徳光和夫 インタビュー(全3回)
箱根駅伝編

観戦歴60年以上、立教大在学中から箱根駅伝に親しんできた徳光和夫さん(82歳)にインタビュー。1月2〜3日に開催される100回大会を前に、箱根駅伝の思い出を振り返ってもらい、2年連続出場を決めた母校・立教大への思いを聞いた。

【いいところに住んだな、としみじみ】

徳光和夫 僕は今82歳ですが、大学3年の時に茅ヶ崎(神奈川)に移り住みました。箱根駅伝を沿道で観戦するようになったのはそれから。だから、もう60年以上になるんですね。


箱根駅伝の思い出を振り返る徳光和夫さん

 立教大学に通っていた頃には、豊田(多賀司/※)という同級生が箱根駅伝を走っていました。大学ではいつも学ランを着て学生帽をかぶっていたので、体育会に所属しているのはわかっていましたが、地味なやつで、そういうことを全然言わないから、駅伝の選手とは思いもしませんでした。新聞で「立教大の豊田」っていう名前を見つけたんですよ。

※豊田多賀司=第36回4区7位、第37回9区14位、第38回3区9位、第39回8区15位

 うちの近所で見られるというので、毎年、見に行くようになったんですが、最初に驚いたのが、こんなに速く走るのか!ということです。選手があっという間に目の前を通り過ぎていくんです。

 当時はテレビ中継がなくて、大きいラジオを沿道に持っていき、イヤホンでラジオ中継を聞きながら応援していました。

 彼らの走る姿は本当に美しい。己の体型と比較するわけではありませんが、ぜい肉のない、体脂肪率がひと桁台の若者たちが、カモシカのような脚で、大きなストライドで自分の前を通過していくのを見ていると、それだけで、今年1年が幸せになれるなって思えるんです(笑)。

 ちょうど僕が見ているポイントは、選手たちは富士山を背負って、江ノ島に向かって海岸線を走っていく。8区と3区は、おそらく映像でも一番美しいシーンが撮れるのではないでしょうか。

 近所に箱根駅伝が行なわれている環境があって、いいところに住んだな、としみじみと思います。本物の選手を目の前で見て、応援できることに、若干ではありますが、テレビの視聴者、ラジオリスナーの皆さまに優越感を覚えます(笑)。

【プライベート観戦で本格生実況】

 沿道の人は、やっぱりテレビ中継が始まってから増えましたね。茅ヶ崎市の人口も、私が住み始めた時は11万人ぐらいだったのが、今や26万人にまで増えています。

 駅からまっすぐ続く「(加山)雄三通り」と、僕が見にいく「一中通り」という道があるんですけど、箱根駅伝の日は朝8時ぐらいから行列ができます。ゲルマン民族の大移動みたいに、海へ海へと続きます。往路も復路も通過するのは10時半から11時ぐらいなんですけどね。早く行かないといい場所を確保できません。僕もだいたい8時半には家を出て、あとはラジオを聞きながら選手を待っています。

 一応、しゃべる仕事をしているので、沿道で応援する際には、選手の名前、出身高校、ちょっとしたコメントなどを、声に出しています。目の前を通る13秒から15秒ぐらいしかないんですけどね。

 事前に新聞を見て、名前を書き出しておくのですが、8区は当日変更が多いんですよ。10人ぐらい入れ替わることもあります。

「今、地元の東海大が6位で通過します。◯◯選手は◯◯高校の出身です」「ぶどうの産地、山梨県から来た◯◯。さあ頑張れ、ここから湘南の海だ」「サザンオールスターズのあの音楽が聴こえるか」「烏帽子岩がほほ笑んでいるぞ」

 こういった声をかけるわけです。

 僕は子どもの頃に福島県の三春町というところに疎開していたことがあって、その三春にある田村高校の卒業生が、これまで何人も箱根駅伝を走っているんですよ。目の前を走っている選手が、まさか田村高出身とは信じられなかったです。

「桜と桃と梅、3つの春で三春だ、さあ、田村高校、行けー!」と、こんな声をかけたことがありました。

 でも、選手に聞きますと、誰ひとり、僕の声を聞いた記憶がないそうです。選手の耳には届いていないんでしょうね。

 テレビ中継がなかった時代に1回だけ、こんなことがありました。順天堂大の澤木啓祐監督(当時)が、ジープに乗って、メガホンで選手に声援を送っていたところに、「今年こそ順天堂の春だ」と声をかけたんです。それが澤木さんに聞こえたのか、もしくは、僕の姿が目に入ったのかもしれません。

「1、2、1、2、あっ徳光さん、1、2、1、2......」と、選手への掛け声のなかに、僕の名前を口にしました。

 あれは僕にとっては宝物。耳の宝です。しかも、気づいてくれたのが澤木さんですから、うれしかったですね。澤木さんはきっと覚えていないと思いますが......。

【忘れられない選手と自慢の同僚】

 これまでに目の前を走った選手でよく覚えているのが、山梨学院大の古田哲弘選手(第73回大会8区)です。

 あの時は日差しが強くて、彼の5厘刈りが照り輝いていたんですよ。本当にみごとな走りで、目の前で前を走る選手を抜き去りました。1年生で区間新記録を打ち立てて、その記録は22年間破られることがありませんでした。

 僕がまだ日本テレビの社員だった頃に、テレビ中継が始まりました。僕自身、スポーツ中継はプロレスしかやってこなかったから、箱根駅伝の中継には携わってはいません。

 自慢話のひとつなのですが、同期の坂田信久っていうスポーツ局の人間(初代プロデューサー)と、技術の大西一孝が箱根駅伝の中継を可能にしたんです。

 坂田は全区間中継することにこだわっていたのですが、箱根山中ももちろんですが、湘南の海岸線も鎌倉の山で電波がさえぎられてしまうので中継するのが難しかったそうです。彼らふたりは湘南を歩き回って大磯の山を見つけて鉄塔を立てて解決したんです。つまり、私の同期が箱根駅伝の中継を可能にしました。彼らは僕の誇りです。

【監督不在の母校に全力エール】

 今年初めの第99回大会では母校・立教大が55年ぶりに箱根駅伝に出場しました。その前にも選抜チームで立教大の選手が湘南を走ったことがあったんです(第98回・関東学生連合3区・斎藤俊輔、第85回・関東学連選抜8区・中村嘉孝)。その時はやっぱりうれしかったですね。湘南立教会という集まりがあるんですけれども、みんなで応援に行きました。

 第99回は沿道で小旗を振ってはいけないというので、帽子やはっぴ、はちまきをみんなでつくって、それを身につけて応援しました。たぶん湘南は、立教の応援が一番大きかったんじゃないでしょうか。前総長の郭洋春さんもお見えになって、一緒に応援しました。

 今回も立教は予選会を6位で通過しました。99回は参加することに意識を置いていたと思いますが、今回はもっと上位を狙うべく、99回以上に死にもの狂いで選手たちは走ると思いますよ。

 予選会の前に前監督の上野裕一郎さんのゴシップがありました。でも、逆風が吹くなか、選手たちは思わぬ力を発揮するのではないでしょうか。シード権までは難しいかもしれませんが、11位、12位ぐらいまでは食い込むんじゃないかなと思っています。

 第100回大会は、連覇を狙う駒澤大がより強固に精鋭を集めてきました。前回は走っていない、2年生の佐藤圭汰選手は相当速いようですね。

 その駒大に青山学院大がどのように雪辱するか......。青学大にも2年生に強い選手がいると聞きました。

 毎年7月に、ある方の誕生パーティーで原晋監督にお目にかかります。例年であれば、我々に"チャラく"対応してくれるんですけど、今年はそうではなかった。それほど雪辱に燃えているのを感じました。

 それに中央大が強いんですよね。國學院大も平均的に力を上げてきているし、創価大も最近は健闘しています。

 中央大は僕が学生の頃から強かったですが、國學院大や創価大が優勝候補の一角に挙がってくるなんて当時は考えもしなかったですね。どの大学も監督がいて、それをサポートするコーチが数人いると思います。指導陣が充実しているところが駅伝では強い。そういう意味では、藤原正和監督が率いる中央大が、僕はいいんじゃないかなと思っています。

 まあ、素人予想ですけどね。競馬の予想もまったく当たりませんので......(笑)。

読売ジャイアンツ 前編<「巨人が弱いと野球ファンが離れる...」徳光和夫が明かす炎上発言の真意 「今の選手たちにはそういう気持ちがあるのか!?」>を読む

読売ジャイアンツ 後編<徳光和夫が巨人に愛のムチ「岡本和真は勝負強い打者になってほしい」「中継ぎ投手が踏ん張りきれない」>を読む

【プロフィール】
徳光和夫 とくみつ・かずお 
1941年、東京都生まれ、神奈川県茅ヶ崎市在住。立教大学卒業後、1963年に日本テレビに入社。アナウンサーとして『ズームイン!!朝!』や『NTV紅白歌のベストテン』、プロレス中継などの多数番組で活躍。1989年、フリーアナウンサーに転身。現在まで、アナウンサーやタレントとして活動している。熱狂的な読売ジャイアンツファンで、「CLUB GIANTS」アンバサダーも務める。箱根駅伝好きでもあり、毎年、沿道で観戦している。