柏木陽介インタビュー(後編)


FC岐阜への熱い思いを秘める柏木陽介。photo by Kaz Photography/Getty Images

――現役生活を振り返って、後悔や、やり残したことはありませんか。

「やっぱり(J1で)リーグ優勝したかったですけど、あの(浦和レッズでの2016年の)年間勝ち点1位(チャンピオンシップ決勝で鹿島アントラーズに敗れ、年間優勝を逃した)は自分のなかではチャンピオンでいいかなと思っているので(笑)。あとは、J1で400試合(出場)までいきたかったなというくらいかな。

 周りの人たちからは『海外に行ってたらどうだったかな』とか、よく聞かれたりするけど、自分らしく生きてきたんで楽しかったし、これが柏木陽介というサッカー選手の生き方だったのかなと思っているので、本当に後悔はないです。

 ただ、満足したことも一回もなかった。みんなからは『いいプレーだったね』と言われても、常に自分に対しては納得しないまま、ここまでずっとやってきたんで。それが成長につながったというか、ここまで長くできた要因だと思っているし。これから(引退後に)いろんな活動をしていくと思いますけど、そこでも満足はしないんだろうなって思います」

――そうは言っても、個人的には柏木選手が海外でプレーするところや、ワールドカップのピッチに立つところも見たかったです。

「最終的に、『どうしても海外に行きたい』というところまでは(気持ちが)いかなかったかな。(日本)代表に入って試合に出させてもらっていた頃、やっぱりみんなの刺激を受けて、『あっちでやれば、いろんな意味で変われるんだろうな』ってすごく感じたのは事実です。でも、自分を厳しい環境に追い込んでプレッシャーを与えて、その結果、試合に出られなくなるより、やっぱり試合に出続けたいという気持ちが、結局は一番強かった。

 自分で決めたことなので、そこにまったく後悔はないけど、代表の話をすると、そこで(海外に)行けなかったから、やっぱり代表も(主力になるまでには)いけなかったねというところにつながってくるのかな、とは感じています。

 代表では、もうちょっと(試合に)出たかったなって思うし、自分のよさをたくさん出せた試合が少なかったなと思うから、そこに関しては少し(後悔が)あるかな」

――今後は、どういう形で岐阜と関わっていこうと考えているのですか。

「まだ何も決まっていないので、具体的なことを話すのは難しい。でも、クラブの中にいて、ここをこうしなきゃいけないなって思う部分はたくさんあります。

 たとえば、静岡県にはJクラブがたくさんあるけど、岐阜県にはサッカーのプロチームはFC岐阜しかない。一番いいポジションにいるわけだし、FC岐阜の選手たちがどれくらい地域に貢献しつつ、自分たちを知ってもらってファンを増やしていくか。そこが、すごく重要だと思っています。

 今でもサポーターは十分多いけど、たぶんもっと選手たちが何かやることでもっと盛り上がっていくはずだし、チームも、選手も、知ってもらうことがまた自分たちの"頑張れる"につながっていく。そういう循環を生み出すことを、まだ上手にできていないんじゃないかなと思っていて......」

――現役の選手たちにももっとやれることがある、と。

「たとえば、パートナーさんとクラブとのつながりも、(クラブの)営業さんが話をするだけじゃなくて、シーズンが終わった時に選手が直接会って、『今年もありがとうございました。またお願いします』と思いを伝えることがすごく重要だなと僕は感じています。今まで僕はそれを個人的にやらせてもらって、実際にFC岐阜を応援してくれる人がどんどん増えてきたなと感じるし、(現役の)選手たちがどんどん盛り上げていかないといけないなと思っています」

――そこに歯がゆさを感じる。

「歯がゆいですね。(クラブの)外だけじゃなくて、クラブの中でも、すべてのつながりをもっとうまく循環させていけたらいいのになと感じることは多いですね。

 大きなクラブはそこまでなかなか手が回らないのかもしれないけど、これから発展していくクラブにとっては、そこがすごく必要なことかなと思っていて。もっと現場と会社と地域と、その交流の循環を作っていけたら、もっともっとよくなると思います」

――たとえば、どんなことができるでしょうか。

「選手は午前中に練習したら、午後はフリーの時も多い。だったら、選手が小学校を1カ月に10校回って子どもたちと交流すれば、1年で120校回れる。それで選手を知ってもらって、サッカーを見てみたいと思う子どもが増えれば、お父さんやお母さんが、それなら連れて行ってあげようかってことになるかもしれない。

 FC岐阜には、まだまだ名前を知られていない選手がいるという現状があるなかで、そういう活動をしていくことで、応援してくれる人が増えるだろうし、プロの選手と直接触れ合うことで子どもに夢を与えるとか、逆に選手にとっては自分たちの価値を高めることにもつながる。そういうのは、めちゃくちゃ大事だなと思っています」

――言い換えれば、岐阜が持つポテンシャルを感じているということ。

「ポテンシャルしかないと思っています。岐阜が本当に住みやすくていいところだったから、僕もFC岐阜を通して本気で盛り上げようという気になったし、これまでいろんなことに取り組んできたなかで、出会った人たちが僕にたくさんの愛をくれた。だから僕もどんどん岐阜が好きになって、本気で岐阜のためにやりたいっていう気持ちが大きくなっていきました。

 今後、変えていけるところは変えていきたいし、地域との交流とか、そういうことをやっていくのが、僕の一番の仕事かなとは思っています」

――現役を引退したからこそできることがある。

「めちゃくちゃ多いんじゃないですかね。現役だったら、やっぱり練習があるし、サッカーが生活のベースになるけど、僕はもうそうじゃない。自分の特技って、人と会っていろんな会話をしていくことだと思っているから、それを全力でやれる環境になるのかな、と」

――大事なのは一方通行にならず、好循環を作ること。

「子どもたちと会うと、こっちもパワーをもらえますからね。パートナーさんも同じで、ちゃんと会って話をすると、個人的にも知識が増えるし、そういう時間はプラスでしかない。

 FC岐阜だけでなく、サッカー選手全体に言えますけど、選手としてサッカーだけやっていればいいという考えだと、人間として成長できない。現役生活が終わってから必要になることもあるし、人づきあいができないとうまくいかないよっていうのは、伝えていかないといけないと思っています。

 もちろん、サッカーは真剣に頑張らないといけない。だけど、そのなかでもできることってあるよ、ということですね」

――いつ頃からそういうことを考えるようになったのですか。

「僕は早い段階からやっていた気がしますけどね。僕の場合は、いろんな人と会って、ただただ楽しんでいただけですけど。人が好きだから自然にやっていたら、それが本当に大事なことなんだと気づいたというか......、だから、ある意味才能だと思います(笑)」

――今後の活動のなかで、これだけは成し遂げたいということを挙げるとしたら。

「う〜ん......、10年後、15年後にはJ1(昇格)っていうのを掲げていますけど......、ただJ1に上がるだけじゃなくて、その時にはFC岐阜と地域とがしっかりとつながっていて、(J1クラブに)なるべくしてなったよねと言えるくらい、それくらいみんなが応援してくれるようなクラブを作ることですね」

――今後、指導者になるつもりはないのですか。

「何も資格(指導者ライセンス)を持っていないし、取る気もないです。資格なしでできるなら、ちょっとやってみたいなとは思いますけど......、そこ(Jクラブの監督)にたどり着くまでにどれだけの時間がかかるのかなと思ってしまう。プロを指導するのではなく、定期的に高校や大学に行って、手助けできることがあるならやりたい、とは思いますけど」

――プロサッカー選手としての18年間のキャリアを振り返り、思い出に残る試合をひとつ挙げるとしたら?

「勝っても負けても試合をするのは楽しかったので、試合は全部が特別だったなと思います。これだけという試合はないし、すべてにおいていい経験をさせてもらったなという感覚しかない。だから、ひとつ選べと言われるとすごく難しい。

 でも、それは全部が楽しかったからだって、今は心から言えますね」

(おわり)

柏木陽介(かしわぎ・ようすけ)
1987年12月15日生まれ。兵庫県出身。サンフレッチェ広島ユースから2006年にトップチームに昇格。同年6月、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任して以降、レギュラーに定着した。2010年に浦和レッズに完全移籍。長年、チームの中心選手として活躍したが、2021シーズン開幕前にチームの規律違反によって退団。J3のFC岐阜に移籍し、2023シーズンを最後に現役から退いた。世代別の代表でも活躍し、2007年U−20W杯に出場。その後、A代表にも選出された。国際Aマッチ出場11試合、0得点。