「あの時、私…」元妻と1年ぶりに再会。彼女が離婚当時のことを語り始め、男はつい…
スマートウォッチが全盛の今、あえてアナログな高級時計を身につける男たちがいる。
世に言う、富裕層と呼ばれる高ステータスな男たちだ。
ときに権力を誇示するため、ときに資産性を見込んで、ときに芸術作品として、彼らは時計を愛でる。
ハイスペックな男にとって時計は、価値観や生き様を表す重要なアイテムなのだ。
この物語は、高級時計を持つ様々な男たちの人生譚である。
▶前回：「1万円で足りるかな？」飲み会で必ずタクシー代を女性に渡す男。ある日、それを断られて…
Vol.13 外資系コンサル・浩二（38歳）の後悔
『おはよ、朝ごはんいつものでいい？』
優美の声で、僕は、キングサイズのベッドから飛び起きた。
― なんだ、夢だったか…。
別れた妻が、キッチンで朝食を作る夢を見たのだ。
元妻である優美の夢を見たことに動揺しつつも、目を覚ますために、熱いシャワーを浴びる。
風呂上がりにミネラルウォーターをグラスに注ぐと、優美の趣味で新婚当初に購入したBoConceptのソファに腰かけた。
― あんなに幸せだったのに、なんで離婚を選んでしまったのか…。
離婚して1年が経ち、日に日に「あんなにいい妻だったのに」と後悔の念が募る。
優美と共同名義で購入した豊洲の3LDKのタワーマンションに住んでいると、今でもふっと彼女が帰ってきそうな気がしてしまう。
僕の結婚生活は、6年目で崩壊した。
元妻は、大手PR会社のマネージャーを務めていた。仕事もバリバリこなし、美容に運動にファッションに、と手を抜かず、常に“完璧”を求める女性だった。
夫婦生活にも“完璧”を求めすぎる妻に疲れた僕は、思わず外に安らぎを求め、若い女に走ってしまったのだ。
不信感が募った優美が僕のスマホを勝手に見て、「もう、信用ができない」と、突然離婚を告げ去っていった。
『ブーブー』
書斎で仕事をしていると、スマホが振動する。
確認すると、1本のショートメールが入っていた。
― 優美？なんで？
『優美：マンション売れたって不動産屋さんから連絡が来たわ。話したいことがあって、久しぶりに食事でもしない？』
― 今日の夢は、優美から連絡がくる予知夢だったのかな…。
優美からの1年ぶりの連絡に内心テンションが上がり、僕は、すぐに返信する。
『浩二：いいよ、金曜日だったら俺も早く仕事終わらせるよ。好きそうなレストラン予約しておく』
離婚後、何度か優美に連絡したが、すべて無視されてきた。
ついに、1年の空白を経て優美と再会をすることになったのだ。
◆
約束の金曜日。
僕は早めに仕事を切り上げた。
そして、書斎の引き出しから、無造作にしまっていた妻との思い出の時計を取り出した。
― この時計を見ると、仲良かった頃を思い出すな…。
『ジャガー・ルクルト レベルソ・クラシック デュオ・スモールセコンド』
これを購入したのは、結婚2年目のクリスマス。優美に銀座のブティックへ連れて行かれ、ペアで購入した。
時計史に名を残すブランドである、ジャガー・ルクルトの傑作「レベルソ」は、1931年に誕生した。
クラシックなスクエアのデザイン。そして、ケースをスライドさせると文字盤が180度反転し、違う表情のフェイスが現れる、独創的な時計なのだ。
レベルソのケースの反転機構は、ポロ競技にも耐えられる時計として開発されたのが起源だ。
アールデコ様式を取り入れたクラシカルで繊細なデザインで、まさしく“エレガント”で優美にぴったりの時計だった。
― 今日はこの時計を着けていこう。
僕は、白いアラビア文字の文字盤にして着け、優美との再会の場所へと向かった。
タクシーで豊洲から20分。
竹芝駅近くのホテル、メズム東京の中にあるレストラン、『シェフズ・シアター』に到着する。
流行に敏感で、新しくできたトレンドの店が好きだった優美のために、同僚に教えてもらった特別な店を予約した。
緊張の面持ちで窓際の席で待っていると、入り口から黒いワンピースにエルメスのケリーバッグを持った女性が歩いてきた。
…カツカツカツ。
― 優美だ。なんか結婚していた時より綺麗になったな。相変わらず見た目も、装いも隙が無い。
「浩二、元気にしてた？」
「うん。そっちは？」
僕は、久しぶりの再会に緊張しながらも、赤ワインを注文した。
仕事の近況報告をし合い、コース料理がメインに差し掛かった時だった。僕は意を決して、離婚してからの赤裸々な思いを優美に打ち明けた。
「…俺、正直、優美と別れたことを後悔してる。俺は完璧な夫じゃなかったけど、もし、やり直せるなら…」
グラスに赤ワインが注がれると、優美は複雑な表情で僕の目をじっと見つめてきた。
「…私、再婚しようと思うの」
僕は優美の突然の告白にショックをうけた。早すぎるその再婚に戸惑いを隠せない。
「そうなんだ…。まさかだとは思うけど、結婚生活とはかぶってはいないよね？」
「違うわ。でも、あなたとの結婚生活に悩んでいた時、支えてくれた人なの」
― 俺といた時に、既に新しい男と会っていたってことか…。
その時、優美の腕に光る、ダイヤモンドが散りばめられた時計に気づいた。
ペアで購入したクラシックなレベルソとは違い、華やかな時計だ。
「優美、新しい時計買ったんだね…」
「そうよ。あなたこそ、…まだその時計着けているの？」
優美は僕の左腕のレベルソを見て言った。
「私、離婚してから思ったの。浮気してしまったのは、私にも原因があったのかもしれないって…」
僕が最も思い出したくない思い出が蘇る。
「…ごめん。彼女とは、あれから一度も会ってないよ。本当に後悔してる…」
「…まぁ、今となっては、どうでもいいけど」
僕は、彼女の新しい時計を見て、彼女の気持ちはもう別の人の所へ向いていると悟った。
「今日はこの辺で失礼するね、私、この後ちょっと予定があって…浩二もこれから、仕事がんばってね」
優美は、はっきりとした口調で「さようなら」と言い、去っていった。
彼女の後ろ姿は、もう前を向いている、と物語るかのように力強い足取りだった。
僕が、支払いを済ませ店を出ると、ホテルの前の通りに黒塗りのベンツが停車していた。
優美は、笑顔で手を振って、その車に駆け寄り、乗り込んだ。
停車中の車内をのぞき込むとスーツを着た男と目が合った。
― どこかで見たことあるな…。
記憶をたどっていると、車は颯爽と優美を乗せて消えていった。
僕は、ふと、昔優美から紹介された男の顔が思い浮かんだ。
― あの男は、結婚式で「唯一の男友達なの」と、紹介された、大手IT企業の役員の男だ。
僕は、優美との共通の友人に『優美の彼氏って何者か知ってる？』と連絡を取った。すると、すぐ返信が来た。
『優美から再婚のこと、聞いちゃった？彼、すごくいい人みたいだよ』
『…そうなんだ、教えてくれてありがとう』
― さすが優美の選ぶ相手だ。あの新しい時計もあの男からのプレゼントだろう。
あまりに完璧すぎる再婚相手と、優美の変わり身の早さに、僕は「恐れ入った」という気持ちになった。
僕は、傷心のままタクシーを捕まえ乗り込んだ。
運転手に「豊洲方面までお願いします。あの、レインボーブリッジ通ってもらえますか？」と伝える。
今日は、遠回りして豊洲まで帰ることにした。
タクシーの車窓越しに流れていく、湾岸エリアの夜景が僕の胸を締めつける。
結婚当時は優美が俺から離れることはない、と高を括っていた自分を思い出した。
― あぁ、俺はきっと優美を見くびっていたんだ。彼女は俺が思っていたより“完璧”な女性だ。
僕は、腕に着けたレベルソを見て、幸せだった夫婦生活にさよならを告げた。
― 優美はすでに新しい道を歩いている。
感傷に浸りながらもスマホを取り出し、おもむろに優美にショートメールを送った。
『優美、次の結婚では幸せになってね、もう連絡はしないよ』
それだけ送ると、優美の電話番号をスマホから削除した。
僕は、左腕から外したレベルソのケースをスライドし、文字盤をくるっと180度反転させた。
すると、精巧に時を刻むクラシックなアラビア数字の文字盤から、もう一つの新たな黒い文字盤が顔を出す。
― …もう戻れないんだ。俺も前に進まないと。
その思いをくみ取るかのように、回転させた新しい文字盤の針が、僕の新たな人生のスタートを刻んでいくのだった。
▶前回：「1万円で足りるかな？」飲み会で必ずタクシー代を女性に渡す男。ある日、それを断られて…
▶1話目はこちら：「いかにもって感じ」高級時計を愛用する男に女性が痛烈な言葉を浴びせたワケ
▶NEXT：1月5日 木曜更新予定
最終回：「A. ランゲ＆ゾーネ ランゲ1・ムーンフェイズ」を着ける、恋愛に「半年ルール」を課す男に振り回される女とは
