日本企業で「管理職」が名誉職になっている大問題
日本では、能力の有無に関わらず管理職=名誉職となってしまっているという指摘も(写真:ふじよ/PIXTA)
企業にはさまざまな職があり、それぞれに特化した役割があります。所属する社員が自社の目的や各自の役割を把握し、きちんと遂行されていればその企業の生産性は上がるはずです。しかし、残念ながら今の日本企業は生産性が低く、企業価値は下げ止まりの状態。この自体を招いた原因は何なのかを、澤円さん著の『メタ思考〜「頭のいい人」の思考法を身につける』より一部抜粋・編集して紹介します。
日本では今も管理職は「名誉職」
現在、先進諸国の中で日本の労働生産性はかなり低く、G7ではダントツの最下位という状況に陥っています。それを改善しようと、企業は色々と試行錯誤を重ねていますが、今のところあまり実績を上げているとはいえない状況です。
なぜ経済大国と呼ばれた日本がこのような状態になってしまったのでしょうか?
その原因の1つとして、チームをまとめるマネジャーやリーダー職の人間が、社内の制度やしきたり、社内政治などに最適化し過ぎてしまっているという問題があります。よくある「うちの会社は〜」「うちの部署は〜」というやつです。
自社の制度や慣例に最適化され、会社でうまく生きることが最重要事項になってしまい、「なんのために仕事をしているのか」という根本的な部分がすっぽり抜けている……。そんなマネジャーが日本の会社には少なからず存在しています。
そう、保守的な日本の会社では、まだまだマネジメント職は「名誉職」であり、「自分がどのような役割を果たすべきか」というマネジメント思考を持つマネジャーが圧倒的に少ないというのが現状なのです。
では、今のビジネスにおいて、何を最優先事項とすべきなのでしょうか。それは、「多くの人たちがハッピーになるにはどうすればいいか」を考えること。つまり、「社会貢献」です。法律に則ったうえで社会に貢献する。その際、社内の事情や業界の慣例は一切関係ないと考える。これが現代のビジネスなのです。
私は、これからの時代、1人ひとりのビジネスパーソンが「ビジネスは社会貢献」という視点から、自分の仕事に向き合う必要があると考えています。
これからの時代の「管理職」の仕事とは
ただし会社や組織という大きな器は、基本的にその社会貢献を最大化するために存在するので、「どのように社会に貢献していくか」をデザインするのは、経営者の仕事といえるでしょう。
それを達成するために実務を運用していくのがマネジャーの仕事で、そのために各タスクを実行していくのがプレイヤー(一般社員)の仕事、と整理ができます。
つまり、経営者は社会のニーズとビジネスの接点を、マネジャーは事業の仕組みや組織の内部構造を、そしてプレイヤーはもっとも解像度の高い現場(製造現場や顧客の反応)を見ている、ということになります。
これを私は、「経営の三層構造」といっています。この「経営の三層構造」をわかりやすく説明するため、スポーツカーという商品を扱う会社を例に挙げてみましょう。
まず、スポーツカーの社会貢献とは、顧客が「スポーティーに、楽しく走れる」こと。これが経営者の視点となります。さらに、自動車の基本性能が、スポーツカーにふさわしい形で実現できるように調整する。これがマネジャーの視点です。
そして、コーナーでのグリップやパワフルな加速など、それぞれのタスクレベルでスポーツカーの特性を実現する。これがプレイヤーの視点です。
この構造はどの職種においても変わりません。経営層が自社のビジネスを俯瞰して考える一方で、現場のプレイヤー層は自分の担当する製品やサービスの機能向上に集中しているため、どうしても俯瞰的な思考をする余裕を持ちづらくなります。
その経営層とプレイヤー層のつなぎ目となる部分で、双方の視点を持ち、その都度視点を切り替えながら、通訳のようにコミュニケーションして、事業を運用する。これこそがマネジャーの仕事の本質といえるでしょう。
企業を左右する中間層
つまり、「経営の三層構造」の真ん中に位置する、マネジャー層が優秀であるか否かによって、その事業やプロジェクトの結果が如実に変わるということです。
ただ、残念ながら、その会社ならではのマネジメントをどうしていくか、その教科書がない状態に加え、先にも述べたように「名誉職」としてマネジャーが使われる場合もよく見られるのが、今の日本の現状です。
本来、マネジャーは「ジョブ」なのに、それを名誉として与えてしまうが故に不幸が起きてしまう。このように、企業においては、マネジャー層がボトルネックになりやすい、ということなのです。
経営層の視点を理解しつつ、現場の論理や、そこで働く人たちの「思い」も踏まえながら、最終的には自社が社会貢献を果たせるように指示したり、導いたりできる人が、多くの日本企業では圧倒的に少ない現状があります。
それゆえに、多くの日本企業はグローバルで見ると生産性が低く、企業価値が上がらない状態がここまで長く続いたと見ることもできるでしょう。
かつて僕が勤めた日本マイクロソフトでは、マネジャーを対象としたトレーニングがかなり充実していました。また、特徴的なのは、マネジャーはチームメンバーから、その適性を点数でシビアに評価されることでした。点数が低ければ、マネジャーから外される場合もありました。あるいは、人数のバランスを考慮してマネジャー職を解かれる人もいました。
ただし、これは降格ではありません。マネジャーはあくまで「役割」なので、ただマネジャーに向いていない、もしくは他の人にマネジャーを任せたほうが、バランスがいいという評価をされたに過ぎず、社員としての価値が減ったわけではありません。だから、プレイヤーに戻っても決められた給与レンジは変わらないのです。
もちろん、給与レンジごとに求められる期待値は違います。たとえば、売り上げ金額の責任の大きさやカバー領域の広さ、仕事の難易度などによって給与レンジは変わります。でも、マネジャーであること自体と、給与レンジは連動していない。これが本来のジョブ型雇用です。
ジョブとしてのマネジャーがあるだけで、その役割を辞してもプレイヤーとして期待値に応えれば、同じ給与レンジで評価される。あくまで、ジョブに対して給与が支払われるということです。
「立場」に対するプライドがなくなる
ちなみに僕がいたときは、マネジャーが直接コントロールできるチームメンバーの範囲は、マネジャー1人につき約7人が適正とされていました。
これをスパン・オブ・コントロールといいますが、仮にメンバーが10人程度になれば、マネジャーを2人にして各5人のチームにしたり、逆にメンバーの数が減れば、マネジャーの数も減らしたりする考え方です。人数にも考慮して、確実に経営の方針を伝えられるようにするから、会社は目標を達成できるのです。
こうした本来のジョブ型雇用が浸透すると、それぞれの適正を見極めたうえで「役割」が決まるため、当然ながら労働生産性は上昇することになります。
また、マネジャーを辞することは降格ではないため、いい意味で「立場」に対するプライドがなくなる傾向もあります。どんなジョブを振られても、自分の価値はまったく目減りしないということです。
(澤 円 : 圓窓代表取締役)