そこに来てのクレープ店のフランチャイズオーナーという誘いに、当初は戸惑ったという。

「確かに出資金を用意するのは大変ですが、その後は自分で自分のスケジュールをコントロールできます。芸人活動の時間が削られずに生活費を稼げることに魅力を感じて、融資を受けて2017年11月に第1号となる小田原店をオープンしました」

 当初はスタッフとして働いていたが、有能な店長を雇えたこともあり、早々に店舗の運営が手を離れた。その上、翌年の2018年度は営業成績もまずまずな所で着地した。まさに「生活のことを考えず、自由に芸事に集中できる」理想が実現したのだ。

◆キッチンカーをしながら原点回帰

 2019年の春には2店舗目となる町田店をオープン。1店舗目の好実績があったため、銀行の融資も難なく受けられたという。そして、年末に会社化して、これからと思った時にコロナがやってきた。

「コロナに入ってから徐々にお客さんが減っていって、緊急事態宣言が発表されてからは街から人が消えたようになっちゃって……。ただ、コロナ禍で外出に制限がかかっていたとはいえ、お店をしっかり守っていたオーナーはたくさんいますから、完全に僕の経営者としての力不足です」

 さらに、コロナ禍で都道府県をまたぐ移動がしにくくなった結果、小田原店の管理が厳しくなった。「クレープ店は自分の目の届く範囲内で続けよう」と考え直し、同店を他のオーナーに売却して、町田店のみに経営を絞った。

「2022年の秋に、町田店をキッチンカーにリニューアルしたのですが、お店の場所が建物の入り口に移動したので、多くのお客さんの目に付くようになりました。週末になると、待ちの行列ができることもあります。いまでも週4日ほどは店舗に立つようにしています。店舗と違ってキッチンカーならではの苦労もありますが、基本的には楽しんで働いています」

◆コロナ禍でスケジュールが白紙に

 一方の芸人活動のほうはというと……。

「コロナ以前も、ライブや営業はそれほど多くなかったのですが、コロナになった途端にスケジュールが真っ白になりましたね。毎年出させていただいていた演劇ユニットライブもできなくなりました。たまにリモートでトークライブをすることはありましたが、『仕事は待ってても来ないんだ』『自分で仕事を作るしかない』と色々と考えるようになりました」

 2021年の夏、コロナ禍で生まれた劇場における観客数の制限、出演者の少人数化といったルールを守りながら、演劇ユニットライブを再開。実はこの時から、脚本家へのカウントダウンがはじまっていた。

「めちゃくちゃ楽しかったですし、ライブができることのありがたさを痛感しました。そして、この時にはじめて他の人へ脚本を書いたんです。というのも、コロナ以降は色々なルールが生まれたので、以前のように長尺のお芝居をしにくくなったんです。その代わりに、ショートストーリーをオムニバス形式でやることになったんで、僕も脚本を書かせていただきました。自分の脚本を俳優さんが演じるのを見るのは、また違った楽しさがありましたね」

◆13年ぶりのオール新ネタ単独ライブを「実験に」

 演劇の新しい楽しみ方を知り、芸能活動へ弾みをつけるために思いついたのが、ひとりの役者によるオムニバス形式の「ヒトリブタイ」構想だ。

「独立した短編ストーリーが、ひとつのゴールに向かって進む、いわゆる回収型のような芝居です。演者には、現役の舞台役者さんがいいと思って、以前からよく知っている高橋健介くんに相談しました。でも、すぐにはいい返事をもらえませんでした(苦笑)」

 コロナ禍で決めた「自分で仕事を作る」という目標への第一歩として開催したのが、13年ぶりとなるオール新ネタの単独ライブだ。実は、この単独ライブには「ヒトリブタイ」のパイロット版の意味も込められていたという。