バーレーンに3-1で快勝した日本代表【写真:ロイター】

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ドラゴン久保のアジアカップ・日本―バーレーン戦分析第1回

 サッカー・アジアカップカタール大会は31日、決勝トーナメント1回戦で世界ランク17位の日本が同86位のバーレーンに3-1で快勝し、8強入りを決めた。2022年のワールドカップ(W杯)カタール大会で独自の解説がひそかに話題となった元日本代表FW久保竜彦が今大会も東京・中目黒のTHE ANSWER編集部に来訪し、試合を分析した。全3回の第1回は勝利のキーマンとなった日本選手。3得点を挙げた攻撃陣が目につくが、ドラゴンは守備を統率したDF冨安健洋を指名。現役時代に対戦したフランスのDFマルセル・デサイーらの名前を出しながら「(冨安は)アジアならそれくらい怖さを与えられるものがある」と絶賛した。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 今日の相手、韓国じゃなかったんやな。ここに来るまで、韓国と思っとったで。

 気合入れて髪刈ってきたのに。どうするん、(頭が)寒いよ。バーレーンって、どこやそれって思っとったけど、中東なんやろ。でも、ファウルのもらい方がブラジルというか、南米っぽい感じやったな。

 今日は試合の入りから、ちょっと違うなって思ったね。

 バーレーンが集中しとらんというか、自由というか、それが裏目に出た。日本はガッと集中してたから、それがびっちりハマって日本が主導権を取った試合よね。入場の雰囲気も最初のプレスも、集中してやっとる感じがしたし。

 軽くいなすような感じでバーレーンが来ても、きっちりガッツリ行っとったから。(守備で)ペナ(ペナルティエリア)に入られるのもなかったしね。それで1点取って。これが(力の)差といえば、差なのかもしれんね。

 勝利に貢献したっていうなら、やっぱ冨安よね。効いとったよね。

 遠藤は周りを使わせて(自分は)温存しとった感じあるし。うまくやってたよね。前線は堂安と久保やな。あとは中村。そのあたりがリズム作って、嫌なところに(ボールを)出しとったよね。

 冨安は危なそうなところは先回りして潰すし、ラインのコントロールもやるし。(DFラインが)キュッとまとまったところから、並びも崩れてなかったもんね。(3得点に目がいくけど)後ろでアイツが(仕事を)やっていたと思うよ。ちょっと違ったね。

デサイー、テュラムを思い出し「冨安はそれだけ怖さを与えられる、アジアでは」

 そういうセンターバックで思い出すんは(日本代表として対戦したフランス代表の)デサイーとかテュラムよね。あいつらずっと声出しとったもんね。

 あんなにテカくて、すごいのに『ライト!』『レフト!』って声出しながら。(ラインの)アップダウンもしっかりやっとったし。あれだけ動物的な(身体能力が武器の)選手なのに、ずっと声を出して。もちろん、動物的な動きで、バーンと来る時もあるんよ。

 W杯やヨーロッパで優勝するようなやつやし。何の隙もない。入場する時から上から睨まれて「お前に何ができるんだ」って言われて。身体能力はもちろんで、それでも声を出して、統率して90分間切らさず、ロスタイムだろうがなんだろうが試合終了まで続く。

 もう、そういう相手には何もできんよね。

 冨安はそれだけ怖さを与えられるものがあるんじゃないの、アジアの中ではね。

 そういう息苦しさはバーレーンのFWも感じとっただろうし。1人入るだけで(日本に)ピリッとした感じが出る。(そういうDFが)あと1人おったらもっと安定するやろうし、それが欲しいんやろうね。優勝するならそこ(DFラインに)に4人おるやろうし。

 ただ、三笘もすごかったな。あのドリブル、あの股抜きのパス。いやあ、驚愕よ。なんか、オランダのアイツを思い出したよね。

(第2回に続く)
 
■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo

 1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、コーヒー焙煎や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。今月、初孫が誕生予定。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)