新春スペシャル対談
村井満×ジーコ(後編)

◆村井満×ジーコ・前編>>「異端のチェアマン」が「神様」と親友になったキッカケ
◆村井満×ジーコ・中編>>「浦和と鹿島のタイトル数の差は何?」

 前Jリーグチェアマンで、現在は日本バドミントン協会会長を務める村井満氏。そして、元ブラジル代表として30年前のJリーグ開幕を大いに盛り上げ、日本代表監督退任後も毎年のように来日しているジーコ氏。まったく出自の異なる両者だが、それぞれのホームである浦和とリオデジャネイロで酒を酌み交わすほどの親友である。

 昨年12月5日に発売された宇都宮徹壱・著『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)は、8年間に及んだ村井チェアマン時代のJリーグを丹念に振り返りながら、これまで明らかになっていなかった新事実を掘り起こしていく内容となっている。そして本書が、Jリーグ開幕から30周年を迎えた2023年に発売されたことを受けて、村井&ジーコ両氏による対談企画が実現した。

 今回、この豪華な対談を3回にわたってお届けする。本稿はその最終回。近年タイトルから遠ざかっている鹿島アントラーズへの思い、ジーコ氏が今も日本との絆を大切にする理由、そして未来の日本サッカーに期待することについて、それぞれの視点から語っていただいた。30周年を迎えたJリーグの「次のステージ」を感じ取っていただければ幸いである。

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ジーコが日本サッカーに与えた影響力とは? photo by Koreeda Ukyo

【30年の歴史のなかでJリーグはこの国に何を残したのか?】

── ここからは、Jリーグがこの30年の間に、何をもたらしたかを考察してみたいと思います。1993年にJリーグが誕生して、サッカーの競技人口も芝生のグラウンドも増えました。全国津々浦々にプロサッカークラブが誕生し、日本代表は女子を含めてワールドカップや五輪の常連となっています。その一方でJリーグは、競技面以外のところでも日本社会に大きな貢献をしてきたのではないかと考えるのですが、村井さんのお考えはいかがでしょうか?

村井 Jリーグはサッカーという、いちスポーツ競技の興行団体ではあるんですが、それこそ鹿島に起こったような変化を起こす力がサッカーにはある。サッカーによって街が変わり、そこで暮らす人々も生活も変わる。それくらいの影響力が、サッカーにあると思います。

 影響力ということでいえば、それこそ「ジーコ」という存在がそうですよね。Jリーグがバブルだった時代、お金儲けのために海外から来た選手や監督もいたかもしれない。けれどもジーコさんは、Jリーグが始まる2年前から日本に来ていて、今も鹿島だけでなく日本サッカー界に影響を与えているじゃないですか。これもまた、Jリーグができたから実現したことですよね。

ジーコ Jリーグ開幕時であればリネカー、最近でいえばイニエスタ(バルセロナ→ヴィッセル神戸→エミレーツ・クラブ)がそうですけれど、彼らは日本に来る前から世界的に有名な存在でした。けれども、そのイメージのまま日本でプレーすることに、私は賛成できません。日本に来たからには、日本の習慣や文化に順応する必要がありますし、日本のアイドルとして振る舞う必要があるというのが私の考えです。

── ジーコさんが日本という国にアジャストできたのは、もちろんご自身の努力もあったと思いますが、受け入れる側の姿勢も大事ですよね?

村井 それはありますよね。私はずっと人事畑にいた人間なので、どうしても人や組織を見てしまうんです。その視点から言えば、ジーコさんを支える存在としてフットボール面では鈴木満、ビジネス面では鈴木秀樹という、ふたりの鈴木さんの存在が大きかった。

 鹿島があれだけのタイトルを獲得できたのも、ジーコさんを中心とするトライアングルが強固であったからこそ「ジーコイズム」が発揮されてきたんだと思います。

ジーコ 村井さんのおっしゃるとおり、ブレない組織づくりは大事です。そして代替わりした時に、どう引き継いでいくかということも。私が個人的に意識していたことは、その国の文化にアジャストしていくこと、それから想像力とイニシアチブに加えて、皆から憧れるような選手を育てていくこと。それは鹿島でも、日本代表でも重視してきたことです。

【タイトルから遠ざかる鹿島をジーコはどう見ているのか?】

ジーコ 先ほど村井さんが、私のことを「今も鹿島だけでなく日本サッカー界に影響を与えている」とおっしゃっていただきました。私が今も日本サッカーと関わりつづけているのは、やっぱり鹿島や日本に対する強い気持ちが、決して失われることがないからだと思います。

 具体的な話をしましょう。1991年に最初の引退をした時、私にオファーをしてきた住友金属の人たちを自宅に招いたんです。そこで私は、今はどういう暮らしをしていて、どれくらいの資産を持っているのかを見てもらいました。当時、なかったのはCFZ(ジーコサッカーセンター)のグラウンドくらい。それ以外のすべてのものは、当時から持っていました。

村井 ご自身の資産を公開したのは、つまり「私はお金儲けのために日本に行くのではない」ということを知ってもらいたかったから?

ジーコ そういうことです(笑)。日本に出稼ぎをしなくても、私はすでに生活の余裕がありました。それでも遠く離れた日本でのチャレンジを望み、結果としてますます日本との間に深い絆が生まれた。この先も健康でいられるかぎり、私にできることがあれば、日本サッカーのために貢献したいと思っています。

村井 CFZといえば、アンダー世代の大会を毎年開催していて、ブラジルだけでなく日本の子どもたちも参加しているんですよね。たしか日本代表の上田綺世(現フェイエノールト)も、そうだったと聞いています。

── その上田綺世が抜けた鹿島は、親会社が住金からメルカリに変わって以降、タイトルから遠ざかるシーズンが続いています。さぞかしジーコさんも気を揉んでいることと思いますが、現在の鹿島をどのようにご覧になっているのでしょうか?

ジーコ 低迷が続いている原因が何であるのか、ひとつだけ挙げるのは難しいと思います。村井さんに評価していただいた、私と満さんと秀樹さんのトライアングル。かつては秀樹さんがスポンサーやマーケットの管理をして、満さんはチーム全般の統括をして、私はブラジルから選手や監督を連れてきていたわけですが、そうした明確な役割分担も変わってきています。

── 鹿島の小泉(文明)社長には、私も何度かインタビューする機会がありました。そこで感じたのは、満さんや秀樹さんにはリスペクトしつつも、あえて属人化しない組織づくりを目指しているように感じているのですが。

ジーコ それでも満さん、秀樹さんのような人材を輩出していくことが、今の鹿島に必要なのではないか。そう、私は強く感じています。

【元チェアマンと元日本代表監督が夢見る「日本サッカーの未来」】

── お話は尽きないですが、そろそろまとめに入りたいと思います。Jリーグ30周年という節目の年を迎え、これからさらに歴史を刻んでいくわけですが、おふたりは今後のJリーグや日本サッカー界にどんなことを期待していらっしゃいますか?

村井 チェアマン退任後、しばらくサッカーから離れていたんですけれども、先日、久しぶりに味スタでJ1昇格プレーオフ準決勝(東京ヴェルディvsジェフユナイテッド千葉)をチケット観戦したんです。たまたまヴェルディ側の自由席を買ったんだけど、スタンドに入ったタイミングでゴールが決まって、気がつけば歓喜の渦の中に入り込んでいました(笑)。

 その時にあらためて「やっぱりサッカーっていいな」って思いましたね。JリーグにはACLで優勝するようなビッグクラブも必要だけど、J2やJ3のクラブが地域のシンボルとして愛されるということも必要だと思うんです。それぞれが、それぞれの規模に見合った形でレベルを上げていってほしいなと思います。

── まさに、現チェアマン(野々村芳和)がおっしゃっていることですよね。

村井 それともうひとつ、日本からもジーコさんのような存在が出てきてほしいですね。選手として代表に選ばれ、ワールドカップに出場することだけがゴールではない。有名になったからこそ、世の中や社会のために尽力できるような選手が出てきてほしい。

 あるいはジーコさんが日本に来てくれたように、アジアやアフリカの国々にも出て行って、現地のサッカーに貢献できるような人材が、Jリーグから輩出するような光景を見てみたいです。


思い出話で大いに盛り上がった村井満氏とジーコ氏 photo by Koreeda Ukyo

ジーコ 私が生きている間に見てみたいのは、日本代表がワールドカップの決勝の舞台に立つことです。これまでだったら、グループステージ突破で一喜一憂していましたけれど、もはやそういう段階ではないと思います。

 前回のワールドカップでも、あれだけのことをやってのけたのだから、浮き沈みするような代表ではない。結果で日本国民を感動させ、さらには世界を驚かせるような日本代表であってほしいと思います。

村井 日本サッカーが世界を驚かせる光景、いいですね! ワールドカップだけでなく、クラブワールドカップでも見てみたいですよ。

 2016年大会の決勝は、レアル・マドリードvs鹿島だったじゃないですか。クリスティアーノ・ロナウドが、本当に青ざめているような表情を見たのが忘れられなくて(笑)。いつかJクラブがクラブワールドカップで優勝する瞬間というものを、私も生きているうちに見てみたいですね。

ジーコ 去年のワールドカップ・カタール大会ではモロッコがベスト4になりましたが、2026年にも同じくらいの成績を残せるかというと簡単ではないと思います。日本代表には、ワールドカップでコンスタントに結果を残せるチームになってほしいです。

── いかにも元日本代表監督らしい願いですね!

村井 Jリーグが開幕した頃に『エスパッソ・ジーコ』というジーコさんのプライベートショップが東京・外苑前にあって、そこでワインを買ったんですよ。それで「ジーコが日本代表監督に就任したら、栓を開けて飲むぞ!」って思ったら、2002年にその日がやってきたわけです。でも、わが家にはワインクーラーなんてなかったから、開けてみるとソースみたいになっていて(苦笑)。そんなエピソードを思い出しました。

── これからも、そうしたエピソードが日常的に存在するJリーグであってほしいですね。村井さん、ジーコさん、今日はありがとうございました。

<了>


【profile】
村井満(むらい・みつる)
1959年8月2日生まれ、埼玉県川越市出身。日本リクルートセンターに入社後、執行役員、リクルートエイブリック(現・リクルートエージェント)代表取締役社長、香港法人社長を経て2013年退任。日本プロサッカーリーグ理事を経て2014年より第5代Jリーグチェアマンに就任。4期8年にわたりチェアマンを務め、2022年3月退任。2023年6月より日本バドミントン協会会長。浦和レッズの熱心なサポーターとしても知られる。

ジーコ
1953年3月3日生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ出身。1971年からフラメンゴでプレーし、1983年にウディネーゼへ移籍。契約問題で2年後に再びフラメンゴに戻り、1989年に一度は引退するも、1991年に住友金属(現・鹿島アントラーズ)のオファーを受けて1994年までプレー。ブラジル代表として72試合52得点を記録し、ワールドカップは1978年・1982年・1986年大会に出場。2002年から2006年まで日本代表監督を務める。