ハースF1・小松礼雄 インタビュー前編(全2回)

 ハースF1チームで技術部門を統括するエンジニアリングディレクターとして活躍する小松礼雄氏。F1の最前線で働く数少ない日本人スタッフに、エンジニアの仕事や二人三脚でレースを戦うドライバーについてインタビュー。前編では、2023年シーズンのハースの戦いを振り返り、小松氏の仕事へのこだわりについて語ってもらった。


ハースのエンジニアリングディレクターを務める小松礼雄氏(右)とニコ・ヒュルケンベルグ選手 photo by Atsuta Mamoru

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【従来のマシンに見切りをつけるのが遅すぎた...】

ーー2023年シーズンのハースは予選では速さを見せましたが、コンストラクターズランキングで最下位と苦戦が続きました。

小松礼雄(以下同) 今シーズンはなかなか思ったとおりに進みませんでした。2023年1月末に発表した新車をバーレーンでの合同テストに持ち込んで走らせてみると、いくつかの弱点が見えてきました。一発の速さはあるのですが、決勝でタイヤがたれてしまうという問題点が大きかった。それをシーズン後半になっても解決できなかったのは不本意なところです。

ーータイヤの摩耗の問題を克服するために、アメリカ・テキサス州のオースティンで開催された第20戦のアメリカGPで大規模なアップデートをしました。効果はありましたか?

 問題を解決するための一番いい方法は、ダウンフォース(※車体を地面に抑えつける力)をつけることです。でも、ただ単にダウンフォースをつければいいわけでなく、マシンの挙動が安定し、ドライバーが運転しやすくなる形でなければなりません。そのために風洞施設でいろいろなことを試しましたが、いい解決策が見つかりませんでした。

 結局、開幕戦仕様のマシンに見切りをつけ、新しい方向性のマシンをオースティンに持ち込みました。でも、従来のマシンに見切りをつけるのが遅すぎた。方向性を変えて2歩前進するためには、まず5歩は下げる必要がありますので......。

ーーなぜ5歩下げる必要があるのでしょう。いきなり2歩前進できない理由とは?

 たとえば、パスタで煮詰めているレシピがあるとしますよね。でもこれ以上、おいしさを追求していっても限界があるのがわかって、ちょっと違うメニューに取り組もうとします。それで食材や調味料、オリーブオイルなどを変えても、すぐに現状のものよりおいしいパスタができるわけじゃないですよね。

 世界中を回って新しい食材や調味料を見つけ出し、レシピを試行錯誤していると、最初は今までのメニューよりも完成度がどうしても落ちてしまう。新しく取り入れる野菜にポテンシャルがあったとしても、今までのメニューを超える味を出すための調理法を見つけるまでにトライ&エラーがあるんです。だから5歩くらい下がることになるんです。

ーーでは、新しい仕様のマシンは、従来よりも競争力が落ちているということですか?

 いったん5歩下がりましたが、従来の仕様と同じレベルまで挽回できた段階でオースティンに持ち込みました。ポテンシャルがあるので、いいセットアップやスイートスポットを見つけることができれば、これからもっと"おいしく"なっていくはずです。でも、もっと早い段階、7月末のハンガリーGP前後に新しい方向性のマシンを投入できていれば、アメリカGPではさらにひと段階レベルアップしたマシンを持ち込めたはず。判断が遅れたことは、残念でなりません。

【最終的な戦略を決断するのが仕事】

ーー小松さんはチームの技術面を統括するエンジニアリングディレクター。どんな仕事をしているのですか?

 僕はサーキット現場の部署の仕事を持っていますが、イギリスのファクトリーにある、クルマの性能に関わる部署も統括して見ています。具体的には、マシンのデータ解析、シミュレーション関係、制御、研究開発のスタッフですね。彼らの仕事を管理しつつ前に進めていく。いわゆるエンジニアリング部隊のまとめ役です。あとはレースの準備ですね。その両方を見ています。

 空力とデザインはまた別の担当がいて、僕の管轄ではありません。シミュレーションのデータをもとに、クルマの長所と短所を把握して、今後はどういう方向で開発していけば性能が向上するかを提案するのが僕の役目です。設計や空力の担当者と議論をして、マシン開発の方向性を決めていきます。


ハースのマシン photo by Atsuta Mamoru

ーーレースウィークではどんなスケジュールで仕事をされているのですか?

 ヨーロッパ以外のサーキットで開催されるフライアウェイのイベントの場合は、水曜には現地入りしています。ヨーロッパのレースは、木曜の朝から。現場に到着する前にファクトリーの各部署のスタッフたちとどういう方向性で戦うのかを議論しているので、サーキットに来てからはもうプランを実行するのみ。部品は届いているか、マシンの組み立てはうまくできているか、事前のプランどおりに物事は進められているか、というのを全部確認して、木曜は最後のまとめをします。

 クルマを組み上げてエンジンをかけて、すべてのシステムが問題なく機能しているかをチェックして、車検に通るようにしておく。さらに金曜から始まるフリー走行についてミーティングします。金曜朝にみんな集まって、基本的にはドライバーがマシンに乗り込めば走れる状態にしておきます。フリー走行のあとは、そのデータを分析して、予選をどういうプランで臨むかを決めていきます。

ーー決勝の戦略を決めることも小松さんの役割なのですか?

 最終的な決断は僕が下しますが、チームにはもちろんレースの戦略を専門に担当するストラテジストがいます。まずは過去のデータからレース戦略がどうなるか予測できるので、それをベースにフリー走行の走り方を決めます。そしてフリー走行後にストラテジストは、タイヤ担当のエンジニアたちとともにデータを見て各スペックのタイヤの性能や耐久性を把握し、レースでのタイヤの使い方を提案します。

 その後、ドライバーも含めて話し合って、レース戦略のベースを日曜朝までに決める。実際のレース中は刻々と変わる状況のなか、常に新しい情報がそれぞれの担当者から上がってきます。その情報を集約・分析して、責任を持って最終的な戦略を決断するのが僕の仕事です。

【強い相手を倒すことが醍醐味】

ーー2023年シーズンのF1は史上最多23戦が開催され忙しかったと思います。休める日はありましたか?

 ないと言えばないのですが、そう言っていてはいつまでも休めません。だから、たとえばレースがない週の金曜には強制的な代休をとることもあります。そうすれば週末は金土日と3連休になるので、その間は会社に行かず日中は子どもを学校に送ったり、一緒にゴーカートやクライミングをしたりして遊んでいます。子どもたちが寝たあとに少しだけ仕事をしています。

ーーF1エンジニアの楽しさや醍醐味は何ですか?

 僕は予選が好きですね。凝縮されたプレッシャーのなかで戦うことが楽しいですし、おもしろい。あとウェットも好き。ドライバーも雨のなかではクルマの実力差を超えて、速さを見せつけることがありますが、エンジニアも一緒です。ドライコンディションでは絶対に勝てない相手にも、ウェットでは倒せる可能性がある。

 実際、2022年のブラジルGPではケビン・マグヌッセンでチーム初のポールポジションをとることができましたし、2023年の第10戦オーストリアGPのスプリントレースではニコ・ヒュルケンベルグがレッドブルと好勝負を演じてくれました。状況を読み、戦略を駆使し、天候をうまく利用すれば、ドライでは勝負にならない強い相手も倒せる。そういうのがエンジニアの醍醐味だし、一番おもしろいところですね。

後編<キャリア20年のF1エンジニア・小松礼雄に聞く「いいドライバーの条件」過去No. 1は誰?>を読む

編集協力/川原田 剛

【プロフィール】
小松礼雄 こまつ・あやお 
1976年、東京都生まれ。高校卒業後、F1の世界を目指して渡英。ロンドンの英語学校で学んだのち、ラフバラ大学自動車工学部に進学。同大学の博士課程を経て、2003年にBARホンダでF1のエンジニアとしてのキャリアをスタート。その後、ルノーやロータスでエンジニアとして活躍し、2016年に結成されたハースF1チームにチーフレースエンジニアとして加入。2023年はエンジニアリングディレクターとしてチームの技術面の責任者を務めた。