2022年10月に再始動を発表したGalileo Galileiが7年ぶりとなるニューアルバム『Bee and The Whales』を完成させた。

個人的に、Galileo Galileiというバンドは日本の音楽シーンにおいて同世代や下の世代に対する影響力が最も大きなバンドのひとつだと思っていて、それまで主に日本の音楽を聴いていたリスナーが、彼らの影響で海外の音楽にも興味を持ち、自らも音楽を始めたという話を何度となく耳にしている。かつて憧れたBUMP OF CHICKENのような存在に、彼ら自身がなっていると言っても過言ではないはずだ。

そして、彼らが熱い支持を集めているもうひとつの理由が、「閃光ライオット」でグランプリを獲得し、10代でデビューして以降、作品や活動を通じてその成長記録を見せてきたことであり、『Bee and The Whales』には30代となって、家族を持ったメンバー4人の人生観が多彩なサウンドメイクとともに色濃く刻まれている。本作もまた、あなたの人生にとっての映し鏡となるような作品であることは間違いない。尾崎雄貴と岩井郁人に話を聞いた。

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―Galileo Galilei(以下、ガリレオ)の再始動はもちろん昔からのファンの人たちがすごく喜んだっていうのがありつつ、ミュージシャンたちもすごく喜んだ印象があって。近年20代のバンドの取材をするときに、ルーツとしてガリレオの名前が出ることがすごく多いんですよね。一昔前だとそれこそバンプとかアジカンが多かったんだけど、いつからかガリレオの割合がすごく増えた。「それまでJ-POPやJ-ROCKを聴いてたんだけど、ガリレオを好きになって、そこから海外の音楽も聴くようになった」みたいな人がたくさんいると感じているんですけど、本人たちとしてはその自覚ってありますか?

尾崎:そう言ってもらえるのはめっちゃ嬉しいです。自覚は多少あるというか、例えば、Hump BackのベースのぴかさんがBBHFで対バンしたときに、「私ガリレオと対バンするのが夢なんです」って言ってくれたり、僕ら年下との対バンはBBHFでやってたので、その都度「ガリレオめっちゃ好きでした」って、素直に言ってくれることがどんどん増えてきて。あとはラジオ局とかレーベルとかもそうですけど、ある程度自分でいろんなプロジェクトを動かせる役職になってきた人たちが、「実はガリレオ好きだったんです」って言ってるのを人づてに聞いたりとか。さっき言っていただいた海外の音楽に関しては、僕はブログでめっちゃ尖りながらも「聞けよ」みたいな感じで、めちゃくちゃ発信してたので、それがいま実ってるんだとしたら、それは一番嬉しいかもしれない。

岩井:7年間沈黙してたとはいえ、自分らがまいていた種が実は少しずつ芽を出してたみたいなのは、再始動してからより思いました。

―さっきのブログの話の通り、「自分たちが違う世界への扉になれたら」みたいな意識はもともと持っていたわけですか?

尾崎:そうですね。当時一番思ってたのが、自分たちがメジャーでやっていく中で、レーベルの大人たちが言う意見と、僕ら自身が本当に影響を受けたり、憧れてるものがどんどん分離するような空気があったんですよね。当時10代のイギリスのバンドがバーって出てきた時期があったと思うんですけど、それに対して同世代として感化されながらも憧れて、ずっと追いかけてきたので、同じことがいつか日本でも起こったらいいなっていうのはずっと思っていて。そこで自分たちがすごい存在になりたいとかは全くなくて、単純に日本でも若い世代がいきなりアートなことをかっこいいものとしてやり始めるシーンが生まれたらいいなと思ってたんです。だから当時は洋楽を聴いてないファンの人にも押し付けてたというか、ライブでカバーしたりもして、僕らを通して「何か好きかもな」って思ってくれる人がいたらいいなとは思ってたんですけど、でも芽吹くとは思ってなかったというか、ちょっと懐疑的ではあったので、さっきの話はすごくうれしくて。今度の「閃光ライオット」もすでに応募がたくさん来てるらしくて、その中から今後の日本の音楽シーンをより美しいものにしてくれる、小さい輝きがパパパッて生まれる瞬間を、単純に自分も一リスナーとして見てみたいです。

―岩井くんは比較的初期の段階でガリレオを一回抜けてるわけで、ある意味客観的にガリレオを見てきた立場とも言えるかなと思うんですけど、ガリレオの日本の音楽シーンの中における立ち位置をどのように見ていましたか?

岩井:それで言うと、自分が一番最初にガリレオがまいた種の芽吹きとなれたらなと思って、FOLKSを立ち上げたところがありました。『PORTAL』を作った後に脱退したんですけど、ガリレオをやっていく中で僕の中に蓄積されていった音楽の答えとは別の答えを自分なりに出してみたいっていうところがあったんです。それでもずっとガリレオのことは意識してたし、最後の武道館公演もFOLKSのメンバー全員で行ったし、だから再始動を発表したときのリスナーの気持ちであったり、先ほどおっしゃったようなミュージシャンたちの気持ちが、きっとメンバーの中では一番わかるんじゃないかなと思います。

―当然今回のアルバムを待ち望んでいたリスナーやミュージシャンのファンも多かったでしょうね。

尾崎:ただこのアルバム自体は外側のことはなにも考えないで作ったアルバムなんです。

岩井:インターネットの接続を切って、オフライン状態みたいな感じ。

尾崎:メンバー内では映画とか漫画とかアニメとか本とかをすごく共有してて、例えば、一時期僕が戦争映画にめっちゃはまった時期があって、それを知ったベースの岡崎くんが移動の飛行機で戦争映画を見てくれたり、誰かが「いいよ」って紹介したやつをお互いに見たりするんですよ。そういうイメージの蓄積がそれぞれあって、それで音楽も作れちゃうから、スマホもYouTubeもいらないんですよね。ミックスの段階では、単純にサウンドリファレンスとして、いろんなアーティストの音源を聴いたりして、「The 1975のドラムの音はなんでこんなにラウドなんだろう?」と思って、僕ら一回マイク・クロッシーとやってるから、当時の僕らのパラデータを開いて、聴き比べてみたり、そういう技術的な部分はネットの力を借りましたけど、それ以外はひたすら4人だけで粛々と制作をしてました。

岩井:ディレクターもプロデューサーもいないし、ミックスでクリストファー・チューには協力してもらったけど、制作の段階では4人以外いなくて、他の人からは誰も何も言われてないっていう。

―「アルバムの青写真」みたいなものはどの程度ありましたか?

尾崎:あまりなかったんですけど、『Bee and The Whales』っていうタイトルだけはありました。昔のガリレオと今のガリレオの違いを考えたときに、当時は自分のこと以外考える必要はなくて、自分と自分がやってる音楽やバンドを守ることだけ考えてれば生きていけたんですけど、今の僕らには家族ができて、守るべきものが音楽とは別にもうひとつあるんですよね。でも僕はそれが今のガリレオのメンバー同士が繋がれる強みだと思っていて、実際音楽にもそれが出てることもあって。なので、それを表現できないかなと思ったときに、僕ミツバチが好きなんですけど、プーンってハチさんが飛んでるのを、4匹のクジラが口を開けて見てるみたいなイメージが湧いて、まずツアータイトルに決めちゃって、「アルバム名もこれでしょ」って。

―一枚絵のイメージがパンッと湧いたと。

尾崎:そうですね。あとは業界とかシーンっていう感じでもなく、音楽っていう大きな海があって、くじらもめちゃめちゃ巨大だけど、でも海の中だとすごいちっぽけで。いろんな音楽に対して喜びもあるけど、畏怖というか、ちょっと怖くなるときもあるんですよね。「なんてでけえんだ」みたいな、それとずっと対峙してきてる気がするので、そういうイメージもあったりします。

岩井:タイトルが決まったことによって、何か共通の、目には見えないけど、概念みたいなものが4人の上にずっとあって、それにある種動かされてるじゃないけど、雄貴がそれを名付けたことにより、それが旗となって、そこに向かって無意識的に動いてたっていうのがもしかしたらある感じはします。

尾崎:今回のアートワークは「油絵やってみようぜ」ってなって、『Bee and The Whales』っていうタイトルについていちいち説明せずに、それぞれのイメージで1枚ずつ描いたものなんです。今回の制作は音楽作り以外の部分でもいろんなことがあって、みんなで絵具やでっかいキャンバスを買いに行ったのもそうだし、今まではアルバム制作に入ったら間に別のイベントを入れることはあんまりなかったけど、今回は「THE FIRST TAKE」に出たのも結構刺激になったんですよ。

―岩井くんにとっては今回の制作期間中で特に印象に残ってたり、インスピレーション源になったような出来事はありましたか?

岩井:本当にこのメンバーでいたら楽しいなと思う瞬間が何度もあって、ひとつ挙げるのは難しいんですけど……「今日いい感じになったし、飲みに行くか」みたいな感じで、メンバーで飲みに行って、その後カラオケ行ってぶっ潰れるみたいなことって、この年齢になったらなかなかできることじゃないじゃないですか。

尾崎:奥さんに怒られるよね(笑)。

岩井:でもそれがこのメンバーだとできちゃう。「精神と時の部屋」じゃないけど、ここだけは流れがちょっとおかしいみたいなことが何度もあったからこそ、終わって欲しくなかったし、本当にバンドは絶妙のバランスで成り立ってる集合体で、みんないろんな形の活動をしてきたからこそ、その喜びがどれだけすごいものなのかっていうのは……お互いそれを話したりはしないけど、日々感じ合ってるっていうのはありますね。

―ガリレオとしては今回再始動なわけですけど、メンバー4人はBBHFやWarbearでも活動をともにしてきたわけで、すでに土台がしっかりできてる感じがありますよね。その意味で言うと、制作の方法自体もこれまでの延長線上にあるというか、ガリレオになったからと言って特別制作の方法に変化があったわけではない?

尾崎:たしかにBBHFとかでも結局岩井くんがプロデューサーみたいな形で一緒にやったりしてたわけですけど……でも全然違うなって気はしますね。前はずっと孤独感との戦いだったというか、メンバーがいたとしても、最後に自分がメロディーと歌詞を同時に入れるっていうのもあって、結局一人だったんですよね。でも今回は孤独感がなくて、このアルバムを改めて自分で聴き返したときに、不思議な力が宿ったなと思ってるところがあるんですけど、それを作れたのはたぶん制作の雰囲気とプロセスが変わったからじゃないかなと思う。何が変わったかっていうとすごく細かい話になっちゃうんですけど、でも結構違うなと思います。BBHFともWarbearとも前のガリレオとも。



―岩井くんはBBHFのときとは「メンバーかメンバーじゃないか」みたいな違いもあると言えばあるし、そういう意味での立ち位置の違いとか関わり方の違いもあるのかなという気はしますが、実際どうでしたか?

岩井:これまで「正式メンバーじゃないから」みたいなところで制限をかけていたつもりは全くないですけど、でも名前はめっちゃ大事だなと思います。ガリレオのメンバーなんだっていうことによって、言葉にするのは難しいけど、すごく複雑な、細かい違いみたいなのが重なり続けて、変化に繋がってるんだろうなって。自分の我みたいなものが入りすぎると、聴き返さないことも多いんですけど、さっき「不思議な力が働いてる」っていう話もあったように、今回は自分で作ったものなんだけど、自分で作りすぎてないものな気がしてるから、不思議とちゃんと聴き返すことができて、それは初めての体験で、新鮮ですね。あとBBHFで一緒にアルバムを作った後に、自分でソロアルバムを作ってるんですよ。それは個人的にでかいです。岩井郁人のソロってものがあることによって、雄貴や和樹や真輝くんとの向き合い方が変わった感じがします。

―自分としてのアウトプットがひとつあったことによって、「このバンドに自分を入れてやるんだ」みたいな、それこそ変な意味での我がなくなったというか。

岩井:変なエゴはそっちで、オナニーはそっちで済んだ感じなんですよ。でもそうじゃなくて、仲間との繋がりの中で生まれるコミュニケーションの喜びみたいなのが今はあるから、そこは大きな違いだと思います。それが両立できなかったというか、同居できなかったんですけど、今はそんなことがないっていう。言語化するのはものすごく難しいですけど、細かい違いの積み重ねによって、今は奇跡的なバランスなんだろうなと改めて思いますね。

―具体的な曲についても聞かせてもらうと、まずはアルバムの始まりを告げる一曲目の「ヘイヘイ」が非常に印象的でした。

尾崎:「ヘイヘイ」はクモの糸の中でワーッてもがいてるような、二日酔いの状態でワーッてやってる中で、パッとそこから抜けたみたいな、そういう瞬間を作りたいなと思って、結果的にそこがすごく好きな箇所になったので、ライブでやるときもきっと楽しいだろうなって。たくさんギターを重ねて作ったので、その行為はただただ楽しかったです。ビットクラッシャーっていう、8bitっぽくするやつをめちゃくちゃかけて、それが後ろでずっと鳴ってたり、結構いろんなことをやってます。

―ジャンルで語るのは違うかなと思いつつ、今の8bitサウンドの話とか、ハイパーポップがサウンドを作るにあたってのリファレンスになったりとか、そういう部分も今回あったりしますか?

尾崎:「ハイパーポップ」っていう言葉を初めて聞いたぐらいの感じなんで……なんだろうな、ある段階から音楽の研究の仕方が変わった気がしてて。

岩井:「音楽を音楽に変換する」みたいなことがものすごく少なくなりました。

尾崎:そうだね。そのまんまっていうのがなくなったかも。

岩井:さっき雄貴が言ったように、別のイメージを音楽に変換するときの手段として、「これはビットクラッシャーだね」とか「これはフランジャーだね」とか「これは90年代っぽいビートだね」とか、そういうことが行われ続けた結果、いろんなものが混ざりやすかったというか。音楽を参照点にしてそれを音楽に変換してもそれでしかないから、混ざり合いづらいんだけど、別のものを転換することによって、「水と油的なものが混ざり合う」みたいなことが不思議と起きた気がします。

尾崎:「ヘイヘイ」のストリングスもディズニーランドとかにいる錆び付いたロボットがストリングスを弾いてるイメージで、だからピッチを若干落としたりして、それが結果的に「これめっちゃビートルズっぽいじゃん」とかってなることはもちろんあるんですけど、それはそれで単純に嬉しいというか。あと僕らよくやるのが、好きな映画の予告編とか、なにか映像を見ながら曲をアレンジするっていうことはよくやります。うちにプロジェクターがあって、海の映像とかを投影した中で音楽を作ったときと、普通にいつもの部屋で作るときとは全然雰囲気が違って、そういう面白さも今回の制作ではありました。

―「愛なき世界」はタイトルや歌詞も含めてくるりトリビュートみたいな側面があるけど、フィールドレコーディング的なものも含めて旅の風景を想像させる曲になっていて、これもやはりそういうイメージを曲にしたのでしょうか?

尾崎:そうですね。僕アイデアが全く湧かないときによくやるのが、船がずっと海を進んでる定点の映像とか、電車の車窓から見える風景をずっと撮ってる映像とかを流すんです。そうすると、移動してるときに音楽を聴くのと、止まってるときに音楽を聴くのは全然違うように、何か推進力が生まれるときがあって。「愛なき世界」は電車の映像を使って書いてたら、謎にくるりっぽくなってきたので、「これはくるりに敬意を示そう」となって、こういう曲になりました。

―岸田さんと言えばやっぱり電車ですもんね。くるりというバンドも時期ごとに編成を変えながら活動を続けていて、どこか常に抗っている部分があるというか、そういうところはガリレオであり、尾崎くんのこれまでの活動ともシンクロする部分があるように思います。

尾崎:僕はこれまでそういう姿を見て、そこに勇気をもらってきてるから、自分もそういう風に振舞ったりできるのかなと思っていて。くるりだったり、the pillows、スーパーカー、バンプもそうですけど、彼らのもがいてたりする姿が僕には一番かっこよく見えて、僕もそうありたいと思わせてもらえたので、どのバンドも心から尊敬してます。

―歌詞の面で言うと、今回「真っ当な人生」という言葉がキーフレーズになっている印象があります。「ファーザー」と、最後の「あそぼ」にもこの言葉が出てきて、今回のアルバム制作は自分の人生をもう一度振り返るような制作だったような気もして、その中で「真っ当な人生」という言葉がキーワード的に浮かび上がってきたのかなと思ったのですが、いかがでしょうか?

尾崎:真っ当な人生っていうのが、自分が手にしたいものでもあるし、今手にしてるものなんじゃないかなと思うし、単に「君は今どんな人生ですか?」って聞かれたら、「真っ当な人生」って答えるなと思って。この言葉がアルバムのテーマだとは考えてないですけど、人生について考えることがすごく増えたので、重要な言葉なのは確かだと思います。

―「ファーザー」が象徴するように、父親になったことも最近の尾崎くんの曲の中ではかなりモチーフになってるし、やっぱり家族や人生が間違いなくひとつの大きなテーマにはなってるなって。

尾崎:僕らそれぞれが父親との間にいろんな感情を抱えていて、それこそお酒飲んでるときとか、制作中でも、ふと父親の話をしてることがあって、それはいわゆる父親自慢みたいな話ではなく、「父親とこういうことがあったんだけど、こういうことなのかな」みたいな話。自分が父親になったっていうのもあるし、結局男性にとって、父親は死ぬまでずっとちらついちゃうというか、謎の裏テーマとしてずっとちらついちゃうものなのかなって。

岩井:これは僕だけかもしれないけど、音楽を作ることで、自分自身の成長を感じられることがものすごく多くて、しかもこのメンバーで音楽を作ってるときにそれがより顕著なんですよね。音楽を作る中で起こるコミュニケーションだったり、制作の合間でちょっとした相談をしたり、昨日も取材が終わった後に2人で飲みに行って、父親としての話をしたりして、それを音楽に落とし込むことで、自分が成長していってるのを感じられる。音楽と対話をして、自分の人生観もアップデートされて、成長していってるのがすごく好きだし、そういうミュージシャンでずっとあり続けたいと思ってます。僕過去に戻りたいとかって全く思わないんですよ。

尾崎:それもよく話すよね。みんな同じでした。僕ら4人は過去に戻れるボタンがあっても絶対押さないって。

岩井:自分の人生に対して誠実でありたいし、年を取ることの楽しさをすごく感じてるので、十代に戻りたいとか全く思わないし、それを描き続けていく喜びみたいなのを現に感じてるので……すごく真っ当な人生だなって(笑)。

―最初にファンだけじゃなくて音楽を作ってる人もガリレオの再始動を喜んだっていう話をしたけど、もちろんガリレオの音楽自体が好き、洋楽への入口になったっていうのもありつつ、やっぱり成長を見せてくれる存在でもあって、自分の人生とともにある存在としてガリレオを見てるからこそ、思い入れの強い人が多いんだろうなって。

尾崎:相当恥ずかしい、とんがったところとか、とんがってるのに全然できてない姿とか、ファンにずっと見せ続けてきてますからね、ガリレオに関しては特に。レーベルの人の悪口ツイートしてるのとかもファンは見てるし、ネットに「こいつやばいぞ。レーベルから見放されるんじゃないか」みたいなこと書かれたりとかしてるのも僕見てるし。10代でデビューして、稚内を出てからずっと、恥ずかしいところほぼ全部見られてるから、そこからはその成長記録しかないというか。僕らのファンはそういうことも含めて、「ガリレオだから仕方ないよね」って言ってくれる人たちが結局今残ってくれてるんで、これからもそうなんじゃないかなって。甘えとかじゃなくて、甘く厳しいみたいな関係性というか。僕らも何回も裏切ってるし、それでも今があるのは、そういう関係性なんじゃないかなって。

―最後にもうひとつ、尾崎くんのアルバムに対するコメントの中で「BBHFは一人のミュージシャンとして”生業”と捉えてたけど、ガリレオはそうじゃなくて、でもまだそれを言葉にはできない」みたいな記述があったと思うんですけど、アルバムを作り終えて、客観的に聴いたうえで、今ガリレオという存在を言葉にするなら、どんな言葉になりますか?

尾崎:かっこいい言葉で言うと、「生きざま」なのかなって思います。生業とかでもないし、手法でもないし。ガリレオのイメージには似合わないですけどね。花山薫みたいだし(笑)。

―いやでも曲には人間臭さがあるから、すごくしっくりきます。

尾崎:はい、生きざまだと思います。

<リリース情報>



Galileo Galilei
『Bee and The Whales』
2023年5月31日(水)リリース
=収録曲=
1. ヘイヘイ
2. 死んでくれ
3. 色彩
4. ノーキャスト
5. ピーターへ愛を込めて
6. ファーザー
7. I Like You
8. 汐
9. 君の季節
10. 愛なき世界
11. Bee and The Whales
12. ギターバッグ
13. 花束と水晶
14. あそぼ

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