいているのか全てを明らかにしていませんが、この作品はストーカー被害話だけに終わりません。主人公のドニーが心の奥底に葬ったトラウマと向き合う話へと転換していきます。ストーカー女性マーサと歪んだ関係性に陥った背景は、まさにそこにあるのです。4話から一気に明らかになっていきます。

自尊心の低さを露呈する主人公

中身に少々踏み込むので、まだ作品を視聴していない方がここから先を読む場合、ご注意ください。

4話で描かれるエピソードは夢に出てきそうなショッキングな映像です。心理描写まで重くて辛く、生々しく描かれています。端的に言うと、男性の性暴力被害です。弱者とも言える主人公のドニーが権力者の男性から性被害を受けた苦しみは、性的嗜好の混乱まで生み、自己破壊的な行動を起こす負のスパイラルに陥らせます。いたずらに扱ったようには決して見えないのは、後の6話でドニーが自身と対峙する公開告白の場面があるからだと思います。約10分間にわたる彼の告白は「何者でもない」と感じる自尊心の低さを露呈することから始まり、この作品最大の見せ場となります。


主人公ドニーを演じるリチャード・ガッド自身の体験をもとに創作した一人芝居がドラマ化された(画像:Netflix

旧ジャニーズ事務所の創業者による性加害騒動以降、男性の性被害も語られることが少しは増えたものの、ドラマの中で力関係から生じる男性の性暴力被害の問題と真摯に向き合って表現されることはまだ珍しく、これがこの作品が評価される理由の1つになっています。

その一方で、ストーカーとレイプの被害者の同情を誘うだけの物語にしていないことも高評価に繋がっていると思います。ドニーは「自分を嫌うこと、憎むことを何よりも愛していた」と語って自身を見つめることで自分から解放される一歩を踏み出します。周囲からの評価を恐れながら、名声を求め、承認欲求が止まらない1人の人間の正直な訴えが響いてくるからこそ、支持を集めているのです。

Netflixオリジナル作品の中では大作の部類に入らずとも、7週連続でグローバルランキングに入り、これまで90以上の国と地域でNetflix公式「TOP10(英語TV部門)」入りを果たしたことに納得もできます。ただし、欧米をはじめ、中東、アフリカ、アジアといった幅広い地域で支持を集めるなかで、Netflix海外作品のあるあるですが、日本ではまだ「TOP10」ランキング入りしていません。ストーカーの話から普遍的な問いかけに行き着く力作を見逃すのは勿体ないように感じます。


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(長谷川 朋子 : コラムニスト)