「俺と結婚したいから“妊娠した”って嘘ついたんだろ」男のひどい言葉に、女は耐えきれずに…
「女の敵は女」
よく言われる言葉ではあるが、これは正しくもあり間違ってもいる。
女同士の友情は感情が共鳴したときに仲が深くなり、逆に感情が衝突すると亀裂が生じ、愛情が憎しみへと変化する。
この亀裂をうまく修復できなったとき、友人は敵となる。
だが、うまく修復できればふたりの仲はより深いものになる。
ここに、性格が正反対のふたり女がいる。
ひょんなことから東京のど真ん中・恵比寿で、同居を始めたことで、ふたりの運命が回りだす…。
テレビ局プロデューサー・諒子は、恋人の錠と距離を置いた途端、彼の子どもを妊娠していたことが発覚。会うことをためらいながらもそのことを伝えるため、彼の家を訪れるも……。
▶前回：「妊娠しました」彼にLINEで告げるも音沙汰なし…。堪りかねた女が自宅へ乗り込むが…
Vol.13 それぞれの旅立ち
玄関からリビングまで見渡すことができる、1LDKの錠の部屋。
ドアを開けるなり、部屋の中心に置かれたダブルベッドが真っ先に諒子の目に入った。
そこには、見知らぬ若い女と共にいる錠の姿があった。
「ご、ごめんなさい、開いていたから…！」
諒子は慌ててドアを閉めるが、冷静になった途端怒りが湧く。
― あれ、何わたし、謝っているの？
しばらくすると、彼が鍵を閉めに玄関に近づいた気配がした。
そのタイミングを逃さず、諒子は再びドアを開ける。
「うわっ！」
叫び声をあげた錠の腕を諒子は掴んで、玄関の外へ引きずり出した。
「誰、あの女の人は？前言っていた彼女？」
「別の女だけど……てか、その顔怖いって。お腹の子にも悪いんじゃない」
まるで他人事のように、錠が妊娠について軽々しく口にしたことに腹が立つ。
頭に血が上るも、近所の目もある。
諒子はヒステリックに叫びたくなった衝動を“6秒ルール”で必死に落ち着けた。
しかし、その間に返ってきたのは驚くべき錠の反応だった。
「――何も言わないってことは、やっぱりあのLINE、嘘だったんだ？」
「え？」
「妊娠て、俺と結婚したいがための、嘘だったんでしょ」
「…」
諒子の中で何かがプツリとキレる音がした。
諒子は、何もかもどうでもよくなっていた。
「もういい」
静かにつぶやいて、諒子はその場を後にする。当然、錠は追いかけても来ない。
背中の後ろでは、扉を閉じ、鍵をロックする音が静かに響く。
諒子は悪い夢から覚めたような感覚になっていた。
帰宅後。
ひとりきりの冷たいリビングで、諒子は号泣する。
自業自得。ホラみたことか。諒子はそんな言葉で自身を責めた。
錠への失望はない。むしろ、熱に浮かれていた自分が悪いのだ――と。
マリに慰めてほしくなり、帰りのタクシーの中で電話やLINEを彼女にしたが、つながらない。
彼女はここ数日、帰宅している形跡はない。
おそらくは白沢の家で幸せな半同棲生活の最中なのだろう。
諒子は諦め、ひとりでこの苦しみを背負うことにした。むしろ、今まで、彼女にずっと甘えすぎていたのだ。
― いっそ、お腹の子も自分自身も消えてしまおうか。
孤独感で、どんどん最悪な思考に陥ってゆく。
― マリ、いま、何してるの？
諒子はどん底から救いを求めるように、Instagramを開いた。
ストーリーズでも何でもよかった。こんなときは、底抜けに明るい彼女の笑顔に会いたかった。
ずっとミュートにしていたため、彼女のアカウントを開くのは久しぶり。
しかし、アカウントを開いた途端、ある一枚の写真が目に入った。
「あれ…？」
それは、『ガストロノミー ジョエル・ロブション』に一緒に行ったときのマリと諒子の写真だった。
キャプションには『大親友と、最高の夜！』とだけ書いてある。
諒子とマリ、ふたりとも美しく加工され、満面の笑みを浮かべている。
そして『親友』――その言葉が胸に響いた。
― きっと、マリは私の妊娠のことを一番に相談してほしかったはず…。
諒子の体から力が抜けていく。自分の不甲斐なさを責めながら、スマホを伏せた。
うつろな目でソファに横たわる。無力感でなにをする気も起きない。
「…子、諒…諒子！」
幻なのか…意識が薄れる中、諒子の耳には自分を呼ぶ誰かの声が聞こえてきた。
「良かった、生きていて。息止まるかと思うくらいビックリしたよ」
マリは大きなスーツケースの開梱作業をしながら、呆れたような声を上げた。
「ゴメン…マリ。何してたの？電話に出てほしかったのに…」
諒子はマリが用意してくれた北海道土産のヤーコン茶をのみながら、毛布にくるまっている。
マリは、しばらく北海道の実家に帰省をしていたらしい。
数時間前、電話もLINEもつながらなかったのは、機上の人だったためのようだ。
「それって、新居探しのため？」
恐る恐る尋ねると、マリは自分が開けているヴィトンのスーツケースに諒子の視線を誘導した。
中には、ベビー服やベビー用品が詰まっている。
しかも、ラルフ ローレンやボンポワン、ミナ ペルホネンにファミリアなどの新品のものばかりだ。
「これって……」
「白沢くんから聞いたよ。妊娠したんでしょ？おめでとう」
背中がヒヤリとするとともに、同僚の千奈津の顔が思い浮かんだ。
白沢への情報の発信源は彼女で間違いない。千奈津以外には、誰にも言っていないからだ。
「これらはね、不妊治療中に願掛けで買ったり、義父母や彼のファンにプレッシャーかけられていたころにもらったお洋服なの。実家に追いやっていたけど、諒子が妊娠したって聞いて弾丸で取りに行ってきちゃった」
自分の意志と元義父母の考えの違いだろうか、その種類は男女まんべんなかった。
「諒子、なんで早く教えてくれなかったのよ。聞いてびっくりしちゃった」
「だって…、マリには言いづらくて。治療していた話も知ってたから…」
「諒子の妊娠ならそんなの関係ないよ！」
マリは即答する。
その言葉の力強さに。諒子の目からわっと涙があふれ出てきた。
「え…ちょっと、どうしたのよ」
「実はね…」
諒子は思わず、今抱いている不安や、錠への気持ちが完全に終わったことを吐露した。
― ああ、またマリに自分のことばかり話してる…。
そんな懸念はあったものの、思いのほか真剣に、そして黙ってマリはその話を聞いていた。
そして、ひと通り話し終えたあとで、マリはつぶやいた。
「私が、このまま一緒に暮らして、子どもを育てちゃダメかな」
「え？」
「そうすれば、諒子は産んで少し休んで、すぐ仕事復帰できるじゃない？」
諒子にその考えは全くなかった。なぜなら、常識的に考えられないから。
― 友達に子育てを押し付けるなんて……。
「でもマリ、北海道に帰るんでしょう」
「諒子とその子のためなら残るよ。私も、もっと東京生活を満喫したいもの。しかも、夢の子育てをしながらなんてステキ！ねえ、いいでしょ？？」
マリは自分のわがままな欲望で「子育てしたい」と、印象付けるように力強く訴える。
それは遠慮してためらう諒子を、力技で言いくるめるかのように。
マリはお見通しなのだ。
諒子が流されやすく、断れない性格であることを。
そして、本当は諒子が一緒に子どもを育ててくれる誰かを欲していることを…。
自分が強引に言いださなければ、諒子はひとりで背負って潰れてしまうとでも思っているのだろう。
諒子はマリの優しさに胸が熱くなる。
「もう。相変わらず、ずうずうしい。でも…、本当にいいの？」
「じゃあ、決まりね！」
マリはぎゅっと諒子を抱きしめる。
諒子は心の底から感謝をした。
約半年後――
産休に入ってすぐ、諒子は大きなお腹を抱えてある場所へやって来た。
かつて、諒子が錠と一緒にデートしたフレンチレストラン『アムール』だ。
「あ、きた」
マリは白沢とともに、タクシーで来た諒子を入り口で出迎える。ここ最近は、3人で会うことも多い。
「ねぇ、マリ。この店をセッティングしたのは、わざと？私が前に錠と訪れた店よ」
「子どもが生まれる前に記憶を前向きに書き換えておかなきゃね」
「なるほど」
諒子とマリは互いに肩をすぼませて笑った。
「じゃあ、僕は仕事なので」
「え、白沢くんも一緒にご飯食べるんじゃないの？」
白沢は諒子が安全に店に着いたのを確認した途端、笑顔でその場を去っていった。
諒子が不思議に思っていると、席でメニューを眺めながら、マリはその意図を明かす。
「白沢くん、仕事って実は嘘なの。出産後はふたりきりでこういう場所に出かけられなくなるからどうぞおふたりで、って。」
「本当に彼はいい男性ね。さすが、マリの選球眼」
「選球眼…元旦那を思い出した」
諒子は苦笑いしながらも、マリと白沢のお互いを信頼しあう様子を見ることができて、幸せな気持ちになった。
「一段落したらさ、すぐに彼と結婚してもいいんだからね」
「いや、若いイケメンとすぐに結婚なんてしたら、絶対マスコミに何か書かれるに決まっている。最低3、4年は待つつもり。彼、ふたりで過ごせれば子どもはいいと言ってくれているからね」
「本当にいい人すぎる彼。絶対逃さないで」
「そうなの！でも、もし彼が心変わりしてフラれたらまた慰めてね」
上目づかいでにやりと笑うマリ。不思議と悪い気はしない。
「あたりまえじゃない。親友だもの」
諒子は彼女のノリに合わせてつぶやいた。
すると、諒子の発言が意外だったのか、マリはまん丸の目を見開いた。
「どうしたの、マリ？」
「…初めて諒子が親友だって言ってくれたから」
再会の時、諒子は彼女が放つ親友という言葉を否定した。
しかし、今は否定した自分を否定したい。
今の彼女に対してなら安心して言える、“親友”だって。
「だってそうでしょ？」
お互いふふふ、と笑いあう。
マリとは、何十年先の未来もふたりで笑って過ごせるような、そんな気がした。
錠といるときは、1年先の未来さえも見えなかったのに。
― お互い笑いながら、世界一周旅行するようなおばあちゃんになるんだろうな…。
絶品のフレンチ料理のコースを共に、会話はすすんでいく。
東京の夜は更けていく。今日も、ふたりのおしゃべりは尽きない。
Fin.
▶前回：「妊娠しました」彼にLINEで告げるも音沙汰なし…。堪りかねた女が自宅へ乗り込むが…
▶1話目はこちら：35歳独身女がセレブ妻になった同級生と再会。彼女が放った高慢なひと言に…
