大人たちはなぜ子どもに「夢や希望を持て」というのか。5月28日の「大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)」では、曹洞宗の禅僧・南直哉に話を聞いた。 

南「僕は“夢や希望”って言い方が嫌いなんですよ。昔から夢も希望も枯れ果てたような中年オヤジが出てきて学校で何か言うでしょう。何であんなにみんな言うのかなって思った時にふと思ったのは『これは投資話に似てる』と思ったんですよ」 

小島慶子「投資?」 

南「つまり今の金を将来増えることを当て込んで使うわけでしょう。今楽しいことはないけど、努力をすれば先に楽しくなるっていうのと似てるじゃないですか」 

小島「本当は子どもたちの人生だって今日しかないわけですよね」 

南「つまり何もかもがですね、未来と現在の差異で儲けるのを投資というならば、夢と希望の話はとてもそれに似てるんですよ。私のところに来る非常に疲弊した人っていうのもずっと前傾姿勢で生きてるわけですよ」 

小島「将来のため、将来のためにって」 

南「資本主義っていうのは先に餌場についたものが勝ちだみたいなところがあるでしょう。常に前傾姿勢じゃなきゃいけない。前傾してる人間っていうのは先しか見てないですよね。そうすると足元が見えない。周りの風景も見えない。そうすると生きてる感じがなくなっていくと思いますよね」 

小島「なるほど」 

南「それは危険な感じがするんですよ」