資本主義の魔力から抜け出せない理由、それは……(写真:aijiro/PIXTA)

「資本主義の終焉」「資本主義は限界を迎えている」としばしば言われるようになりましたが、資本主義の「魔力」は強力で、なかなか脱することができません。しかし、マッキンゼーなどで活躍し、現在は京都先端科学大学教授を務める名和高司氏は、日本型経営にこそヒントがあると指摘します。

※本記事は名和高司著『パーパス経営入門』(PHP研究所)の内容を一部抜粋したものです。

地球からの警告

1972年、スイスに拠点を置くシンクタンクのローマクラブが「成長の限界」というレポートを発表し、大きな反響を呼びました。システムダイナミクスというシミュレーション手法を用いたところ、次のような結論が導き出されたのです。

「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」

そして2009年、リーマン・ショックによる世界金融危機の最中に、ローマクラブが「ファクター5」というレポートで次のような試算を公表しました。

「地球上の70億人全員がアメリカ人と同レベルの資源消費性向を持つと、地球が5つ必要となる」

「ファクター5」では、資源消費を5分の1以下に抑えるためには、豊かさを経済(GDP)ではなく、生活の質(QOL)に求めるべきだと主張しています。つまり、Efficiency(物質的効率)からSufficiency(精神的充足)へのパラダイムシフトの重要性を唱えたのです。

「成長の限界」から50年、「ファクター5」から十数年。世界はやっと「このままでは地球が危ない」という指摘に耳を貸すようになってきました。

それでも変われない世界のトップたち

しかし、世界の資本主義社会のリーダーたちは、資本を基軸とする発想からいまだに抜け出すことができていません。

毎年1月にスイスのスキーリゾート「ダボス」で開催される「世界経済フォーラム年次総会(通称・ダボス会議)」には、世界トップクラスの知性を持つとされる人々が集まります。ここでここ数年、中心テーマとなっているのが「資本主義の終焉」です。

しかし、そこで飛び交っているのは「知識資本主義」や「マルチ・ステークホルダー資本主義」などという言葉で、実態は資本主義を再定義して、未来に向けて何とか延命しようという本音が痛ましいほど透けて見えます。

ここに集まっている人たちは世界中の資本主義社会の頂点に立つリーダーたちである以上、当然のこととも言えますが、「世界トップクラスの知性」と呼ばれる人であっても、意識変革はなかなか難しいということを物語っています。

なぜ人は「資本」の魔力から抜け出せないのか。それは、資本家や企業人そのものが、資本の自己増殖の奴隷になってしまっているからです。

資本の本質は、カール・マルクスが指摘したように「自己増殖する価値の運動体」です。そして資本主義とは、資本が主体として再生産を繰り返すことで、社会の成長を目指すことです。

資本主義の「魔力」

1976年、イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンス氏は「利己的な遺伝子」論を唱えました。

生物の遺伝子は生き残るために手段を選びません。遺伝子は自己の成功率(生存と繁殖率)を他者よりも高めることを考え、寄生している生物さえもたやすく乗り換えます。遺伝子にとっては、生物は自らの複製を残すための「乗り物」にすぎません。利己的な遺伝子論とは、簡単に言えばそういうことになります。

私には、資本もまた、遺伝子のように自己増殖しているように思われてなりません。

資本は放っておくと果てしなく自己増殖を求め、その増殖運動に振り回され、人間は資本の奴隷として働かされます。かつてマルクスは、そのことを「労使の対立構造」ととらえました。

世界に広がる富の偏在は、資本家の野望の結果というよりは、資本家や企業人をこのような行動に駆り立てる資本そのものの遺伝子の仕業ではないでしょうか。

それが、世界最高の知性と言われるような人々ですら、この資本主義の魔力から抜け出せない理由なのではないかと思います。

では、どうしたら我々は「資本」から主権を奪い返すことができるのか。

一般に、経済活動を構成する要素は「ヒト・モノ・カネ」とされます。このうち、モノやカネにばかり軸足を置いた経営が限界を迎えているのは、ここまで述べてきた通りです。そうなると、残るは「ヒト」しかありません。

パーパス経営とはまさに「人を中心に据えた」経営論。だからこそ今、注目されているのです。

日本では当たり前だった「人本主義的な経営」

ここまで読まれた読者の方は、「人を中心にする経営とは、日本が昔からやってきたことに他ならないのでは?」と思われたかもしれません。

その通りです。

日本では、ヒトが経済や企業活動の主体だという考え方は、ずっと以前から当然のこととしてとらえられてきました。古くは江戸時代にもその萌芽がありましたし、明治時代の産業の発展、戦後の経済成長の根幹にも、ヒトを中心とした経済活動がありました。

経営学者の伊丹敬之氏が著書『人本主義企業―変わる経営変わらぬ原理』(筑摩書房、1987年)の中で「人本主義」を唱えたのは、三十数年前のことです。日本企業の成長の原動力はヒトを基軸とした日本型システムにあると述べており、まさにパーパス経営の原点と言えます。

しかし残念なことに、その直後、バブルが崩壊し、日本経済は急激に悪化しました。そのため、人本主義はバブル崩壊を引き起こしたさまざまな問題と同一視され、時代遅れのものとされてしまったのです。

そして、その間隙を埋めることとなったのが、前述の「市場原理」だったということです。

バブル崩壊後、日本企業を取り巻く状況は大きく変わりました。しかしその間、人本主義が滅んでしまったわけではありません。いや、むしろ市場原理主義に日本が席巻される中、人本主義を貫き通した企業こそが高い業績を上げている。そんな時代が到来しています。

2016年、私は21世紀に入ってから成長した世界の大企業100社を研究し、売上高、収益、企業価値の3つの成長率が高い順にランキングづけをしました。その結果、ベスト100に日本企業が10社ランクインしていました。

世界レベルで戦っている日本企業の「ある特徴」

その結果を見て、我が意を得たりの思いがしました。やはり「人本主義」を貫き通してきた企業がランクインしていたからです。

具体的には、以下の10社です。

ファーストリテイリング(20位)、ダイキン工業(55位)、アステラス製薬(58位)、コマツ(88位)、アサヒグループホールディングス(93位)、キリンホールディングス(95位)、ブリヂストン(96位)、デンソー(97位)、トヨタ自動車(99位)、本田技研工業(100位)。

これらの日本企業に共通する点としては、「人に基軸を置いた経営に定評がある」(人本主義)の他、

・海外企業と比較すると超成長はしていないが、しっかりと成長を続けている

・地方出身の企業が多い

ということがあります。

とはいえ、会社が株主のものであることは厳然たる事実です。「人を大事にする」というだけで、株主に納得してもらえるのかという疑問を持つ人もいるかもしれません。

「人本主義」は株主資本主義と両立するのか?

これについては、人本主義を唱えた伊丹氏自身が、『日経ビジネス』の「人本主義は死んだのか?」というインタビューの中で、こう答えています(「『人本主義』は死んだのか 伊丹敬之・東京理科大学教授に聞く」、日経ビジネス電子版、2015年7月31日)。


「少なくとも日本電産[現ニデック:引用者注]や京セラでは生きているよね。どちらも社員に厳しい会社だけど、情がある。ついていけない人は自発的に辞めているんだろうけど、残った人たちは頑張るでしょ。両社に共通しているのは管理会計をきちんとやっていること。自分たちが頑張った成果がきちんと数字で表れる。これは大事です。会社は株主のものか、それとも社員のものか、と言うけれど、人本主義をちゃんとやれば、株主にもメリットがあります」

つまり、人を大事にすることが結局は株主のメリットにもなるということです。ニデックや京セラは、どちらもまさに「パーパス」を大事にすることで成長してきた企業です。

さらに言えば、世界規模でも、こうした「人を大事にする経営」が主流になりつつあります。アップルやグーグルといったリーディングカンパニーも、「人の話をよく聞く」タイプのトップが率いるようになっています。

破綻しつつある株主主権の資本主義をいまだ「グローバルスタンダード」と崇めている日本企業は、速やかに目を覚ますべきでしょう。

(名和 高司 : 京都先端科学大学教授)