審判員は「間違えた時は叩かれていい。ただ、いることが当たり前ではない」レフェリー歴16年・佐藤隆治の覚悟と想い
日本サッカー協会審判マネジャー
佐藤隆治インタビュー前編
今年のJリーグでもまた、いくつかの「なぜ」が生まれた。
なぜ、PKではなかったのか。
なぜ、オフサイドが見逃されたのか。
なぜ、レッドカードにならなかったのか──。
誤解を恐れずに言えば、「なぜ」の出発点は「思い込み」にある。
サッカーの判定には、グレーなプレーがある。ファウルともノーファウルとも受け取れるものだ。
テクノロジーが導入されても、灰色を真っ白にすることはできない。真っ黒にもできない。どちらとも取れるプレーがあるかぎり、疑義の生じる判定は、誤審は、起こりうるのだ。
プロフェッショナルレフェリーとして長年活躍した佐藤隆治氏 photo by AFLO
明らかなファウルが見逃された、というケースもある。これについても、テクノロジーの守備範囲を超えてしまう場合がある。VARと呼ばれるビデオ・アシスタント・レフェリーの映像は、ピッチ上のすべての事象を漏れなく、しかも明確に切り取るものではないのだ。
だからといって、審判員のミスが許されるわけではない。
「審判員はミスをしちゃいけないと思われているでしょうし、そうであるべきです。ひとつでもミスをしたら、批判されるのは宿命です。それが嫌ならば、やらないほうがいいのです」
こう語るのは佐藤隆治である。2007年から2022年までJリーグでレフェリーを務め、2009年から国際審判員としても活動した彼は、2023年から日本サッカー協会審判マネジャーVAR担当の職にある。
「VARが導入された時、『これで誤審がなくなる』という声を多く聞きました。さかのぼれば2006年のワールドカップ・ドイツ大会でコミュニケーションシステムがトップカテゴリーに入ってきて、それが日本で運用されるようになった時も、『これで誤審はなくなる』と言われました。
でも、フタを空けてみると、なくならない。『いったいどうなっているんだ?』と思った方が多いかもしれませんが、VARによって判定の精度は上がっても、誤審がゼロにはなりません」
JリーグのVARは、12台のカメラで運用されている。それに対して、プレミアリーグでは20台を超える。
では、イングランドで疑義を呼ぶ判定はないのか。
決してそうではない。
「疑義の生じる判定があれば、そこにはホームチーム、アウェーチーム、選手、監督、サポーター、それぞれの立場でそれぞれの感情がある。当然のことですが、事象に対する受け止め方は変わってくるので、『あの判定は間違っている』という批判の声が挙がるのは仕方がありません。
選手のみなさんだって、いつも応援してくれているサポーターから批判されることがある。批判されるのは審判員だけではないとわかっていますけれど、僕らは基本的に褒められることはありません」
SNSなどを使った誹謗中傷が、審判員へ向けられることがある。それが例外的でないのだ。殺人予告のような事案もあると聞く。
誰かひとりでもそのような脅迫を受ければ、ほかの審判員にも不安が広がる。審判員としての活動を続けることに、恐怖を覚えるに違いない。家族に反対されることもあるはずだ。
それでも、審判員が不足したことはない。審判員が揃わなかったことを理由として、Jリーグの試合が不成立となったことは、一度もないのである。
コロナ禍もそうだった。日本中が大きな感染の波に襲われても、J1、J2、J3のすべての試合が予定どおりに消化されていった。インフルエンザが全国的に流行した今夏も、審判員の不足を理由に試合が中止や順延に追い込まれることはなかった。
佐藤が言う。
「コロナ禍では試合当日の会場入りでも検温をしましたが、自覚症状がなくてもそこでポンと熱が上がってしまったら、その試合に必要な審判員が欠けてしまいます。審判員が感染者や濃厚接触者になってしまったので割り当てが変わる、ということはありましたが、試合が不成立にならなかったのは本当によかった。
チームはすでに到着している、上限はあるけれどサポーターも入っている、配信で楽しみにしている人がいる、という状況で中止になったら、感染対策をしながら集まっているみなさんを、ガッカリさせてしまうので。仕事をしながら審判員をしている人もいますし、家族と一緒に過ごしている人もいますので、本人だけでなく家族とか会社とか、たくさんの人たちがものすごく努力をしてくれた結果だと思います」
PRと呼ばれるプロフェッショナルレフェリーとして活動していた佐藤は、コロナ禍でも海外で笛を吹いた。渡航のたびに2週間の自主待機を繰り返し、その期間は年間3カ月分にも及んだ。
「僕はPRですから、自主待機も仕事でした。それが家族を守ることになり、Jリーグを守ることになりますので、当然のことでした」
20世紀のフットボールには、「ホームタウン・デシジョン」と呼ばれるものがあった。ホームチームに有利と見られる判定だ。テクノロジーが導入された現代では、もはや成立しないもののように理解されがちである。
佐藤も「必ずしもホームチームに有利に吹く、ということはありません」と語る。選手から「もうちょっと空気を読んで」とか、「そんな判定をしていたら、試合後にこのスタジアムから帰られないですよ」と言われたこともあった。PRとして「見たものを見たままに」を大原則としてきたが、試合後に自分のパフォーマンスを振り返ると、自らに問いかけたくなるジャッジがあった。
「6万人収容のスタジアムが、8割から9割までホームのサポーターで埋まったとします。だからといってホームチームに有利に、アウェイチームに不利に、などと考えるレフェリーはいませんが、サポーターからの応援や歓声は感じます。レフェリーもプレッシャーを受けます。
そのなかで、グレーなプレーの判定でプレッシャーが自分の判断に影響を与えていたのでは、とのちに考えることはありました。ひとつ前の自分がジャッジした事象でのサポーターのリアクション、選手からのプレッシャーが、次の判定に少なからず影響したかな、と思うことが。そういうこともあらかじめ差し引いて、ジャッジをするべきだと思っています」
Jリーグの野々村芳和チェアマンは、「サッカーはひとつの作品」と語る。主役はもちろん選手で、準主役はサポーターだろうか。
審判員は? 必要以上に目立つ立場ではないものの、欠くべからずキャストである。彼らがいることで、ピッチ上の秩序が保たれる。
佐藤は審判員として活動した当初を思い返し、「選手も、監督も、サポーターも、厳しさのなかに優しさを感じるようになってきました」と話す。そのうえで、審判員ならではの心情を明かす。
「間違えた時は叩かれていいのです。その一方で、試合が成立するためにはいなければいけない存在であり、いることが当たり前ではない。審判員はいろいろな思いを抱えて、覚悟を持って試合に臨んでいます。そこへの理解を少し持ってもらえると、もっと思いきってやれると思います」
疑義が生じなくても、拍手を浴びることは少ない。それが当然と受け止められる。批判はすぐに忍び寄り、賞賛はなかなか近づいてこない仕事を、佐藤はなぜプロ審判員として14年も続けることができたのだろう。
「トップカテゴリーのピッチには、限られた審判員しか立つことができません。だからこそ、ものすごいバッシングを受けたりもしますが、特別な場所で過ごす特別な時間は、かけがえのないものでした。感動、ドキドキ、緊張感、恐怖心も含めて、モチベーションになっていましたね。
現役の審判員には、『Jリーグのピッチは誰でも立てる場所じゃない。競争だよ、クオリティを上げなきゃだめだよ』と伝えています。『辞めたらもう、戻れない。だったら、今やることがある。そのための努力をしている?』と。それは、僕みたいに辞めた立場でなければ言えませんからね」
日本人審判員の、国際的な評価はどうなのだろう。佐藤は間を置かずに答える。
「AFC(アジアサッカー連盟)のなかでは、トップクラスだと思います。審判員だけでも25万人から26万人の登録があり、Jリーグに関われるのは百数十人で、そこに向かって各都道府県の4級審判員からJFAのカリキュラムに従ってピラミッド型に育成強化し、継続して一定水準のレフェリーを輩出できるのは、日本の強みだと思っています」
同時に、課題も認識している。
「今シーズンからアジアチャンピオンズリーグが秋春制になり、日本人の審判員が数多くそちらに呼ばれ、J1のシーズン終盤に国内で吹けないということがありました。それは国際的な評価の証(あかし)だと思いますが、だからワールドカップや五輪で吹けるというわけではない。国際レベルにまで突き抜けていく個を、どうやって輩出していくか」
国際的な経験を積めば、個は磨かれていく。ここで難しいのは、審判員には海外移籍がないことだ。協会同士の交流プログラムによる短期留学などを除けば、どこの国の審判員も自国のリーグを主戦場とする。
佐藤がうなずく。
「選手と同じようにプレミアリーグやブンデスリーガで経験できたら最高ですが、今のシステムでは無理です。そうすると、世界を肌で知ることができるのは、ワールドカップだろうと思います」
佐藤自身はワールドカップで笛を吹いたことがない。2018年のロシア大会は審判団に選出されたものの、4試合で第4審を務めるだけに終わった。次こそはとの決意で向かった2022年のカタール大会は、リスト入りすることができなかった。
「日本の審判員の育成や指導は世界で通用する、Jリーグで活動していればワールドカップでもできるんだということを、自分が経験したうえで発信したかったというのはあります。選手がこれだけ世界で活躍している状況を考えると、僕らも負けていられません。選手側と両輪になってレベルアップしていかないと、日本サッカー全体の成長にどこかでひずみが生じると思いますので」
疑義の生じる判定を、ひとつでも減らしていくために。
世界のトップレベルに立つ審判員を、輩出するために。
佐藤が属するJFAの審判委員会は、トップ審判員の育成と強化に力を注いでいく。
(後編につづく/文中敬称略)
◆佐藤隆治・後編>>Jリ−ガー5人をレフェリー視点で厳選「拍手したいくらいのFK」
【profile】
佐藤隆治(さとう・りゅうじ)
1977年4月16日生まれ、愛知県名古屋市出身。愛知・一宮高〜筑波大までサッカーを続け、2002年に上川徹氏の講演を聞いてレフェリーの道へ。2004年に1級審判員に登録され、2007年からJリーグで笛を吹く。2009年より国際審判員・プロフェッショナルレフェリーに登録され、2018年ロシアW杯・クラブW杯の担当審判員に選出された。2018年と2022年にJリーグの最優秀主審賞を受賞。2022年にトップリーグ担当審判員から勇退。Jリーグ主審通算400試合。