「紹介してもらったのはイトーちゃんの先輩にあたる人で、都内の某チェーン系ホールの店長をしている人だった。『まぁ、私もいろいろと入り用でして、協力してもらえれば……』なんて感じで、その場で細かいルールを決めたんだ。差玉で3000枚以上は抜かない、終日打たない、投資金額抜いたカネで折半とか。投資が仮に1万円だとしたら、3000枚で6万円。日当2万5000円になるわけで、これを月に2〜3回お願いしたいっていうんで、オイシイよなって思った」

◆デビュー初日の日当は

 こうして2005年の春、村木さんはサクラとしてデビューを果たすこととなった。

「初めてサクラをやったのは、5号機の初代エヴァ。登場した当初は初の5号機ってことで話題になったけど、半年もしたら客付きは落ちて『やっぱり5号機は出ないよね』みたいに言われるようになってたんだ。当時はまだ4号機が主流で、出玉力で劣る5号機が受け入れられなかったのは、まぁ、仕方ないよねって。

サクラをやる前日の夜、イトーちゃんから台番号を教えてもらったの。『朝からエヴァを打つヤツなんかいないから、朝イチで来てピンポイントで打たれたら逆に怪しいから昼前くらいに来てくれ』って。でもさ、台取られてたらどうすんの?って聞いたら、『そうなったら諦めようって話が付いてる』って言ってた」

 いろいろと不安を抱えながら、村木さんは11時過ぎにホールへ。エヴァの島には誰もおらず、拍子抜けしたという。そして、言われたとおり、スロットのコーナーをフラフラと見回り、指定された台に座った。投資4,000円で食いつき、そのままダラダラと出続けて18時前にはカチ盛りのドル箱が2箱出来上がったため終了となった。出玉は3300枚ほど。換金6万6000円から投資の4000円を引いた6万2000円を折半し、3万1000円をイトーちゃんに渡してその日は終わった。

◆地元客に目をつけられることに

 それからは10日に一度ほどのペースで連絡があり、そのたびにエヴァを打ち、日当3万円ほどを手にしていた村木さんだったが、2か月ほどしたある日、思いもよらないことを耳にすることとなる。

「トイレでクソをしていたら、ドカドカ入ってきたヤツの声が聞こえてきたんだよ。『いっつもエヴァで出してるヤツいるよな、あれ、おかしくねぇ? 今日も出してるしさ〜』って。あのときは出かけたクソが戻るくらいビックリしたよ(笑)。場所柄、そのホールは地元の客が多くて、若いプータローなんて毎日来てるワケ。そんなところにたまに来て、ガラガラの島でタコ出ししてるヤツがいたら目立つんだよ」

 さすがにヤバいと思った村木さんは、急いで打つのをやめてイトーちゃんに連絡を取り、店長を交えて対策を練ることとなった。これが村木さん、破滅の序章となる。

◆“バレないための作戦”を決行

「仲間を増やして、ローテーションで打とうってなったんだよ。それで細かくルール決めたの。ヤメたら他のヤツと交代して一日打ち切ったり、夕方でヤメて放置したり、いろんなパターンを作った。誘ったのはバーの客で来てたA君、F君、H君の3人。

明日はA君が朝から打って2000枚出したらヤメ。H君はヤメるときにたまたま通りがかったフリして声掛けて譲ってもらって、そこからまた2000枚出るまで打って開放。明後日はF君が昼から打って終日打ち切る……とかね。それと店に行くときの服装も選ぶようにって店長から言われて、H君は本職が配管工だったから作業服着て、F君は元営業マンだったからスーツ着て行ってたね(笑)」

 村木さんもローテーションに入ってはいたのだが、顔バレもあるためできるだけ入らず、3人のメンバーをまとめる立場になった。

「オレはその都度、カネを回収してイトーちゃんに渡すっていう取りまとめ役になったんだけど、1回1万円をもらうことになったの。実入りは減ったけど、こんなんで毎回1万円ももらえるなんて、楽な仕事だよなぁって」