(イラスト:枝須エイチ / PIXTA)

人気お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さんが綴る、生まれ育った大阪での日々。何にでもなれる気がした無敵の「あの頃」を描くエッセイ。今回のテーマは「だんご3兄弟」です。

9歳の衝撃

あれはいったい何曜日の出来事だっただろうか。平日の夕方、通っていたバスケ教室が休みの日だったから、おそらく月曜日か金曜日だ。居間の隅にあるくたびれたソファーには、いやに派手なセーターを着た親父がだらしなく座っていた。在宅ワーク(当時はそんな言葉はなかったかもしれない)の合間に、休憩がてら学校から帰ってきたばかりの私の話し相手をしていたのだと思う。

はっきり覚えてはいないが、おそらくその日も親父は焼いていない食パンを2つに折って、バカみたいに大きく開けた口につっこむという、いつものむかつく間食をしていたような気がする。その様子を見るたびに「焼けよ」「ジャムくらいつけろよ」「折るなよ」と思っていた。あの日もそうだった可能性はかなり高い。

インターネットで当時の関連記事を探してみると、1999年の1月とあった。となると私は小学4年生で、味方のいないクラスの中で、孤独な学校生活を送っていた頃だ。

それまでにもクラスのリーダーに嫌がらせを受けた子は何人かいたが、私が標的のターンはほかの子より少し長かった。「いじめられている」という事実を冷静に受け入れながらも、心に苦しさが溜まっていかないよう、頑張ってため息ばかり吐いていた。休み時間になるたび図書室へ駆け込み、本を開いて物語の世界に逃げた。「クラス替え早くこい」と祈るような気持ちを抱え、冬眠しているクマのようにじっと春を待ちわびていた。

まさかあの日が、そんな心も体も寒い冬の出来事だったなんて。それぞれの情景が頭の中でつながらなくて、とても不思議な感じがする。


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Aマッソの加納愛子さん

22年前のあの日、私はテレビの前で小さな体を硬直させて、あまりの衝撃に耐えていた。

初めて味わう感覚だった。突然流れてきたタンゴ調の曲とチープなアニメーション。そこに、慣れ親しんだけんたろうお兄さんとあゆみお姉さんの歌声。な、なに? なにこの曲? 私と親父は話すのをやめて画面に釘付けになった。曲が終わると、父娘は自然と顔を見合わせた。親父はニヤニヤ笑って「ええやん」と言った。

それは島田紳助の「ステキやん」のような深みを強調するトーンではなく、おかんが髪の毛を切って帰ってきたときに一応言ってあげる「似合ってるやん」のような、ライトで親しげなトーンだった。私は「なに今の、もっかい聴きたい!」と興奮したが、どうすることもできなかった。いてもたってもいられなくなり、立ち上がって家の中をウロウロした。

今の時代なら携帯ですぐに検索して、知りたいという欲求を指先で解消できるが、当時はそうもいかない。なにか特別なものを見たような気がしたのに、時間が経つとどんどん記憶が曖昧になっていく。なんとしてでももう一度聴きたい。もう一度、あの3人を見たい。

それが、私と「だんご3兄弟」との出会いだった。

社会現象となった「だんご3兄弟」

しかしその焦がれるような思いは、その後すぐにあっけなく叶えられた。猛烈に欲した「だんご3兄弟」はその年に社会現象を巻き起こし、1年中あらゆるところでこれでもかというほど耳にすることになる。

私が観たのはNHKの「おかあさんといっしょ」という番組で、1月の「今月の歌」としてオンエアされていたようだった。「だんご3兄弟」は放送されるやいなや、NHKに問い合わせの電話が殺到したらしい。私と同じように、日本中の親子がテレビの前で「え! なに今の!」と思ったということになる。

大人の「売れる前から知っていた」は、自慢話のスタンダードだろう。その一言で、自分が他者に比べていかにその分野にアンテナを張っているかを誇示することができる。その自慢はまわりの人間にとっては興味のない話であることが多いが、それでも我慢できずに話してしまうのが人間の性だ。

しかしあの頃の私はまだ、「みんなが知らない曲を知っている喜び」も「それを後からアピールする楽しさ」も知らなかった。私が「だんご3兄弟」に出会ってから社会的なブームになるまでは、ほんの1カ月、いやもしかしたらわずか1週間ぐらいの出来事だったのかもしれない。それでも私は嬉しかった。あの興奮が間違いではなかったことが。ただただだんごについて歌っただけの曲に魅了されてしまったのが、私だけではなかったことが。

「串にささった」でもなく「串にさされた」でもない

歌い出しは、けんたろうお兄さんの低い声で「♪串にささって だんご だんご」と始まる。私はまずこの「串にささって」がめちゃくちゃ好きだ。

「串にささった」でもなく「串にさされた」でもない、「串にささって だんご」。「ささった」や「さされた」であれば、「そのような状態であるだんごがですね……」と、物語の続きを期待させてしまう。

しかし「串にささって だんご」だと、「もちろんお気づきの方もいるかとは存じますが、やはり、串にささっているということで、だんごの体を成しているんですね〜」という、はやくも、「この歌はだんごがだんごであることを言いたいだけで、きっとなにも起こらないんだろうな」という気配をしっかり感じさせてくれる。そして予想どおり、この曲一番の大事件は「戸棚で寝すごして、硬くなってしまった」なのである。

1行目から「鉄板の上で焼かれて」というおそろしい言葉が出てくる「およげ!たいやきくん」とは大きく異なる。たいやきくんは店の主人と喧嘩し、海へ逃げ込んで、挙句の果てに食べられてしまうのだ。童謡なのに、なんて悲しい結末なんだろうと思う。

一方だんごは歌い終わりまでしっかり3つとも残っている。そしてラストは「オ・レ!」みたいに「だんご!」と高らかに歌い上げて終わる。最高だ。実にあっぱれである。ちなみに私は「なにも起こらないくだらない曲」ならなんでも好きなわけではない。怪しげな前奏で壮大に振りかぶって「くる……何かが始まる……」と思わせておいて、「♪串にささって だんご だんご」で見事に裏切ってくるところがたまらないのだ。

とは言うものの、「好き」の理由を当時の私がこのように言語化できるわけはなかった。「タンゴ」と「だんご」でかかっているというくだらなさすら気づかずに、私は毎日「♪いちばん上は長男長男」と、だんごの兄弟構成を歌っていた。

頭の中がもちもちになっていた私は、リアルだんごを求め、お小遣いをもらって近所の商店街にあった老舗の和菓子屋に行った。ピンクと白とみどりのかわいい3色だんごに気を取られながらも、「♪しょうゆぬられて だんごだんご」の歌詞に忠実に、茶色いだんごを買った。あのだんごの味はまったく思い出せない。

同じバスケ教室に通うモリも、「だんご3兄弟」に激ハマりした子どもの1人だった。私とモリは、まわりの友達よりもはるかに、だんごだんごうるさかった。2人で歌割りを決めてそれぞれのパートを責任を持って歌ったし、後半の「♪一年とおして だんご だんご」のところでは両手を広げて一緒にターンもした。いつまでも仲良く、だんごがだんごであることを伸びやかに歌っていくのだと思っていた。

次に友達が歌い出したのは「ゆず」だった

「♪人生を悟る程〜 かしこい人間ではない〜」

夏休みが明けて涼しくなった頃、バスケ終わりにモリが帰り支度をしながらほかの友達と楽しそうに歌っていた。「その曲なに?」「ゆずの『少年』って曲! 今度の運動会で踊るねん」バスケ教室のみんなとは違う小学校に通っていたから、知らないのはその場で私1人だけだった。

「♪愛を語れる程〜 そんなに深くはない〜」

少し前まで一緒にだんごを讃えていたのに、急に人生や愛だと言い出したモリが、とても遠くにいってしまったように感じた。それでも、私もみんなと一緒に歌えるようになりたくて、兄ちゃんにゆずのアルバムを借りて「少年」をたくさんリピートした。その頃から私とモリの会話は、ゆず一色になった。公園の地面に、日が暮れて見えなくなるまで、「夏色」「サヨナラバス」「いつか」「雨と泪」「手紙」などと、木の棒でゆずの曲名をいくつ書けるか勝負した。


ゆずは恋の甘酸っぱさや友情のすばらしさや移ろう季節の美しさをたくさん教えてくれた。一方だんごは、何も教えてくれなかった。教えてくれなかったけど、中学生になって初めてゆずのコンサートに行ったときでさえ、あの日テレビの前で受けた衝撃を超えることはなかった。

「だんご3兄弟」をつくった人は、「流行にならなくていいから、長く歌い継がれる曲になってほしい」と願っていたという。創作活動をする身として、その気持ちは痛いほどわかる。

誰だって忘れられたくない。今日もどこかで口ずさんでほしい。人の心に残り続けたい。友達の子どもが「妖怪ウォッチ」を歌っているとき、甥っ子が「鬼滅の刃」を歌っているとき、ふと、幼い私がどうしていれば、彼らがだんごを歌う未来にできただろうかと、どうしようもないことを考えてしまう。

(加納 愛子 : 芸人)