ケインズは平和/戦争と経済の関係をいかに描いたのでしょうか(写真:freeangle/PIXTA)

戦争の時代に足を踏み入れた今、国際経済の未来をどのように考えるべきなのか。

1919年、第一次世界大戦終戦直後に同様の問題に立ち向かった人物が、20世紀最高の経済学者とも称されるジョン・メイナード・ケインズである。

彼の国際経済観を描いた『平和の経済的帰結』(1919)は、二度の大戦の戦後処理と現代まで続く国際経済の枠組みの発端となった書であり、これからの世界秩序を考える、最良のバイブルとも言える。

本記事では、『新訳 平和の経済的帰結』を翻訳した山形浩生氏による「訳者解説」を一部抜粋・編集して、現代の国際経済の枠組みがいかなる思想のもと築かれたかを解説する。

戦勝国と敗戦国の相互依存


ケインズは経済学者だが、官僚でもある。そしてその官僚時代に、第一次世界大戦のパリ講和会議にイギリス代表団の一員として参加し、そこでの議論の方向性および最終的にまとまりそうなヴェルサイユ条約のあまりのひどさに絶望し、辞表をたたきつけて、即座に本書を書き上げた。そしてそれがベストセラーとなり、ケインズの世間的な知名度をいちやく押し上げた。

本書におけるケインズの基本的な立場は、とにかくヨーロッパの復興を何よりも優先しなくてはならない、ということだ。そして戦争前のヨーロッパは、人口、生産、消費、すべてがドイツ中心となっていた。そしてそれを支えるために貿易が必須となり、そのための輸送手段もドイツが中心だ。それを使ってアメリカとロシア(および各地の植民地)から食糧を輸入することで、人口増も支えられていた。

重要なのは、このグローバル化した経済社会の相互依存についての視点だ。この世界構造は、各国がほぼ閉じた独立経済となっていた、それ以前の状況とはまったく違っている。以前は、相手を完全に別の存在として、分捕れるだけ分捕ればよかった。それが少なくとも戦勝国にとっては最も利益となった。

だがもうそういう感覚でやっていてはいけない。ドイツをつぶせば、自分にとっての資源供給国でもあり、工業製品の供給国でもあり、そして最大の市場でもあった経済が消え、自分の首を絞める結果になる。だから戦後処理──賠償およびその後の仕組み構築──を考えるにあたっても、こうした経済全体の仕組みの変化を踏まえた対応が必須となる。

ナチス台頭と第二次世界大戦を予見

本書は当時のベストセラーとなった。中身の評価よりは、たぶん政府および条約交渉の代表団のトップ高官が、まさにほぼ現在進行形の会議の内幕をぶちまけた内部告発書、内幕暴露本として受け取られたのだろうという邪推は成り立つ。

が、それより重要なのは中身の話だ。ドイツがヴェルサイユ条約で定めようとしている賠償金など支払えないという点、そしてそれをゴリ押しすればヨーロッパ全体が飢餓と荒廃に陥るしかないという主張はどこまで妥当だっただろうか。

本書の4年ほど後に出た続編『条約の改正』では、恐れていたような即座の大惨事が逃れられたことは指摘されている。これは農作物の豊作などの幸運もある。一方で、本書での多くの見積りがおおむね正しく、それを受けて、確かに賠償金は多すぎるので、少しずつ現実的な水準まで減らそうという動きも見られることが述べられているし、またその後1920年代を通じて、その動きはさらに強まってドイツへの賠償要求は引き下げられた。おおむね彼の主張は、世界的な共通認識となったと見てもいいのかもしれない。

だが本書が一般的に評価されているのは、その先の部分だ。本書では、賠償金を無理強いすることでインフレが加速し、経済の貧窮堕落につながって、ドイツにおけるナショナリズムや社会主義の拡大を招きかねないという懸念が出ている。

そしてご存じのとおり、この後のドイツは本当にハイパーインフレに襲われ、それを抑えようとして緊縮財政に走ったことで国内の不満が高まり、それがナチス台頭を招いてしまったとされる。そのナチスは本書で懸念されているナショナリズムまたは社会主義どころか、その両方を魔合体させてしまった国家社会主義なる代物の政党だったというのも、すごい話ではある。

その意味で、本書はしばしばナチス台頭と第二次世界大戦を予見した、きわめて予言的な書物だとされ、それがいまだに本書がしばしば取り沙汰される理由ともなっている。

敗戦国に甘すぎるという批判

その一方で、本書に対する批判も(もちろん)存在する。

悪役にされたフランスは、クレマンソー当人をはじめ大いに反発したらしいし、またボケ役にされてしまったアメリカからもいろいろ文句は出たようだ。そもそも、会議の内幕を暴露すること自体が信義に反するものではないか、という批判も見られたらしい。ケインズとしては、中身の数字はすべて公開資料に基づいていると言うが、各人のふるまいについての描写はその範疇を大きく超えるものではある。

そしてそれ以上に、ケインズの見立てはドイツに甘い、という主張もあった(ある)。そうした主張によれば、ドイツはヴェルサイユ条約の賠償金くらいは優に払えた、それが証拠に、ドイツはなんだかんだで10年で再軍備して世界相手に戦争まで起こせたじゃないか、と言う。さらに戦後ドイツのインフレはワイマールドイツの放漫財政のせいで、賠償金とは関係ない、とも言う。ケインズがドイツに洗脳とは言わずとも影響されていたのだ、と。こうした主張の成否をここで掘り下げる余裕はない。

だが、そんなに楽に払えたのなら、フランスに賠償金未払いを口実にしたルール地方占領を許したり、その後も賠償金問題で延々と交渉を続けたりする必要がなぜあったのか、という疑問は残る。その一方で、ドイツは再軍備する余力があったのも事実。そして、本書では確かに、そうした軍事面の配慮をまったくせず、経済の復興だけしか考えていない。これは適切だったのか?

受け継がれるケインズの国際経済観

だが一般には本書の見立ては正しかったと思われている。この教訓を受けて、戦後の経済アーキテクチャが構築された。ケインズはその構築の理論面でも実務面でも深く関与した。そしてそこでの認識も、本書で確立されたグローバル化の進展と経済の相互依存による発展が何よりの基盤となっている。

まずドイツへの賠償請求は、連合軍占領地区における工場設備や現物で行われ(デモンタージュ)、被害者への補償は限定的で、いずれも支払能力は考慮されたし、また東西ドイツ分裂後は停止された。日本への賠償請求は多くの国が放棄した。さらにケインズの死後ではあるが、マーシャルプランにより焦土と化したドイツを含む、ヨーロッパ復興を支援する仕組みができて、それが後の欧州復興開発銀行や世界銀行の開発援助にもつながった。そこにあるのは、経済の立て直しこそが何よりも平和にとって重要という考え方だ。

また本書で懸念されている、通貨の乱発によるインフレと経済混乱を避ける仕組みも確立した。米ドルに特権的な地位を与え、為替レートを固定させる、ドル本位制とも言うべきブレトンウッズ体制だ。ブレトンウッズ会議でケインズは、米ドルをてっぺんに据えるのはいやがり、バンコールという国際決済単位を使った別の仕組みを提案したが、そのあたりの事情はここにはとてもおさまらない。が、ベースとなる通貨安定の重要性に関する基本認識は米国家でも共有されており、それはすでに本書の時点ではっきり出ていた。

このそれぞれについて、当然ながら他にも事情があったとか、冷戦の影響がとかいった指摘はできる。またその数十年後とはいえ、ブレトンウッズ体制は崩れたし、それ以外の部分についても弊害やダメなところはいくらでも指摘がある。さらに頭の痛い問題として、このアーキテクチャが本当によかったのか、そのてっぺんに鎮座したアメリカが圧倒的に強かったからこのアーキテクチャでもゴリ押しが利いただけなのか、という疑問も十分に正当なものだ。

それでも、ケインズの世界観に基づくこの第二次大戦後の世界経済アーキテクチャが、なんだかんだで20世紀の世界経済の驚異的な発展につながったのは、すでにご存じのとおりだ。そして、それが崩れた後に台頭してきた自由市場寄りの仕組みが文句なしにいいかと言えば、多くの人が口ごもるところではある。

本書の時点で、そのアーキテクチャにつながる認識の基盤はできあがっていた。その意味で本書は第一次世界大戦の戦後処理にとどまらず、第二次世界大戦の戦後処理、さらにそれ以後の世界基盤につながる重要な書籍でもある。

(山形 浩生 : 翻訳家)