キヤノン御手洗氏が「あわや取締役を退任」の衝撃
御手洗会長兼社長はこれまでに社長の座を譲った時期があるものの、取締役は1981年からずっと務めてきた(撮影:尾形文繁)
一歩間違えば、そのまま取締役を退任――。そのような事態に見舞われたのは、キヤノンの会長兼社長CEO(最高経営責任者)である御手洗冨士夫氏だ。事が起きたのは、2023年3月30日の定時株主総会だった。
キヤノン取締役の任期は1年。そのため毎年3月の定時総会で取締役の選任・再任が議案として諮られる。選任・再任されるには、株主の過半数の賛成を得ないといけない。
ところが、今年の総会での御手洗氏再任に対する賛成率は50.59%。ぎりぎりの再任となった。御手洗氏は1981年から取締役を務めているだけに驚きは大きい。証券アナリストからも、「もし再任されていなかったら株価への影響などどうなっていたのだろう」と戸惑いの声が聞こえる。
昨年から賛成率低下の兆候
足元のキヤノンの業績に不安はない。医療機器や監視カメラ、半導体露光装置などが好調で、2022年12月期は5年ぶりに売上高が4兆円を超えた。コロナ禍で引き下げた配当も、以前の水準に向けて増配が続く。株式指標も大きな問題があるようにはみえない。
御手洗氏再任への賛成率が低くなった原因として考えられるのは、「取締役の多様性の欠如」だ。キヤノンは社内外どちらの取締役も男性のみのため、女性の不在を問題視した株主が再任に反対票を投じたとみられる。2022年の総会から、実はその傾向があった。
社外取締役を含めてキヤノンの取締役は5人。その選任・再任に対する賛成率は2022年から低下していた。なかでも御手洗氏の賛成率は、2021年までは約90%だったのが2022年には75%に急低下した。ほかの取締役も賛成率が下がっている。
株主の中でも影響力を持つ機関投資家の賛否を公表資料に基づいて調べた。2022年の総会では、国内の機関投資家のほとんどが御手洗氏の再任に賛成していた。それに対して海外勢は、反対が目立つ。確認できた反対理由のすべてが「取締役の多様性の欠如」だった。
今年は、議決権を行使する(総会で賛否を投じる)機関投資家に助言を行う会社も、女性取締役の不在を問題視した。大手助言会社として知られる2社のうち、アメリカのISSは御手洗氏の再任に反対することを推奨。昨年までの賛成推奨から一変した。
キヤノンにすると「結果としての不在」
キヤノンは御手洗氏の賛成率が50.59%だったことについて、「各投資家の議決権行使結果を確認したうえで、株主との対話をより一層丁寧に行い、当社の経営に対するご理解を得られるように取り組んでいきたいと考えています」とコメントする。
女性取締役の不在が原因だったかについては、精査のための時間を要する。だがキヤノンによれば、直近1年間は女性取締役の不在について機関投資家から指摘されることが増えていた。その際には取締役選任の考え方について説明をしてきたという。
キヤノンは1937年の創業当時から、出自、性別、学歴といった属性に基づかず、「実力主義」に基づく人材登用を行ってきたと謳う。大企業にありがちな学閥なども存在しない。
取締役の選出母体となる執行役員は、社内の「経営塾」で学んだ上級管理職の中から、外部有識者による講評と人事評価によって選ばれる。ここでも前提となるのは実力主義だ。
なお執行役員には現在、女性や外国籍の者もいる。経営課題について議論する経営戦略会議にも女性の執行役員が含まれ、多様性は担保されているとする。
しかし差別はないと訴えても、女性取締役の不在自体を問題視する株主には響かない。アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)として、欧米を中心に女性が半ば強制的に登用される場面も増えている。「結果としての女性不在」だとしても看過されなくなっているのかもしれない。
市場ではすでにコンセンサス
「均質なメンバーの取締役会では、大きく変化する事業環境に今後対応できないという認識は、株主、企業ともに同じではないか。多様性の観点で女性取締役の存在は重要、ということは日本においてもコンセンサスになっている」
そう話すのは、コーポレートガバナンスに詳しい高山与志子氏だ。IR・ガバナンスのコンサル会社のジェイ・ユーラス・アイアールで副会長を務める。金融庁の有識者会議メンバーとして、コーポレートガバナンス・コードなどの改訂作業に携わった経験も持つ。
高山氏のいう「コンセンサス」は確かに得られているようだ。国内の主要機関投資家のほとんどは、東証プライム市場上場の企業に対し「女性取締役が存在しない場合、代表取締役の選任に反対する」という基準を採用している。このような基準を採用する機関投資家は、2023年に入ってぐっと増えた。
また2022年の時点で、東証プライム市場上場企業の77%に女性取締役がいる。「女性取締役ゼロ」の企業は、プライム市場ですでに少数派だ。そのことから機関投資家は、「自信を持って基準どおりに賛否を判断しているのではないか」と高山氏はみる。
女性取締役の選任を要請しても、現在の日本企業は十分対応できる。機関投資家はそう判断しているというわけだ。もちろん、アリバイ作りのように女性取締役を入れるだけで終わってしまえば、それは問題だ。
機関投資家への「警鐘」
一方、今回の御手洗氏再任に対する低い賛成率を、機関投資家自身への「警鐘」と捉えるのは、りそなアセットマネジメントの松原稔執行役員だ。りそなグループ傘下で44兆円の運用資産残高を抱える同社は、主要国内機関投資家の1社に数えられる。
多様性の確保や環境問題への取り組み、ガバナンスといった非財務情報に対する評価は、業績や株価などに比べると難しい。結果として、賛否の割れるケースが増えていくとみられる。それゆえに、機関投資家の判断が企業に与える影響は大きくなる。
「議決権行使の重みが増す中、行使基準に基づいて形式的に判断するだけではいけない。対話を通じ、企業の取り組みや目指す方向性についての深い理解が求められる」(松原氏)。行使基準の明確化が求められる一方、行使の重みは増している。その狭間で機関投資家も悩んでいる。
3月期決算の多い日本企業は、6月に総会シーズンを迎える。日本でも有数の著名経営者に突きつけられた50.59%という賛成率をどうみるか。ほかの企業や株主にとっても他人事ではないはずだ。
(吉野 月華 : 東洋経済 記者)
(梅垣 勇人 : 東洋経済 記者)